ビッグマックはもういらない

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e i r o k u s u k e

plain living, high thinking

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【年間3-4件の設計依頼受注も】Yahoo!知恵袋で相談回答が可能な建築家様募集のお知らせ

というタイトルのネット営業メールが届きました。
サイトに挙げているメールアドレス宛です。こちらの社名と氏名を記載したものですが、本文はフォーマットで書かれたものです。

以下、本文を引用すると、

この度、弊社パートナーである「Yahoo!知恵袋」というQ&Aサイトで、
生活者や企業の相談に乗ってくださる「プロ回答者」を新たに募集する
こととなりまして、貴サイトを拝見しご連絡させていただきました。

ぜひ、建築家様のポジションとして
ご参加をいただきたいと考えております。

突然のご連絡となりまして大変恐縮ではございますが、
ご興味・ご関心を持っていただけるようでございましたら、
ぜひ以下の企画詳細をご覧くださいませ。

というものです。
その下には企画概要資料のリンク先が貼っていて、チラシみたいなPDFが2枚、おそらくA4裏表イメージのものがありました。
その表面は下のものです。



メールを読み進めて行くと、応募要項が出てきます。

――――――――――――――――――――――――――――――
 応募要項・お申込方法
――――――――――――――――――――――――――――――
■システム利用料金
・初期費用:37,800円
・月額基本料金:4,320円
・成果に基づく追加課金:0円
・決済機能を利用した場合の従量課金:15%

■ご登録条件
・直近3年以内に2年以上、該当専門領域の業務に従事していること。
・お名前(ビジネスネーム可)と顔写真を公開して活動ができること。
・Yahoo!知恵袋へ定期的に回答の投稿ができること。

■お申込方法
・下記の資料請求フォームより資料をご確認いただけます。

続いて資料請求のリンク先が載っています。

びっくりです。
2年以上の専門分野に従事している専門家に知恵袋で回答してもらうために、その専門家からお金を徴収するってどういうこと?
これってたとえば建築家が図面書いたものをクライアントにお金を添えて渡すってことじゃないか。
設計料をマイナス請求させるんか。
医者に診てもらって医者からお金もらうんか?

Yahoo!どうなってるねん。


1月に書いた記事「第38回日本アカデミー賞優秀賞決定」と一字違いです。
2月末に第38回日本アカデミー賞授賞式が行なわれ、各最優秀賞が発表されました。
1月に書いた記事「第38回日本アカデミー賞優秀賞決定」でこうなったらいいなと書いた通りになりました。
おめでとうございます。

この受賞がどういうことなのかグルメ界に例えてみました。

レストラン、シェフ、オーナー、メニュー、店の内装などいろいろなジャンルに賞を授ける日本グルメアカデミー賞というものが仮にあるとします。
今年も、有名ホテルに入っている高級レストランやミシュランで星をもらった名店、有名店から独立したシェフのこだわりの店などがノミネートされていて、どの店が、誰が受賞するのかが期待されています。

そんななか最優秀作品賞を受賞したのがなんとビックマックだった!

という結果です。

日本アカデミー賞公式サイトはこちら▶


小松菜奈が擬人化されたトリセツに扮してカフェの客(長谷川博己)に「愛って何ですか?」と訊くところで終わるこのCMの続きは一体どうなるのかを考えてみた。
感情をプログラミングされていない人工知能に愛を説明することはむつかしい。
しかしトリセツ側からすれば、愛が何かを知らなければ彼が「その優しさ、愛ですね」と言うことはできないはず。だから彼はちゃんと説明できるはずだと考えている。

