今日は朝から寝不足です。ゲロー

次女1歳が土曜日から熱発して、なかなか熱が下がらず、夜不機嫌になっております。

いつもは、妻がおっぱい飲ませて寝かしてくれるのですが、近々、出張が入るため

「そろそろ、ミルクに慣らそう!」

と思い立ったが吉日生活。ウインク

次女1歳を抱っこして眠る事に。

ちょくちょく起きるのですが、ミルク拒否、ユラユラ揺すったりすると寝てくれます。真顔

熱も出てるので、OS-1のゼリータイプも飲ませようとしたのですが、全く受け付けません。真顔

夜中の3時を回って、こちらはほとんど寝れないまま、自分の喉が渇き、スタバのタンブラーに水道水を注いで、ガブ飲みしたところ、

次女1歳が、タンブラーのフチを「がしっ!」と掴んでいます。滝汗

まさか、と思いながら、タンブラーを口に近づけると、ガブ飲みです・・・。

(ミルクじゃなくてもいいのかい!)というか、OS-1の立場って一体・・・。ポーン

まあ、その後は落ち着いて寝てくれたからいいのですが…。

(ってなるかーー!頼むからミルク飲んで寝てくれ〜〜!)ムキー

心の叫びです。許してあげてください。

結局、4時すぎに眠りました。

その後、7時に起こされました。グロッキー状態です。
長男の幼稚園に間に合わない!グハァ!ゲロー

おっぱいがあるとはいえ、いつもこの負担に耐えてくれている妻にありがとうと、

これからは、頑張るよと思いながら起きました。


追記
10月に入ってから、寝かしつけに豆乳がよく効くことが分かりました。よろしければ、お試しください。



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過去記事で、教師を目指したきっかけについて、小学校4年生の時の担任の先生のお話をしましたが↓
実は続きがありまして、小学校5年生の時の担任の先生にも、大変お世話になっております。滝汗

(悪い意味で…。)

あまりにアホな話で、「そんなことやってたやつが教員やってていいのかよ!」とツッコミをいただきそうなのですが、お手柔らかにお願いいたします。滝汗

小学校4年生の1月に父が他界してから、5年生の時は非常に荒れていたようでございます。

当時、隣のクラスの担任だった先生と同じ職場になった時、すっかり忘れていた悪事を思い出せていただきました。

ケンカして、机を放り投げたとか?滝汗

給食の食缶を運ぶのが面倒だからと言って階段の下に放り投げたとか?滝汗

覚えて無いので、違う人のことかと思いました。でも、どうも事実らしいです。
(当時の職員室内では有名人だったらしく、採用されてから研修会の時などに知らない先生に見つめられて、名前をズバリ言い当てあられてたりしたこと2回ほど…。)

