不況が叫ばれて久しく、世の中はいよいよ世知辛い。小まめな節約が推奨される所以だが、しかし節約とは単なる貧困時代の、止むを得ない処置ではなくて、エネルギーの余分な消費を抑え、心に気づきを与えるためにも必要な、将来に渡って継続されるべき工夫だと思う。
今、例えば小まめに電気を消し、小まめにコンセントを抜くように心がけている人たちが、単に出費を節約するために我慢や辛抱をしているだけで、景気が好転した途端には、また野放図に、お金とエネルギーを消費する生活に戻らなければ幸いだ。
環境問題に対する意識を持って日常生活を送っている人も、単に不況に流されて節約生活を始めた人も、共に今後はしっかりと、気づきを持って節約に努めよう。地球環境と人の心を是正するための、この不況の時代が、たぶん、最後のチャンスだ。
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日本のお寺での修行中、風呂の湯ひとつ使うのにも気をつけるように、洗面器一杯の水で洗顔のすべてを済ます禅僧に比べれば、我々はまだ贅沢なのだからと教えられた。戸の開け閉め、廊下の歩き方、食材を隅々まで無駄にしないこと、それこそ箸の上げ下ろしまで細かく躾けてもらったが、戸を静かに閉めること自体は徳の高い行為ではなく、その瞬間に気をつけること(sati)が大事だと説くベトナム人禅僧ティック・ナット・ハン師の本を読んだのは、ずっと後のことだ。
地球の温暖化が急速に進む中で、エコという言葉を目にしない日はないが、たとえばごみを分別し、エコバッグを持参し、水道の栓を小まめに閉めることが、温暖化にとって何ほどの抑止になるのかという意見は根強い。
だがエコロジーすなわち地球の生態系が、もはや人間の社会を抜きにしては存在し得ないのだから、小さな気づきの一つ一つ、人間の意識の改革こそが温暖化防止の重要な要素でなくて何だろうか。まさに我ら人間は禅の修行の如く、satiの瞑想の如くにごみを分別し、水道の栓を閉め続けるべきなのだ。