哲学的問題ですね。エロスですね。

一方でこのCMの主題の本当の狙いを考えてみると、メーカーの意図とは反してCM制作側の隠されたコンセプトがあるんじゃないかということにたどり着きます。

このCMはダイハツ新型ムーヴの「安全性能」篇というタイトルが付けられていて、後方誤発進抑制制御機能を説明することが目的です。
その後方誤発進抑制制御機能というのは簡単にいうと人間の生命財産を守るための機能です。
そしてその機能には感情がプログラミングされていない、愛とはなにかもわからない人工知能であるということが描かれています。
私たちはそんな機械に命を預けなさいというコマーシャルなのです。
そしてこうした制御機能はどんどん進化を遂げて人類を安全で安心なものにしますとそのうち言ってくるに違いありません。
人間から「気をつける」という能力をすべてわれわれトリセツ側に預ければいいんです、愛なんてわからないけど。
と描かれていると見ることができます。
擬人化されたトリセツがどことなく頼りないキャラクターとして描くことで、本当にこのままでいいの?と問題提起していると見ることができます。

日本が世界に恥じる最も滑稽な映画賞日本アカデミー賞の優秀賞が発表されました。名前はすごく立派に聞こえるけれど、こんな賞をもらって本当に嬉しがっている映画人っているのかはすごく疑問です。
去年最も興行成績がよかった邦画は『永遠の0』でその次が『STAND BY ME ドラえもん』という記事をどこかで目にしました。共に80億円台だったと思います。100億に届かなかったのがせめてもの救い。ちなみに洋画のベスト1は考えるまでもなく『アナと雪の女王』で250億円を超えています。まさに桁違いの大ヒット。

さて、話を日本アカデミー賞に戻します。
この賞はほかのどんな映画賞にも劣る理由はノミネートがそのまま受賞になっていることです。各部門でノミネートされることは同時に優秀賞を受賞したことになり、その優秀賞のなかから最優秀賞を決めるという仕組みです。これだと売れっ子俳優は毎年のように優秀賞は受賞することになります。むしろ今年はもらえんかったと思うくらいになるわけです。
公式サイトにも発表されている通り優秀作品賞は『永遠の0』(東宝)『紙の月』(松竹)『小さいおうち』(松竹)『蜩ノ記』(東宝)『ふしぎな岬の物語』(東映)の5作品です。作品名の後に括弧書きしているのは配給映画会社です。なんだか大手映画会社がバランスよく入賞しているように見えますね。気のせいだと思いますけれど。

ぼくはこの候補作では『永遠の0』と『紙の月』しか見ていません。『小さいおうち』は確か来月あたりにWOWOWで放送されるので見ようとは思いますが、他の三作を見ずに言うのはアンフェアであることを知りながら言います。

最優秀作品はぜひ『永遠の0』に採って欲しいと思います。

昨年見たなかで最も見たことを後悔させた映画、この程度の手を抜いた演出で人は泣くだろうという人を莫迦にした演出、ただの特撮監督であり人間を描けない監督、熱演の俳優を台無しにする監督で、なのに興行成績だけはいい山崎貴監督こそ受賞に相応しいからです。

間違っても、原作を主題から見直し、より高度なものへとジャンプさせた『紙の月』であってはなりません。日本アカデミー賞はそんな面倒な作品に授与するものではいけないのです。むつかしいことはわからなくてもいいんです。適当になんか内輪で盛り上がってほろ酔いで拍手もらえばいいんです。

楽しみですね。
クリストファー・ノーラン監督最新作。SF映画の巨岩『2001年宇宙の旅』に真正面から挑んだ作品と言えます。

さっぱりわからんかったけれど激烈に感動した、というのが初見の正直な感想です。
この「さっぱりわからん」も含めて『2001年』的であると言えます。
多くの映画ファンが大傑作と認める『2001年』は一体なんの話なのか分かっている人は多くいません。だけど、多くの人を感動させ、20世紀最高のSF映画と挙げられる作品になってます。
ネットでレビューをいくつか検索してみると涙したという感想の間に、これのどこがええねん、という感想も見受けられるということからも、この作品が大傑作となって映画史に残る可能性が高そうに思えます。

