アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

タイで既存の交通機関を利用するアナログな私に対して、近頃では地方都市ですら(或いは交通機関の少ない地方都市だからこそ)配車アプリを使わないのかとタイ人に問い質されることがよくあるのだが、さて、首都バンコクで「赤バス」の通称で親しまれてきた旧式路線バスが、電気自動車に切り替わるというニュースが、先日、報じられていた。

 

乗りこなすのが難しいことで有名だったバンコクの路線バスではあるが、1990年代頃のバンコクのバス事情に関しては、前川健一氏の「バンコクの好奇心」を読めばよく分かる。

 

また、2000年代のバンコクバス事情に関しては、2008年に出版された「バンコクバス物語」(水谷光一著)という本に、さらに詳しく紹介されていた。


ところでタイのお坊さんは路線バス代が無料なので、私は1990年代のタイでテーラワーダ比丘としての修行中に、午後の空いた時間にバスに乗って、何度もよく出かけさせて頂いたものだ。

お寺からは遠い終点の町で降りたら、よそ者のお坊さんが珍しかったのか、「プラ!、プラ!(坊さんだ! 坊さんだ!)」と嬉しそうに叫ぶ子供たちに取り囲まれたこともある。

スマートフォンやインターネットがなかった時代の日本人バックパッカーであれ、インターネットやスマートフォンを駆使する現在の日本人個人旅行者たちであれ、乗りこなすのが難しいことで有名なバンコクの路線バスを、一体どれくらい利用しているのだろうかと時々想像することがあったので、今回の赤バス廃止のニュースを見て、時代は動いているのだなあと、感慨深く思った次第です。

 

 

 

 

                   おしまい。


※タイのお坊さんの乗り物料金については、

「ホームページ アジアのお供養」をご覧下さい。
                      

先日、「テレビ×マジック奇跡の超進化スペシャル」というテレビ番組の中で、奇術師チャニング・ポロックが出ている「ヨーロッパの夜」という映画の映像が流れた。

 

この映画及びチャニング・ポロックという奇術師については、子供の頃から愛読していた松田道弘氏の「奇術のたのしみ」と「シルク奇術入門」に載っていたので昔から知っていたし、さらにポロックの影響で初代引田天功師や島田晴夫師がハト出しの奇術を行うようになったことを詳しく述べている藤山新太郎師の「タネも仕掛けもございません」という比較的最近の本もよく読んでいる。

 

しかし私は「映画スターのような華麗な容姿で美しく奇術を演じるチャニング・ポロックの演技に世界中の奇術師が影響を受けた」みたいな記述をあちこちで読んでいるのに、その映像を見たことが一度もなく、「シルク奇術入門」に載っている白黒写真を見て、こんな鬼瓦みたいな顔をした男の、どこが美男子なのかとかねがね疑問に思っていた。

 

このたび初めて「ヨーロッパの夜」のカラー動画に触れ、確かに俳優のようなポロックの美しい姿を見て、あの白黒写真のアングルがたまたま子供だった私の目に美しく感じられなかっただけだったということに、この年になってやっと気づいたという次第です。

 

 

                   おしまい。

 

「ホームページ アジアのお坊さん」もご覧ください。

「梵網菩薩戒経偈」という短い偈文のお経があって、これは「梵網菩薩戒経」というお経の一部を抜粋して読むものなのだが、天台宗の常用経典「台宗課誦」にも収録されており、内容的にも天台宗徒にとってはとても大事なお経だ。

 

私はこの年になるまでこのお経を暗記していなかったのだが、今さらながらではあるけれど、般若心経より少し長いこのお経を、折角だから覚えてみようと先日に思い立った。

 

このブログを書くために、試しに「お経の覚え方」についてインターネットで検索すると、お経は普通の暗記と違って、繰り返し読み、また耳で聞くことによって、いつの間にか覚えてしまうものだということを、お坊さんたちも一般の方たちもたくさん書いておられる記事が出て来た。

 

