梵鐘あれこれ…インドの精舎の鐘の声 | アジアのお坊さん 番外編

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 インドのブッダガヤにある印度山日本寺境内の、故・松下幸之助氏の寄進による日本式の鐘楼は、梵鐘造りで知られる京都の「岩澤の梵鐘」という会社の製作だ。

 同じくインドのシュラヴァスティにある仏跡・祗園精舎には元々、鐘がなく、「祗園精舎の鐘の声」で始まる平家物語の冒頭に馴染んでいる日本人には寂しいことだということで、ある日本の団体が、何十年も前にシュラヴァスティに鐘楼を寄進したのだが、こちらも「岩澤の梵鐘」の製作だ。ちなみに、その鐘は、祗園精舎の遺跡からは、ちょっと離れた所にある。

 インターネット上で、平家物語の祗園精舎はインドなのか京都の祇園なのか、どちらでしょうかと質問しておられる方がいて、京都の祇園でないとは言い切れない、平家物語作者の念頭には、当然、京都の祇園もイメージされていたでしょうなどと、複数の方が回答しておられるのを読んで驚いた。今回のテーマから離れるので詳しく理由は書かないけれど、そんな訳はございません。平家物語冒頭の「祗園精舎」は、100パーセント、インドの祗園精舎のみを指しています。

 さて、元来、祗園精舎に鐘がなかったことと、日本で現在、我々が目にしている梵鐘は、中国起源の形であることなどから、仏教寺院における鐘は中国や日本に固有のものだと思っている方もあるようだが、インドのヒンドゥー教寺院にも鐘は付き物だし、タイを始めとする東南アジアの上座部仏教寺院でも、お勤めの時刻を知らせる半鐘はお馴染みだ。

 サンスクリット語では鐘のことをガンターと呼ぶので、これが漢語に音訳されて犍稚(けんち)となり、日本仏教でもこの言葉が使われている。宗派によって多少の用法の違いがあるが、犍稚という言葉は、梵鐘や半鐘だけでなく、お寺における鳴り物全般を指すことが多い。

 現代ヒンディー語でも鐘はガンター घंटा だ。1時間、2時間などという場合の「時間」という言葉もヒンディー語では同じく「ガンター」 घंटा だから、時計のなかった昔には、鐘が人々に時を知らせていたのだろう。

 ブッダガヤにまだ建物が少なく、時計を持っている人も少なかった頃、村の人たちは日本寺の鐘の音を聞いて時刻を知ったものだったと、日本寺の古参スタッフから聞いたことがある。それはそれは、さぞや、のどかな時代だったことだろうと思う。


※鐘のことをヒンディー語では「ガンティー」 घंटी とも言いますが、こちらはさらに「犍稚(けんち)」に音が似ています。