ここでは、さっぱりわからんかった筆者に多くを語ることができませんので、いくつかの映画と比較して感想を書いてみたいと思います。

一年前のSF大作『ゼロ・グラビティ』とは真逆の作品である

同じ宇宙もののSF映画として最近のとんでもない力作で本当はアカデミー賞作品賞を獲るはずだった『ゼロ・グラビティ』とは映画技術でみると真逆の作品です。
『ゼロ・グラビティ』は映画史の最先端を行くテクノロジーを駆使し、もっというとこの映画を撮るために新しい撮影技術を開発して創られた100%デジタル撮影の作品です。本来撮影後に映像処理するために使うCGを先に作り込んで、その映像に俳優たちをはめ込むという逆のことを行なっています。そのためにあらゆる動きを同期させると言うかなり難易度高いことをやっているのです。
『インターステラー』は同じ宇宙もののSF映画にも関わらずフィルムで撮影しています。35mmとIMAX70mmフィルムだそうです。
CG処理は特撮時のワイヤーなどを消す作業程度にしか使っていません。
そのため全部実物大のセットやミニチュアを創って撮っているのはもちろんです。
つまり1968年に発表された『2001年』当時の技術でほぼ撮られています。六角形のレンズフレアが写っているのはそのためです。
クリストファー・ノーラン曰く、フィルムで撮られたものの方がリアルであり、デジタルで撮影されたものはどうもコンピューターゲームみたいで好きじゃないということなのです。
また黒がデジタルではどうしても真っ黒にはならないということもフィルムを選んだ理由として挙げています。

『未知との遭遇』

監督は『2001年』だけでなく多くのSF映画からの影響を認めています。『ブレードランナー』『エイリアン』『スター・ウォーズ』『E.T.』『ライトスタッフ』、タルコフスキーの『惑星ソラリス』『鏡』などを挙げています。
またこの映画は最初はスティーヴン・スピルバーグが撮るはずでした。『コンタクト』をコーディネートした理論物理学者キップ・ソーンが立案したものをスピルバーグが撮ることとなりスピルバーグに雇われたジョナサン・ノーランが脚本を書いていた経緯があります。
ところがスピルバーグのドリームワークスがパラマウントからディズニーに移ったためにパラマウントが新たに監督を探すことになり、ジョナサンが兄のクリストファー・ノーランを推薦したのです。
そういう経緯があり、物語には壮大なテーマを家族に集約させるという手法を採っています。
家族を棄てて宇宙に旅経つという設定は『未知との遭遇』そのものです。そういう視点で『インターステラー』を見てみるのも面白いと思います。

『インセプション』

クリストファー・ノーラン作品の近作『インセプション』と比べてみても面白い。
こちらは夢の中の物語で、夢の中で夢を見るなどと自分の意識の下へ下への入って行く物語であるのに対して、『インターステラー』は逆に宇宙の上へ上へと向かっていく物語です。
自分の意識の奥へ行くに従ってどろどろとしたものからやがて砂漠のような風景となることを描いた『インセプション』を撮ったクリストファー・ノーランが宇宙をどう描くのかという見方で見るのは面白いです。
また、クリストファー・ノーランはキャスティングが絶妙な監督であると言えます。
たとえば『インセプション』ではエディット・ピアフの曲が重要な役割を果たしていますが、そのエディット・ピアフを演じたマリオン・コテアールを主人公の自殺した妻として出演させ、主役のディカプリオは『インセプション』出演前に出た『レボリューショナリー・ロード』と『シャッタ・アイランド』では妻を死なせてしまった役を演じています。
観客が映画を見る時にその俳優が演じた背景を無視して見ることができないことを巧みに利用しているとも言えます。
今回もそういうキャスティングがあります。


宇宙物理学に関してはちんぷんかんぷんですが

最後に宇宙物理学の知識があった方が楽しく見られると思いますが、物理学というだけでアレルギー症状を起こす人も少なくないと思います。
別にわからなくても大丈夫です。
後半のクライマックスに向けて「この際相対性理論はどうでもいい」という台詞が出てきますから。
その上で、ひとつだけ触れておきたいのが5次元です。
1次元:線
2次元:面
3次元:立体
というのは基礎知識として、次に、4次元という時に一般的に言われているのが「時間」です。
それはまあ同意するとして、5次元めの軸は一体なんなのか。
映画の中でアン・ハサウェイが、そのことについて語るシーンがあります。
それは一体なんなのか、に注目してご覧になると面白いと思います。

