私はルーティンという英語を小学生の頃から知っておりまして、というのも当時の愛読書だった「シルク奇術入門」という本に、ルーティンとはいくつかの奇術を組み合わせて一つの奇術を作ること、あるいはいくつかの奇術の効果を考えて順番に演じる手順を構成することだと、書いてあったからでした。
さて、最近、ルーティン・ワークという言葉をよく聞くようになったと思うのですが、会社勤めの方なんかが、日々の単調で退屈なお仕事のことを、自嘲して口にされていることも少なくないような気がします。
私が中学校の授業で使っていた古い辞書にも、routineは、決まりきった日課的な事柄、routine workはお決まりの仕事、routine speechは紋切り型の演説と書いてありましたから、決してこのニュアンスは、最近の日本人が曲解して使っている用法でもないのでしょう。
ところで、お寺の修行生活は、正にルーティン・ワークです。早起きして定刻に朝のお勤めをして、夕方も定刻に勤行を終えたら、夜も決められた時間に早々と就寝です。
単調で決まりきった生活が、心を怠惰にさせるかと言うとそうではなくて、規則正しい生活は、むしろ心を調えます。たとえ身心が疲れて気づきを失いそうな時にも、定められた通りに身体を動かすことで、自動的に気づきを甦らせることができますから、ルーティン・ワークがただちに悪だという訳ではないと、私は思います。