アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

世界的なシステム障害が、タイのドンムアン空港や台湾の桃園空港にも影響を与えているそうで、ドンムアン空港で黄衣をまとった上座部(テーラワーダ)仏教のお坊さんが坐っていたり、歩いていたりするのを画面上で幾度か目にした。

 

先日も書いた通り、私はお坊さんが好きでお坊さんになったから、他のお坊さんとお会いしたり、他のお坊さんのお経を聞いたり、道端でお坊さんを見掛けただけでも嬉しくなる。

 

 

                 おしまい。

 

※画像はタイ・ピサヌローク空港の僧侶専用待合席です。

 

「ホームページ アジアの上座部仏教」もご覧ください

私はお坊さんが好きだったためにお坊さんになった。だから、他のお坊さんとお会いしたり、道端でお坊さんを見掛けただけでも嬉しくなる。テレビでお坊さんが出て来る番組を見たり、新聞などのニュースで僧侶に関する記事を見つけた時でも同じことだ。

 

先日、たまたまNHKの「趣味どきっ! 関東 会いに行きたい仏さま」という番組がテレビでかかっていて、見るともなしにふと目を向けたら、関東の禅宗の古刹である建長寺の門前を、頭陀袋を肩に掛けた黄衣のテーラワーダ仏教僧が通り過ぎる後ろ姿が写っていた。

 

本当に偶然なのか、建長寺や周辺寺院に留学のために止宿されているお坊さまだったのか、この番組自体が去年の作品の再放送だそうなので、また見る機会があるかどうか分からないけれど、とりあえず本日の一日一坊を嬉しく思った。

 

 

               おしまい。

 

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岡田康彦による奇術関係の著作は、私が子どもの頃にはどこの本屋にも大量に並んでいた。私が生まれて初めて買った奇術本も岡田氏の「アイデア・マジック」「続アイデア・マジック」の2冊であり、横山泰子氏という学者さんの著作「妖怪手品の時代」にも岡田康彦の著書は参考文献として何度も出て来るから、私のように「ただ普通に奇術が好きだっただけの子供」にとって、岡田氏の本はごく馴染み深いものだったに違いない。

 

そんな中で、特に「アイデア・マジック」だけは氏の他の著作以上に高度なトリックや奇術の歴史、演じる時の心構えなどが詳しく書かれていて、私はこの2冊を本当に文字通り擦り切れるまで読んでいた。

 

ところが後々、松田道弘の著作などを読むようになると、「アイデア・マジック」にはいろいろと間違った記述が多いことに気が付いた。テーブルの上の生きた首が物を言う「スフィンクス」という奇術を最初に考案したのトービンという技師なのに、「アイデア・マジック」には「トーマス・トーマン」であると書いてあったり、フーディニが脱出奇術に失敗して溺れ死んだと書いてあったり。

 

また、本屋で見た岡田氏の他の大人向けの奇術本には、ハーラン・ターベルの奇術百科全書「ターベルコース・イン・マジック」からまるまる流用したと思しき挿し絵が載っているのを見つけたりもした。

 

一体、岡田康彦とは何者なのか?「アイデアマジック」には巻末に著者略歴も載っているし、岡田氏がプロ奇術師としてステージに立っている時のエピソードも本文中に頻りに出て来るが、氏の名前は松田氏の奇術人名録「世界のマジシャン フーズフー」などには出ていない。

 

奇術業界の方たちならよくご存じのことなのかも知れないが、インターネットにおける岡田康彦のプロフィール情報は、その著作名を除くと全くと言っていいほど検索に上がって来ない。

 

今度、図書館で東京堂から出ている「日本奇術文化史」だとかの資料を繙いて、この人のことを詳しく調べてみたいと思っている。

 

 

                  おしまい。

 

