先ごろ出版された「世界を魅了するチベット」(石濱裕美子著・三和書籍)は、確かなチベット研究の成果を基に、文学や映画に描かれたチベットについて解析した楽しい本だ。
文学に関しては、キップリングやヒルトンのみならず、シャーロック・ホームズが失踪中にチベットに立ち寄ったことにまで触れていて、ミステリファンにはよく知られている、作者のコナン・ドイルが後年、スピリチュアリズムにのめり込んだ事実との絡みについても考察してある。
映画に関しては、「リトルブッダ」、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」、「クンドゥン」に先立って、エディ・マーフィ主演の「ゴールデン・チャイルド」から説き起こしているのも的確だし、もちろん「ザ・カップ」や「バレット・モンク」のようなお坊さん映画のことも載っている。
「バットマン・ビギンズ」の中で、渡辺謙氏が演じるところのラーズ・アル・グールは、ラマ僧のような格好でヒマラヤ山中に住んでいるが、姿形はともかくとして、実際の設定上はラマ僧ではないので、この本には載っていない。
また「日本から見たチベット」という観点は除外されているので、笠井潔氏の創造した名探偵・矢吹駆のチベット仏教修行や、水樹和佳子氏のSFコミック「樹魔・伝説」といった、無知と憧憬に満ちた日本人によるチベット幻想については触れられていないし、檜山良昭氏の大英帝国・大日本帝国冒険ロマン「ラマの錫杖」(文庫版タイトル「チベットの秘宝」)のことも載っていない。
アンコール・ワットを「発見」したアンリ・ムオはフランス人だが、ブッダガヤ大塔のカニンガム、アジャンタ、エローラ石窟のジョン・スミス、バートン版アラビアンナイトの著者であるバートンにアラビアのロレンス、シンガポールのラッフルズ・ホテルとインドネシアのボロブドゥール遺跡で有名なラッフルズなどは、みんなイギリス人だ。
こうした大英帝国の面々による小説よりも奇なる活躍が、当時の人々の想像力を刺激したことは想像に難くない。ドイルのホームズ譚にはチベット以上の頻度でインドに関する記述が出て来るし、同じ古典ミステリの名作、ウイルキー・コリンズの「月長石」も、インドの寺院で物語が幕を開ける。
アフリカの秘境を舞台にした古典的小説「洞窟の女王」などで知られるハガードもイギリス人だが、ハガード原作の「キング・ソロモンの秘宝」などの一連の映画や、デビッド・リーン監督の「戦場にかける橋」や「インドへの道」なども、大英帝国ものとして、一くくりににできると思う。そして偏見に満ちた大英帝国的インド幻想の極致が、「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」だという訳だ(ちなみにインディはアメリカ人です)。
そんなこんなで「世界を魅了するチベット」という本は、読み手の想像力を喚起してくれる、とても楽しい本だ。ところでムー大陸伝説を広めたチャーチワードもやっぱりイギリス人で、彼はチベットの僧院でムーの古文書を発見したことになってますが、こんなヨタ話は載せる必要がないですか?