アジアのお寺掃除 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺


イメージ 1



小僧時代、「一起き、二掃除、三勤行」と教えられたが、この言葉、他のお寺や他の宗派で、微妙に内容や順番が違っているようだ。何にしても、ただお経を上げるだけよりも、もっと大事なことがあるよと教えてくれている言葉なのだろう。

一休さんのアニメに限らず、お寺の修行と言えば、小僧さんが雑巾掛けをしているイメージだったりするせいか、悩みを抱えてインドのお寺を訪ねて来た日本人のおじさんに、雑巾掛けでも何でもしますから、どうぞ住み込みで修行させて下さいと頼まれたことがある。

タイで修行中に、別のお寺にいた日本人上座部僧の方と、テーラワーダ仏教のお坊さんが、掃除を始めとする作務をしても良いかどうかという話をしたことがある(プラユキさんとは別のお坊さんです。念のため)。

我々の居るような大きなお寺なら、職員やデック・ワット(寺男)も居るが、小さなお寺なら比丘が掃除どころか、ちょっとした大工仕事までしてますよね? みたいなことを議論したものだが、「大乗仏教興起時代 インドの僧院生活」(グレゴリー・ショペン著 春秋社)によれば、初期の仏教僧団で、教えの学習や瞑想と、僧院の掃除のどちらが大事かみたいな揉め事や議論が何度もあったそうだ。

テーラワーダ仏教に「草木を害してはいけない」という戒律があるから、インドの日本寺に居られた当時の三橋ヴィプラティッサ比丘は、職員にも境内の木を剪定するな、自然に任せよと仰っておられたが、これまた極端ながら、ユニークな解釈だと思ったものだ。

仏弟子中、最も愚鈍とされながら、ブッダに言われた通り、掃除をし続けて悟りを開いた周利槃特(しゅりはんどく・チューラパンタカ)長老の時代から、僧団内でも掃除は行われていただろうし、それが気づき(サティ)を促すことは、掃除を修行として重視する大乗仏教に至るまで、連綿と意識され続けて来たことだろうと思う。


※写真は台湾佛光山・佛陀紀念館の壁画。掃除によって心の垢まで落とした周利槃特長老のエピソードを表すためか、ブッダが周利槃特さんにホースで水を掛けているように見える絵柄です…。






※お知らせ※
タイの高僧プッタタート比丘の著作の
三橋ヴィプラティッサ比丘による日本語訳CD、
アーナパーナサティ瞑想の解説書「観息正念」、
並びに仏教の要諦の解説書「仏教人生読本」を入手ご希望の方は
タイ プッタタート比丘 「仏教人生読本」「観息正念」改訂CDーR版 頒布のお知らせをご参照下さい。


 
  見やすいように全体のページを更新しました。
  是非ご覧ください!!