
台湾の桃園国際空港には、各ターミナル毎に クリスチャン、ムスリム用と並んで、仏教徒用の礼拝所もあるのだが、先日、利用したその1ヶ所に、写真のような坐禅用の座布団があり、搭乗前に時間があったので、しばし坐禅させて頂いたのだが、はなはだ坐りやすくて具合が良かった。

中国仏教系の大乗仏教では、坐禅の時に坐布(ざふ)という、丸い座布団をお尻に当てる。天台宗のみならず、その後の禅宗の坐禅の規範ともなった「天台小止観」には坐布についての記載はまだないが、日本の道元禅師は「普勧坐禅儀」の中で、坐布について記している。
余談ながら、現在、日本の天台宗寺院で坐禅止観を指導している所では、坐布の用意がなくて、二つ折りにした座布団を坐布の代わりに使用している場合が、比較的多い。
インド人のように足の長くない中国や日本などの東アジア人の体格では、坐禅の坐り方である結跏趺坐や半跏趺坐がつらいので、我々が楽に、正しい姿勢で坐るために坐布が開発されたものかと思う。
実際、インド人なら子どもであっても魔法のようにするすると、簡単に結跏趺坐で坐ることができるから、本来、この坐り方は坐禅のために無理して坐る特殊な坐法だったのではなく、インド人にとっては、ごく普通に安定して坐れる坐り方だったのだろう。そんな彼らに、坐布は必要ではなかったはずだ。
さて、インドのブッダガヤの日本寺では旅行者も参加できる坐禅の時間があって、ここでは坐布を使用した日本式の坐禅を指導している。
そのせいか、ブッダガヤの町では見よう見まねでインド人の仕立て屋さんが仕立てた坐布も売られており、お気に入りのマイ坐布を持ち歩く西洋人旅行者もいて、ブッダガヤに限っては、他国の寺院であっても、坐布の使用を見かけることがある。
ところで、現在の東南アジアのテーラワーダ仏教諸国ではどうかと言うと、坐禅瞑想の時には、坐布も使わないし、坐相にもこだわらない。師によっては、中国や日本の坐禅並みに、きっちりと背を伸ばして坐ることを勧める方もあるが、一般的には、背筋も伸ばさなくていいし、足もごく緩めの半跏趺坐だ。だから坐布は要らない。
ちなみに、タイのお寺で下の写真のような、現代版坐布と言うべき瞑想用クッションが売られているのを見たことがあるが、実際にこれを使用しているタイの寺院を、私は知らない。

※「坐蒲」の表記には、「坐蒲」「坐布」などが混在していますが、今後は「坐蒲」に統一させて頂きます。曹洞宗の公式ホームページの表記は「坐蒲」です。2015年3月10日に、以下の記事を投稿しました。
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