主に関西で言うところの「てんご」という言葉は、意図した悪戯、悪ふざけ、或いは意図せぬ間違い、失敗などを、大人も含むが主に子供に対して、「てんごをする」、「てんごすな(するな)」「てんごしてたら、あかんで」といった用法で使用する。
その語源をインターネットなどでは、「転合」であると書いておられる方が多いのだが、私は「てんご」の語源は「諂曲(てんごく)」ではないかと思う。
この「諂曲」もインターネットでは日蓮教学や宮沢賢治の「春と修羅」などに関する解説に絡めて、随分と難しく、時には奇妙な議論をしておられる方が多いけれど、佛教語大辞典(東京書籍)の記述は下記の如く、至って明解だ。
「他におもねり自らの心を捻じ曲げること。他人にへつらって自分の心を曲げること。へつらい。邪悪。わるだくみ。」
正にこれは「てんご」の語源だと思われるが如何なものだろうか?
ちなみに「今昔物語集 本朝仏法部」の巻第13第14話の冒頭に「諂曲」という言葉が出て来るのだが、角川文庫版では「諂曲」に「虚偽と不正」という注が付してある。
おしまい。