差し障りがあるので曖昧に書かせて頂くのだけれど、海外のあるお寺で暮らしていた時に、そこにはたくさんの日本人巡礼者もお見えになるので、近くの河原で採った砂を小さな壺に入れて、参拝記念にお渡ししていたものだ。
その時に聖地の砂である由縁をお話してお渡しすると、仏法興隆のためにご喜捨くださる方も多かったのだが、私はいかにもお布施を期待するかの如き法話をするのがいやで、さらりと話してさらりと砂をお渡ししていたものだから、時には巡礼団の添乗員にまで、もう少し効果を考えて渡して頂けませんかなどと、言われたことがある。
今よりずっと若かった私には、それならばそれで、要求めかない心の籠もったお話をさせて頂くだけの技量もなく、また喜捨しようと志す巡礼者の思いがどれほどのものかを推し量るだけの、想像力もなかった。
ましてや添乗員の方たちがあんな風に仰っていたのも、あくまで巡礼者の方たちの心情を思えばこそだったに違いなかろうことも分かっておらず、そしてあの砂をもらった方たちがどんなに喜んでいたか、或いは海外にまで巡礼に出れない人たちが、その砂を帰国者に見せてもらった時に、いかにまだ見ぬ聖地を憧れるかについて、思いを巡らすこともできないほどに、まだまだ私は若かった。
おしまい。
※2011年12月23日より2012年1月10日まで、プッタタート比丘の著作CD頒布はお休みさせて頂きますので、ご了承くださいませ。