ただ、自分で覚えている範囲でも、充分、最悪な事があります。

当時、荒れていたというのは記憶にもあって、友人関係を調べるアンケートに「友達なんていない。」と書いたことがありました。

5年生の担任の先生はとても気にして下さって、毎日、放課後、私を呼び出して生徒指導して下さりました。

当時、学校では「闘いゴッコ」が流行っていて、毎休み時間、友達とじゃれてエスカレートしてケンカになるということを繰り返していたのですが、先生はそのことに触れて、

「いつも遊んでいるあの子達は友達じゃ無いの?」

それに対して、私は

「いつも遊んでいても、相手が友達と思っているか分からないから、友達とは言えない。」

などと意味のわからない言い訳をしたり…。

たぶん言い訳が本当に酷かったのだと思いますが、ビンタをされて、口の中から血が出たことがあって「血が出るぐらい強く叩くなんて体罰ですよ。」と食ってかかったり…。

結局、私が折れて「友達はいます。」というまで毎日粘り強く指導して下さりました。

その後も、授業でノートを一切取らず、「全部覚えるようにしているからいいのだ。」とか、

「これからはパソコンの時代だから、字を書くのは必要無い。」とか、

友達と鉄棒にぶら下がって足で闘って落とす遊びをして、相手を頭から落としてしまい、その相手も死んだフリをしたので、救急車を呼ぶ騒ぎになったり…。

今もし自分が担任したら、発狂しているのでは?と思うほどの横暴ぶりですが、本当に粘り強く指導して下さりました。

おかげで、少しは?だいぶ?まとも?になったと思いますし、

自分の様に荒れている子の手助けができれば…。という想いで教員生活を送ってきました。

しかも、僻地勤務している時に、知り合いの先生を伝ってこの5年生の時の担任の先生が会いに来ていただいたりもして、

「ごめんね。あの時は、あなたのことわかってあげられなくて、もっといい関わりができたかもしれないけど。」

なんて、本当にありがたい言葉もいただきました。

先生、本当にありがとうございます。
おかげ様で、なんとか1人の社会人として生活する事が出来ております。

これからも頑張りますので、どうかお許しください。












ずっと前から書こうかどうか悩んでいた


「教師を目指したきっかけ」

について書こうと思います。

簡単に言うと、小学校の時の先生方に大変お世話になったからなのですが、

特に、小学校4、5、6年生の時の担任の先生方には、ものすごく感謝しています。

私が小学校4年生の時の担任の先生はとても型破りな方で、

当時流行りはじめていた「ゲームボーイ」を学校に持ってきてもいい。とか、ミニ四駆もオッケーという先生でした。
(ウィキペディアから写真お借りしました。)

先生が常々おっしゃっていた事は「けじめ」で、

「遊び道具を学校に持って来てもいいけど、授業の時と休み時間のけじめをつけられないならダメだ。」という指導方針でした。

「ゲームボーイ」については、

「学校は友達を作りにくる場所だから、1人でゲームをしているのは良くない。誰かに貸してと言われたら必ず貸して、友達を作る道具として使うなら持ってきてもいい。」ということでした。

今でも、覚えているし、筋の通った指導だと思います。ただ、近年の教員の方には全く受け入れられない考え方かもしれません。

最近では「休み時間」ではなく、「学習準備時間」だからという理由で、コマや将棋、メンコ、ヨーヨーなどの遊び道具も消えつつあります。




しかも遊び道具だけでなく、シャープペンシルやカッターなど文具の一部も学校への持ち込みが禁止されている場合があります。

シャープペンシルの場合、芯を少し出して爪で折って芯を飛ばして遊ぶ事例があったとか。

話題が逸れてしまいましたが、

今の学校現場では到底受け入れられないことを受け入れてくれる度量のある先生で、子供ながらに大好きな先生でした。

先生の特技は「オナラ」で、授業中突然、オナラをするので「プー◯◯先生」というあだ名をつけられていました。

私自身は、ケンカして、両成敗でゲンコツ食らったり、毎日家庭学習やらずに居残りさせられたり、という感じでしたが、毎日楽しく暮らしていました。

小学校4年生の1月、白血病で闘病中だった父が亡くなり、告別式に先生はクラス代表の子も連れて来てくれました。

3月になったある日曜日、家でくつろいでいると、電話がかかってきて、当時5歳の弟が電話を取り、

もぐもぐ「もしもし、あー。プー◯◯先生ですか?」というので慌てて受話器を奪い取り、

滝汗「すみません。先生、何かご用ですか?」というと

「学校においで。」というので、「ハイ!」の二つ返事で学校に行きました。

すると、もう1人、同級生も来ていて、車に乗って水辺のある公園に連れて行ってもいただきました。


楽しく遊んで帰ったし、何も考えていなかったので、「先生ありがとうございます。」という感じだったのですが、

後になって考えると、もう1人の同級生もお父さんが亡くなった母子家庭で、なかなか遠くに遊びに行く機会がないだろうという配慮があったのでは?と思います。

小学校4年生の時は、良く分かっていなかったけど、この時の担任の先生の関わりが、とてもありがたくて、後々、自分もこんな先生になりたいと思うきっかけになりました。

休みの日に、学級の子を遊びに連れていくとか、遊び道具を学校に持ってきてもいいとか、

最近の学校では到底無理なことばかりですが、とても人間的な関わりをしていただいたと、感謝しています。

先生、本当にありがとうございました。



職場の後輩が知り合いに紹介してくれるということだったので、モンテッソーリ教育系の記事のリンクを貼っておきます。


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