「後唄(ごばい)」という偈文(げもん)については前に詳しく書かせて頂いたので詳細は省くことにして、この偈文が今昔物語集の震旦部に出て来ることに先日、初めて気づいたので、ここに記録させて頂くことにする。
ちなみに後唄というのは以下のような偈文。
處世界如虚空 世界に処すること虚空の如く
如蓮華不著水 蓮華が水に着せざる如し
心清浄超於彼 心は清浄にして彼を超えたり
稽首礼無上尊 稽首して無上尊を礼したてまつる
パーリ語のお経である「テーラガーター」などに出て来る下記の文章が出典ではないかということを、以前に書かせて頂いた。
「白蓮華が水の中に生じて成長するが、水に汚されることなく、芳香あり、麗しいように、ブッダは世間に生まれ、世間で暮らしているが、しかも世間に汚されることがない。-紅蓮華が水に汚されることがないように。」
ー「テーラガーター 仏弟子の告白」(岩波文庫)
148頁・第700偈、701偈
さて、今昔物語に話を戻すと、天竺部(インド編)の次の震旦部(中国編)巻六の第五に「鳩摩羅焔、仏を盗み奉りて震旦に伝えたる語(こと)」という話があって、その終りの方の「この聖人、無常の文を誦し給ける也、その文に云わく」みたいな文章の後に「處世界如虚空 如蓮華不著水 心清浄超於彼 稽首礼無上尊」と書かれている。
岩波文庫版の脚注ではまず和訳があって、その後に「法華懺法や例時作法でも用いられる偈」という説明があるだけだ。
だからさらに詳しい説明が必要な方は、僭越ながら
を読んで頂ければ幸いです。
※ ※ ※
ブッダが成道後7年目に天に登った時に、コーサンビーの都に住むウデーナ国王(優填大王)が、ブッダが地上におられないことを悲しみ、毘首竭摩(びしゅかつま)に命じてブッダに生き写しの像を造らせた。
仏像はやがて中国の五台山に伝えられ、東大寺の僧、奝然(ちょうねん)が唐に留学の際に模刻して日本に持ち帰った。それが嵯峨の釈迦堂(清凉寺)に伝えられて、インド・中国・日本「三国伝来の釈迦如来」と称されることになった。
ブッダが天上でマーヤー夫人に説法したという伝説はパーリ仏典にもあるが、ブッダの不在を寂しがったウデーナ王が仏像を彫らせたという伝説はパーリ仏典にはなく、大乗仏教における漢訳増一阿含経にのみ伝わる説話だ。
この像を彫刻したと伝えられる毘首羯摩とは、インドの工芸神ヴィシュヴァカルマンのことで、インド神話におけるヴィシュヴァカルマンはヤマ王(閻魔王)の宮殿や叙事詩「ラーマーヤナ」では鬼王が住むとされるランカ島(スリランカ)など、いろんな神話的建造物の製作者だとされているリグ・ヴェーダ以来の古い神で、今も建築・工芸・機械・職工などの神として、インドの人々に信仰されている。
ブッダガヤの日本寺でヴィシュヴァカルマン・プージャの祝日にインド人職員たちに請われて、お寺の停電時に使う発電機の前で、般若心経を唱えて祈願供養したことなどを懐かしく思い出す。
おしまい。
※「ホームページ アジアのお坊さん 本編」もご覧ください。