全くその通りなのだが、例えば日本人の中で最も暗記しようとする人が多いであろう般若心経というお経は、そもそもただ何度も復唱している内に覚えるには、余りにも似たような複雑なフレーズが繰り返し出て来て、覚えにくいお経だ。

 

そして「梵網菩薩戒経偈」というお経はさらにそれに輪をかけて、同じフレーズ、同じ単語が何度も何度も繰り返し出て来る、覚えにくいお経だと思う。

 

たとえ暗記しているお経であっても経本が手元にある時は、本を見ながらお経を上げるものだと、お坊さんになった頃に教えられたものだが、今、いろんなお経を覚え始めた頃のあの懐かしい感覚を思い出しながら、経本を目で見つつ、声を出し、耳で自分の声を聴きながら、暗記したての「梵網菩薩戒経偈」を、新鮮な思いで上げさせて頂いている。

 

 

 

 

おしまい。

 

 

※画像はVCD付きタイのパーリ語経本です。

「ホームページ アジアのお坊さん 本編」もご覧ください。

※各段落の頭文字を繋ぐと「む・そう・の・たん・て・い」となるように工夫しました。

 

 

昔、子供の頃に町の小さな本屋で江戸川乱歩の随筆集「探偵小説の謎」を買ってから、何十回も数えきれないくらい読み直している。

 

創元推理文庫の編集長・戸川安宣氏も、好きな乱歩作品を一つ挙げよと言われて、やはり同様に「探偵小説の謎」を一番に挙げておられたので、この本が好きなのは私だけではないのだなあと、嬉しく思ったこともある。

 

後に読んだ瀬戸川猛資氏の「夜明けの睡魔」「夢想の研究」という2冊のミステリ評論も、それに次ぐくらいに繰り返し再読しているが、私が頻繁に読み直す随筆類にはどれも共通点がある。

 

単に内容が面白いだけではなく、文章が平易で読みやすいのに、実はとても論理的に趣旨を解き明かしているところがそれだ。

 

手品に関してなら松田道弘氏の著作、落語に関してなら桂米朝師の文章も、みなそうした同じ特徴を持っているので大好きだ。

 

いくつになって読み返しても、この方たちの本からは何かしら新しい発見がある。そう思って「夢想の研究」を再読したら堪らなくなって、ついつい「探偵小説の謎」をまた一から読み返している次第です。

 

 

※各段落の頭文字を繋ぐと「む・そう・の・たん・て・い」となるように工夫しました。

 

 

 

                 おしまい。

 

「ホームページ アジアのお坊さん 本編」もご覧ください。

先日、オーストラリア歌謡の「Waltzing Matilda」という曲のことを教えてくれた方があって、「Matilda」の意味が日本語訳では「頭陀袋」となっていますとのことなので調べてみると、これは僧侶の持ち物である頭陀袋のことではなく、ざっくりと物が入る袋のことを指しており、それを日本語訳では頭陀袋と訳していることが分かった。

 

では実際に僧侶が持つ頭陀袋のことを英語で何と呼ぶかと言えば、大東出版社の「日英仏教辞典」によると、そのまま「The zuda bag」となっている。ちなみに以前、私は「ホームページ アジアのお坊さん 仏教語学」の中で頭陀袋に当たる英語を「beggars bag(乞食袋)」と書かせて頂いた。

 

しかし、この言葉では「Matilda」と同様に頭陀袋状の一般的な普通の袋のことも指すわけだから、むしろ「Zuda bag」の方が意味としてはより適当なのかも知れない。

 

ただ、キリスト教用語の英語には「托鉢」を表す「mendicancy」や托鉢修行僧(修道士)のことを指す「mendicant」という英語があるから、頭陀袋のことを「The mendicant bag」と表現するのが、本来のニュアンスに一層近いのではなかろうか?

 

 

 

 

                            おしまい。

 

 

※頭陀袋の起源やアジア各国の形状については「ホームページ アジアの頭陀袋」をご覧ください。