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失礼を承知で書かせて頂くと、私が小僧修行をさせて頂いた門跡寺院の老僧は信者や弟子の多い人で、その中には修験道関係の方や、いわゆる拝み屋に類する人もいたのだが、時折りあくの強い主張をして来られる修験の行者さんなどが帰られた後に、ああ、やっぱり優婆塞じゃなあと嘆息しておられることがよくあった。

 

さて、そのお寺での小僧修行の後に無事本山での正式な行を終え、観光寺院での役僧などもさせて頂いたもののまだまだ駆け出しという時期に、歩き遍路で四国八十八ケ所を巡らせて頂いたことがある。

 

お接待で泊めて頂いた何カ所かの遍路宿の内、一軒の主が修験の行者さんで、就寝前に仏教談義を持ち掛けられた上にご自身の数珠の由来を延々と聞かされ、さらにまた(密教の)護身法(という印)を結ぶ作法についての心得も諄々と説いて頂いた。護身法は心を込めて、力を込めて結ぶことによって、本当に仏がこの身体を守ってくれるんだよ、けれどあんたたちの方ではどういう風に習うんだ? といった感じで。

 

ところで真言宗と違って天台宗では顕教と密教を併修するのだが、例えば顕教で供養回向のために南無阿弥陀仏と唱える時に、全く密教の作法をしないのかと言うと、決してそんなことはない。

 

また、反対に密教の四度加行を修する期間にも、勤行時には顕教の例懺作法(法華経を中心とする法華懺法と阿弥陀経を中心とする例時作法)を厳修する。

 

法華経、念仏、坐禅止観、密教、すべてを併修し、体得していればこそ、読経や法要中の起居進退も壇上での読経作法も護身法を始めとする密教の作法も、そして日常生活におけるすべての所作すらもが唯一心に帰一するというのが、天台円教の教えだ。

 

供養のため、祈願のため、或いはお盆の棚経のためなどに、ほんの短いお経を上げる時でも作法通りに座に就き、護身法を結び、姿勢を調えて読経することで、後ろでお参りしている人たちに仏の教えを伝えているという自覚を持つ、それが私たちの顕密一致だ。

 

四国遍路で出会った遍路宿の行者さんのことを時折り思い出す度に、今ならこういう風に考えていますと、ふと伝えてみたくなる。

 

 

 

                    おしまい。

 

※拙ブログ「比叡山と大峯山 二つの千日回峰行」もご覧ください。

 

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※「顕教にしろ密教にしろ、ともに三業を並べ運んで成仏を期せんとする純粋な仏道修行そのものである、本宗法儀のもつ「菩薩行」としての性格の意義を見失ってはならない」

      ー 天台宗布教手帳より

※各段落の頭文字を繋ぐと、「は・と・の・な・か・の・ね・こ」となるように工夫しました。

 

 

 

初めにイギリスの名門女子校の人物関係がテンポよく丹念に描かれる。

 

途中からは中東のとある架空の国の革命の話になり、この2つが一体どう繫がるのかと、読み手の興味をそそる。

 

のんびりとした居心地の良さとテンポのいいサスペンスが同居する語り口は、正にクリスティーの独壇場だ。

 

何人かの登場人物が殺され、ストーリーは徐々にミステリらしい様相を呈して来る。

 

「隠し方のトリック」に類する興味もあって、隠し場所については早い段階で読者に予想がつくものの、その隠された「物」がどうなるのかという展開がプロットの要となる仕掛けだ。

 

残り100ページ近くになってもポアロが登場しないので、今度はそちらも気になって来る。

 

ネットのレビューなどにはポアロの登場が遅すぎると書いている人も多いが、この遅い登場こそがまた心憎いばかりの演出だ。

 

国際謀略ロマンの要素があるから本格ミステリと言い切れないというレビューもあるが、ミステリ的要素をしっかりと含めた上で胸躍る痛快な物語=「ロマン」に仕立て上げたこの作品は、私にとっては実に楽しく面白い作品だった。

 

 

※各段落の頭文字を繋ぐと、「は・と・の・な・か・の・ね・こ」となるように工夫しました。

 

 

              おしまい。

 

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