上方落語に出てくるお坊さん…おまけ:ずく念寺(ずくねん寺)について | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

いくつかの落語の基にもなった、江戸時代の小咄集「醒睡笑」の作者、安楽庵策伝が京都誓願寺のお坊さんだった関係で、今も誓願寺では落語の奉納などがあるそうだ。

 

「阿弥陀池」という噺には、信濃の善光寺の由来にも出てくる、大阪市西区の和光寺という寺が登場する。

 

「天王寺詣り」は四天王寺境内の描写が克明で、大変に楽しい噺だ。
 
「ぬの字鼠」は明治以前の妻帯禁止時代に、隠し子をお寺の小僧さんとして育てている住職の話。

 

「悟り坊主」は茶臼山の乞食坊主が出てくる小咄。桂米朝師が「戒名書き」「ブラリシャラリ」などの天王寺を舞台にした小咄と共に伝えておられる。

 

「蛸坊主」は生国魂神社の茶店に現れた4人の偽坊主を高野山の名僧が退治する話。桂文我氏が「続・復活珍品上方落語選集」(燃焼社)という著作に採り上げ、実演もされている。
 
「百人坊主」は村人全員がお坊さんになってしまう奇妙な話。

 

「八五郎坊主」には、上方落語にしばしば登場する、「ずく念寺」という寺が出てくる。大阪市天王寺区の下寺町にあるという設定で、この噺では住職、役僧、小僧の3人暮らしであるとされている。
他に「天災」「餅屋問答」「百人坊主」「手水廻し」や、小佐田定雄氏の新作落語「般若寺の決闘」「月に群雲」などにも登場するが、必ずしも下寺町にあるとは限っておらず、おもしろい名前なのでいろんな落語に流用されたのだと思われる。
米朝師は「米朝ばなし」(講談社文庫)のなかで「どんな字を書いてええものやら。ありそうで、しかも抵触せんような名を選んだのでしょう」と書いておられるが、実際は「七度狐」の「べちょたれ雑炊」と一緒で、聞いただけでおかしい、ありそうもない名前をこしらえたのではなかろうか。

※「ずくねん寺」については、「下寺町のずくねん寺 創作落語 ずくねん寺」もご覧ください。

 
ちなみに新作落語で言うと、中島らも氏の「らも咄」には「どぜう地獄」という、禅寺の小僧さんたちが殺生厳禁の禅寺内でドジョウを食べようとする噺が収録されている。
 
「餅屋問答」は東京ネタの「こんにゃく問答」を移したもので、原作の「こんにゃく問答」は元お坊さんだった二代目林家正蔵の作だけあって誠によくできた噺だ。
禅宗や禅僧の、不立文字などと言っている割には結構理屈っぽいあの感じをいやみなく笑い飛ばしている。
禅では生悟りや我流の禅を「野狐禅」(やこぜん)と言って嫌うけれども、私はこの「野狐禅」という言葉そのものが理屈っぽくて好きになれない。

 

「こんにゃく問答」はその話の性格上、理屈っぽい知識人たちにいたく評判が良いようで、インターネット上でもこの噺について書いている人たちが多いのだが、その言説そのものが素人哲学者たちのこんにゃく問答になってしまっているのが、とても楽しい。
 
              おしまい。