CASUALTIES OF WAR (1989)
【casualty】とは=負傷者・死者の意味
【戦争】という大きなテーマを扱った映画は、そのテーマの難しさゆえ、鑑賞後にいまひとつ釈然としない作品も多い。
アカデミー賞作品賞を受賞し、大絶賛された『プラトーン』ですら、公開当時 映画館で観た後
なにか納得できない気持ちがあったように思う。
本作『カジュアリティーズ』も、最初に映画館で観た時は、ラストの締め方に不満を持った記憶がある。
しかし、それからもう四半世紀も経った今、納得できる【戦争映画】として真っ先に思い出すのが本作であるのも事実。
それは、最初観た時に 展開が弱いと感じた終盤が、実はだからこそリアルなのであり、
本来ケレンミのある演出が得意なブライアン・デ・パルマ監督が、
本作では実話をもとに真剣に戦争というものと向き合おうとしているのが、
観れば観るほど伝わってくるからやと思う。
ベトナム戦争時に実際に起こった アメリカ軍の兵士による戦争犯罪。
アメリカ人兵士がベトナムの少女をさらって、強姦・殺人をしたという
アメリカにとっては触れられたくないような事実を扱った作品を、アメリカのメジャースタジオが製作・公開した意義は大きかったと思うけど、
当時はそれほど評価はされず、話題性が高かったにもかかわらず 興行的にも振るわなかった。
DVDに収録されてる 主演のマイケル・J・フォックスのインタビューを今回初めて観たけど、
彼は当然本作への出演を誇りに思っているし、公開当時は不当な評価を受けたとはいえ、
時が経ち、名作として認知されて現在に至っていることに満足しているように見えました。
国の大義名分はともかく、人間同士が殺し合う戦争というものは、人間が行う最も愚かな行為のひとつやとボクは思いますが、
戦争というものが 相手の人間を殺してしまうだけではなく、
兵士自身の人格までをも壊してしまうという点に鋭く踏み込んでいる本作に
戦争の本質を見たような気がしました。
しかし、こんな地獄には 本当に経験した人間にしか分からない凄まじい恐ろしさがあるはず。
人を殺して まともな精神状態でいられる方が少ないやろう。
公開当時はショーン・ペンの 彼らしいアクの強い演技で、ただただ憎たらしかった軍曹が、
今観ると‘戦争の被害者’の一人に見えた。
しかし、彼がベトナムの少女に犯した行為はまぎれもなく加害者のそれだ。
テーマが重いゆえに、そんなに何回も観たわけではなく、今回もおそらく10年以上ぶりに観たような気がするけど、
ボクには本作で忘れられないセリフがある。
少女を誘拐することに、分隊の中で唯一ハッキリと異を唱えた
エリクソン上等兵(マイケル・J・フォックス)の言葉―
「俺たち間違ってないか?
何か勘違いしている」
「いつ吹き飛ばされるか分からない。
だから何をしてもいいと。
何も構わなくなる」
「だが きっと逆なんだ。
大切な事は反対だ」
「いつ死ぬか分からないからこそ―
よけいに考えるべきなんだ。
構うべきだ。
きっとそれが大切なんだ」
エリクソンは少女のことを常に心配しつつも、仲間の暴走を止めることはできなかった。
一度、少女を救い出すチャンスがあったが、
仲間を撃つことはできず、結果 少女は仲間の手で無残な死を遂げる…。
終盤を少女との逃避行にしたら、映画としてはすごく盛り上がったと思うが、
実話とはこういうものやろう。
戦場では仲間と協力しないと敵にやられてしまう。
少女を救いたいと思う一人の人間としてのエリクソンと
兵士としてのエリクソンの行動は相容れなかったといえる。
それは 戦場では人間性をも置き去りにしないといけないということなんやと思う。
戦争犯罪を告発しても、隠蔽されようとしてしまうところも戦争の現実のひとつなんやろう。
この戦争の現実を【悪夢】のように描いたラストシーンに、初見の時は違和感をおぼえた記憶があるが、
今回の鑑賞でその印象は180度変わった。
少女を助けることができなかったエリクソンは、その後悔と懺悔の気持ちを一生背負うことになる。
普通の社会生活に戻っても、戦争の悪夢を見たのはそういうことやと思う。
デ・パルマ監督は
戦争で失うのは命や五体満足な体だけではなく、
その心までをも一生苦しめてしまうということを伝えたかったんやと今は思う。
一度【戦争】という大きな間違いを犯してしまったら、
それは、戦地ではない日常の世界にも、未来にも暗い影を落とし続けるということなんやと思いました。