生死を超えて | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

昨今、流行りの単語は敢えて使わないが、40歳になっても50歳になってもきれいだとかいう女性について、もちろん世の中全般に、昔より年齢の割りに若く見える人が増えているとは言え、40代の人は40代にしか見えないし、50代の人は50代にしか見えないと思う。

20代、30代に関してもまた然り、その年代にはその年代の歴然とした身体的特徴が現れているから、どんなに見かけ年齢が実年齢と違っていても、私は人の歳を見誤ったことがない。別に私が偉い訳ではなく、老化は自然な現象なのだから、何の不思議もない。

さて、四苦八苦の四苦、即ち生老病死(しょうろうびょうし)という仏教用語は、なぜ生まれること、老いること、病気になること、死ぬことという順番なのでしょうか? 生まれて病んで老いて死ぬ、ではなくて、老いた後に病む、となっているのはなぜなのでしょうか? と人に聞かれた。

老化というのは既に生まれた時から始まっているから、生まれて成長する(老いる)、成長する過程で病が起こる、そして死に至るという意味で、老いの次に病なのか、或いは「生老病死」の「老」は、老年になることではなく、若い時に、老いることについて怖れを抱くことを指すのだろうか? 

そう言えば、ブッダが出家前に老人と病人と死人を見て世の無常を思い、最後に修行者を見て、出家を決意したという「四門出遊」のエピソードも、「老」「病」「死」の順番になっている。

それはともかく、老いや若さや死や病などとは、全く次元の違うところに仏教の目指す境地はある。どんなにきれいであったとしても、いつまでも若い人、いつまでも死なない人はいない。そしてその上で、仏教を知れば、さらにそれで終わりではない。

「永断於生死」(生死(しょうじ)を永く断つ・生死を超える)という仏教用語は、そういう意味なのだと思う。



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