旅の浮世床 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

「唐山(もろこし)の剃頭店、日本の髪結床、和漢唱えの変わるのみにて…」と式亭三馬の「浮世床」にあるが、さて、私も巡礼行脚の旅の途中、アジア各地の散髪屋さんで、頭を丸めてもらったことがある。

お坊さんなので、普段は自分で剃刀を使って頭を剃るから、日本で床屋には行くことは近頃はまずないのだけれど、では一体、アジアではどんな状況で散髪屋に入ったかのという経緯を、以下に列挙させて頂くことにする。

タイのお寺で修行中は、自分で頭を剃るか小僧さんに剃ってもらうかだったので、私が初めてタイの床屋さんを利用したのは、テーラワーダ僧を還俗し、日本の作務衣に着替えた後のことだ。外国人や外国人宗教家を見慣れている所の方が目立たないだろうと思って、カオサンの近くの床屋さんで、頭をきれいにしてもらった。

インドでは、道具箱一つを手に村を巡回していたナーイー(理髪師)のおじさんに露天で剃ってもらうか、自分で剃るかだったが、泊り掛けで巡礼に出た時には、何度か床屋を利用した。ヒンドゥー教徒のインド人も、身内に不幸があった時には頭を剃るからか、インドの床屋さんも簡単に頭を剃ってくれたものだ。

台湾でもここ何回かは床屋に入ってみたが、「頭を剃る」という状況が余りないのか、店主に戸惑われることも多いけれど、日本の理髪店で剃髪を頼むことに比べたら、遥かに安く、気軽に頭を剃ってくれた。

いずれの場合も床屋の中では、店の人やお客さんの様子も含めて、ただの旅行ではなかなか分からない、その国の世相が垣間見えて興味深く、正にこれは「浮世床」の世界だなと、先日、久々にタイの床屋で頭を剃ってもらい、意気投合した店主のおじさんに、車で空港まで送ってもらった時に、ふと考えた。