坐禅の時に使う坐蒲(ざふ)と呼ばれる丸いクッションについては、以前も詳しく書かせて頂いた。
日本で天台宗のお坊さんとして坐布を使い、姿勢も正して坐禅をしていた私は、初めてタイのお寺でテーラワーダ式の瞑想を教えてもらった時に、姿勢を正さなくて良いことに衝撃を受けた。今は知らないが、昔は日本の禅僧の方などの中に、南方の坐禅はたるんでいる、みたいに感じる方もおられたようだ。
私はと言うと反対で、何て融通が利くんだろう、そうか、心を調えるのに、身体作法は必ずしも絶対条件ではなかったんだと感動したものだ。例えばアジアの坐蒲のない場所で坐禅をする時に、坐蒲なしで坐禅をしても良いのなら、何の不足感を感じることもなく、いつでもどこでも坐禅が出来る。
という感覚に今度は慣れすぎていたところ、何気なく久し振りに坐蒲を使ったら、思いの外、姿勢が整い、呼吸が調って、具合がいい。そう言えば、テーラワーダ比丘であるタイのプッタタート師の「観息正念」の第2章の「坐る姿勢」の中にも、「この場合、尻の下に敷く小さな厚めの座布団が必要である」と書いてあった。今さらながらだけれども、坐る姿勢は日本の坐禅式に、ある程度、きっちり坐った方が、心は調いやすい。
※「坐蒲」の表記には、「坐蒲」「坐布」などが混在していますが、今後は「坐蒲」に統一させて頂きます。曹洞宗の公式ホームページの表記は「坐蒲」です。
※臨済宗の坐蒲は長方形だそうです。
※「佛教語大辞典」(東京書籍)には「坐蒲」の項に、曹洞宗は丸型、臨済宗は布団を畳む型だとあり、また別に「坐圃」(ざふ)の項があり、日本では円形だが、ヴェトナムでは長方形の一方の辺が長い物を使うから疲れずに坐禅が出来る、また北宗禅である中国の蛾眉山では、代々、坐圃を使わずに坐禅すると書いてありますが、私はそれらの根拠を知りません。
※天台宗では専用の坐蒲を使うことは少なく、一枚の座布団を敷いて、もう一枚の二つ折りにした座布団を尻の下に当てる寺がほとんどです。「天台小止観」に坐蒲についての記述はなくて「縄床」に坐すとだけあり、現在の天台宗の法儀集や止観作法には、「縄床」に坐すのが本来だが、近来は多く座布団を用いる、などの記述が見えます。
※その他、アジアにおける坐蒲の諸々については、「アジアの坐蒲」も、ご覧下さい。

こちらは台湾の空港にある仏教徒用の祈祷室。坐蒲は長方形。

こちらはタイのお寺の授与所で売られていた瞑想用クッションのチラシ。ただし、実際にこのクッションを使っているお寺を、私は見たことがありません…。
※ホームページ「アジアのお坊さん」本編も是非ご覧ください!!
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