アジアのお寺でシャワーを借りる話…二度と通らない旅人について | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

 インドのブッダガヤにある日本寺の坐禅に来た西洋人カップルに、シャワーを貸してくれないかと頼まれて、断ったことがある。旅行者の要望をすべて聞き入れてはいられない状況や、なぜお寺でシャワーを借りようとするのかという疑問、外国人旅行者の無制限なわがままに辟易していた当時の私の感情など、様々、理由はあるが、要はその時の私に、シャワーを貸してあげようというだけの器量がなかったということだ。

 さて、その後、インドから日本に戻る途中で、バンコクにわずかな時間、立ち寄った時、当時はまだドン・ムアン空港だったのだが、暑い時期なのでシャワーだけ浴びたいと思い、空港そばのワット・ドン・ムアンというお寺で水浴びをさせてもらった。お坊さんたちに歓待され、プラ・クルアン(タイのお守り)をたくさん頂いた。

 また別のある時、やっぱりインドから出国する前、コルカタ(カルカッタ)で時間があって、チャイナ・タウンの中華寺でシャワーを借りた。小さな中華寺院にありがちな、お坊さんがいなくて、在家の華人たちが住んでいる様子のお寺だったが、快くシャワーを貸してくれた。

 小川未明に「二度と通らない旅人」という童話があって、ある山の一軒家に吹雪の夜、一人の旅人が通りかかり、一夜の宿を頼むのだが、うちには病人もいるし、こんな夜に戸を開けて、他人の世話までしていられないと断られる。

 旅人は、それならこの薬を病人に差し上げて下さいと言って立ち去るが、その後、家人が病人に薬を飲ませてみると、難病人がたちまちに回復し、後悔した一家の者たちは、今後この家に旅人が立ち寄ることがあれば、いつ、いかなる時であっても、手厚くもてなそうと誓い合う。

 しかし、その後、嵐の夜もあれば、雪の日もあったけれど、その家に泊めてくれと言って訪れる旅人は、一人もいなかったというお話。

 というわけで、私もその後に自分が受けた好意を思えば、あの西洋人たちにシャワーを貸せば良かった、熱いインドを旅していて、お寺で水浴びをさせてもらえば、どんなにか、あの旅人たちは喜んだだろうと、後悔した時期もある。

 でも、最近思うのは、例えば昔の腹立たしかったことを思い出して、あの時、こう言ってやれば溜飲が下がったのに、などと後悔しても、それはやっぱり当時の自分にそれだけの器量がなく、縁が熟していなかったのだからしょうがない。

 仏教では四正勤(ししょうごん)と言って、今、悪いことをしない、過去に悪いことをしてしまったら繰り返さない、今、良いことをする、今、良いことをしたら、未来にもそれを繰り返すように、と説く。

 だから、今は、たとえ旅人が再び通らなくても、今現在、自分にできるだけの善をなせば、それで十分だと思うから、過去を思い出して後悔することは、もう、なくなった。


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