五観の偈 各宗比べ 覚え書き | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

真言宗智山派宗務庁発行の「生きる力 SINGON」90号という広報誌を読ませて頂いた。智山派の資料というもの自体を、私はほとんど目にしたことがなかったのだけれど、この冊子がなかなかに興味深い内容だった。

但し、今回はその諸々はさて置いて、その中に「五観の偈」の智山派版が載っていたので、以下に紹介させて頂くことにする。 


一つには功の多少を計り彼の来処を量るべし。
二つには己が徳行の全か欠か多か減かを忖れ。
三つには心を防ぎ過を顕すは三毒には過ぎず。
四つには正しく良薬を事とし形苦を済わんことを取れ。
五つには道業を成ぜんが為なり世報は意に非ず。


ご承知の方もあるかも知れないが、五観の偈とは、お寺で食事をする前に、心を調えるために唱える偈文で、因みに私の属する天台宗の五観の文句は、以下の通り。


一つには功の多少を計り彼の来処を量る。
二つには己が徳行の全欠多減を忖る。
三つには心を防ぎ過を離るること三毒に過ぎず。
四つには正しく良薬を事として形苦を済うことを取る。
五つには道業を成ぜんが為なれば世報は意に非ず。


以上の如く、読み下し方だけでなく、細部も少し智山派のものとは違うのだが、因みに最も人口に膾炙していると思われる禅宗バージョンが以下の通りで、私は曹洞宗の知り合いのお坊さんに借りた曹洞宗日課経大全という経本を参照したが、wikipedia にもほぼ同じバージョンが載っていた。


一つには功の多少を計り彼の来処を量る。
二つには己が徳行の全欠を忖って供に応ず。
三つには心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。
四つには正に良薬を事とすることは形枯を療ぜんが為なり。
五つには成道の為の故に今この食を受く。


ご覧のように読み下し方だけでなく、文章そのものにも天台や智山に比べて、かなりの違いがある。インターネットで検索すると、五観の偈の文句が宗派によって異同があることに気づいておられる僧侶の方はたくさんおられるようで、たくさんのお坊さんブログにそんな記事が載っている。

臨済宗と曹洞宗にも五観文に違いがあるそうで、それについての研究論文などもあるとのこと。天台、真言、日蓮宗系、禅宗系などの各宗派で五観の偈が使用されていることは私も知っていたが、実はこの偈文について、ちょっと前々から気になっていたことがある。

五観の偈の出典が南山律行事鈔その他であることは、私の持っている天台宗の経本にも載っているし、先の wikipedia を始め、インターネットにも色々と書いてあるのだが、それはともかく、この偈文、一体いつから日本仏教で使われているのだろうか?

日本で鎌倉時代に禅宗が盛んになった頃にこの偈文が使われ出し、それより後に、禅宗よりも歴史の古い天台宗や真言宗を含む他宗派に、五観の偈が取り入れられたのではないかと私は常々思っていたのだが、さて、これだけ皆様がインターネットに書いたり、研究論文があったりするのならば、一度、きっちりと腰を据えて調べてみたいと思う。

イメージ 1
※画像は台湾法雲寺の食堂の写真です。

も是非ご覧ください!!