実際にお坊さんになってみて思ったことは、昔話はいくらかの真実を伝えているのではないかということです。たとえば私が得度して小僧修行をしている間は、お休みもなく、寺から出ることもできない状態で、たまに和尚さんが外出すると、ちょっと息を抜きました。そして、和尚さんの留守中に小僧さんたちが水飴をなめる昔話は、きっと実話が基になっているんだろうと、その時、確信したものでした。
さて、それから、何年もたった今現在、まだまだ心の平安は得ていませんが、いくばくかの修行もさせて頂いて、近頃、ふっと気づいたのが、子どもの頃から気になっていた、「三枚のお札」のお話です。
お札のおかげで、何とか命からがら、お寺までたどり着いた小僧さん、まだ山姥(やまんば)はすぐそこに迫っているというのに、和尚さんがなかなか戸を開けてくれません。
はいはい、今開けるから、まずはふんどし締めてから、などと言って、戸を開けない和尚さんの行動を、偉いおとなの人が、「わざと小僧さんをじらす和尚さんの言動がユーモラスです」などと解説で書いていて、何がユーモラスだ、もしも冗談が過ぎて間に合わなかったなら、和尚はどうやって責任を取るつもりだったのかと、幼い私は思ったものでした。
けれど、今の私なら分かります。
絶対に間に合うから大丈夫だと確信していたからこそ、和尚さんはあんなに悠々としていられたのです。経験のない者は、何事においても先が見えないから、不安がってあせりますが、余裕のある経験者からすれば、先に起こることも、現在の皆の心持ちも、手に取るように分かるから、何の不安を感じることもなく、事の始末に当れる訳です。
和尚さんには小僧さんの不安も山姥の来襲もすべてが想定内で、その山姥の来襲がいかなる形であっても、無事に事態を収束させる、完全な自信があったのでしょう。
そんなことを近頃、思うようになりました。
おしまい。
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