親の因果は子に報いますか?…子育てにおける親の責任 | アジアのお坊さん 番外編

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 親の因果が子に報い、という古い言い回しは、現在では差別的思考を含む前近代的な表現でしかないし、仏教的な観点からも、このセリフを擁護するつもりは一切ない。

 ただ、それとは別に、日本のお寺でたくさんのご家族、たくさんの親子がお参りに来るのを見てつくづく感じるのは、良きにつけ、悪しきにつけ、すべて子どもの性格というものは、親が作るのではないかということだ。

 あんなおとなしい両親から、何であんなやんちゃな子どもが? とか、親が真面目にしっかりと躾けているのに、子どもがどうしても言うことを聞かないとか、いろんな事例があると思うが、それは正に親がおとなしいが故に子どもがそう育ち、親がそのように躾けているが故に、子どもが言うことを聞かないのだと思う。

 小さな子どもを見て思うだけはでなく、いい大人になった娘や息子も、ああ、この方たちの性格は、この親御さんが形作ったんだなあと思うことがしばしばだ。

 子どもを育てたことのない人には分からないでしょうけど、子どもはどんなに親が躾けても、生まれもって変えられない部分があるんです、と仰る親もあるかも知れない。けれどその変えられない頑固な子どもの性質は、きっとあなた方親御さんご自身の性格や、その性格を形作ったそのまた親や親族、家庭環境に原因があると思う。

 だから親や先祖の悪業に対する祟りや仏罰で、子どもの不幸があるのでは決してないから、そういう意味で親の因果が子に報いる訳ではないが、子どもの性格形成については100%親に責任があり、そういった意味ではこの問題も、原因があって結果があるという因果の法則を、決して免れてはいないと思う。




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