クリストファー・ノーランと言えば音楽はハンス・ジマーが常連ですが、今回はダークナイトシリーズなどで耳にするハンズ節みたいなものは消えた新しい音楽になっていると思います。

なんだか全然書き足りませんが、とりあえずは初見の感想ということで。

今年のぼくの映画鑑賞歴は『ゼロ・グラビティ』にはじまり『インターステラー』に終わりそうです。

intersteller

去年見た190本の映画のなかで一番よかったのが『ブエノスアイレス恋愛事情』というアルゼンチン映画でした。
WOWOW放映で見たのですが、その後劇場公開が決まり幸運にも今年の2月18日に劇場で見ることもできました。
本編ラストに「字幕:比嘉セツ」とクレジットされていました。
スペイン語の翻訳なので初めて目にする名前だなと思って帰りにパンフレットを買うと、編集後記に「Action Inc. 比嘉セツ」と記名されていたのです。

平日は朝食時にNHK-BSのワールドニュースを見ています。各国のニュースを同時通訳で放送する番組ですが、スペインTVEのニュースになると同時通訳者に「比嘉世津子」と出てくることがあります。スペイン語やし、同じ人や!と一人心の中で叫んでいました。
ちょうどそんな頃、ETVの「テレビでスペイン語」という番組で比嘉セツさんがゲスト出演するというのを知り、わくわくしながら放送を待ちました。放送日は7月3日の深夜0時からの25分番組。日付では7月4日ということですが、ラスト5分に登場しました。
比嘉さんの活動が紹介されてました。
10年前にある映画に出会い、それを買い付けてから今の映画配給会社Action Inc. を立ち上げてこれまで10本の映画をたったひとりで公開してきたこと、字幕だけでなく広報活動はもちろん、ポスターやパンフレットづくりもすべてひとりで手掛けられていることなど、です。すごい人だったのです。
番組最後に好きなスペイン語を紹介するコーナーがあり、"Más vale tarde que nunca." と自著された色紙を手にされると画面下に「始めるのに遅すぎることはない」とテロップがつきました。
比嘉さんご自身がはじめて映画の仕事を始めたのが44歳だったというエピソードを披露され、ご自身へのエールを込めた言葉なんだなとじんときました。テレビで見る比嘉さんはとても輝いていて素敵な人でした。いつか比嘉さんにお会いできたらいいなと強く感じた夜でした。

前置きが長くなりましたが、この映画『ルイーサ』はそんな比嘉さんが主宰するAction Inc.が配給するアルゼンチン映画です。

この後は映画の内容に深く触れてしまうことをお断りします。

物語はブエノスアイレスで猫と暮らす59歳のルイーサは、いつも判で押したような規則正しい生活をしています。
まずは目覚まし時計のようにきっかりと同じ時間に猫に起こしてもらい、床を軽く清掃しながら朝食をとり、決まった時間のバスに乗り、全く同じ道順を同じ歩幅で通勤し、同じ時刻に出勤しては、同じ時刻に帰宅する生活です。
そんなある日、寝過ごしてしまいます。ルイーサはその寝坊の理由が猫の死であることを知り、途方に暮れながら出勤しますが、なんと解雇されてしまいます。あと1年足らずで定年を迎えることができるというのに猫の死をきっかけに彼女の人生設計が狂ってしまったのです。しかもまずいことに銀行にはわずかなお金しか残っていません。
そんなルイーサが猫の埋葬費を稼ぐためにこれまでの規則正しい生活を破り、はじめて地下鉄に乗り、行動を開始するという物語です。

はっきりとは描かれていないのですが、かつてルイーサは夫と娘を同時に交通事故で亡くしてたようです。
深い悲しみから気を逸らすように感情を一切排除した規則的な生活を営んでいたということがわかります。
そしてそうした悲しみをマスクで隠した暮らしているうちに顔から表情が消えてゆき、もしかしたらそれが解雇に繋がっているのかもしれません。唯一の友達である猫を失ったときも、涙を流さなかったのです。
これ以上の不幸を恐れて人嫌いになっていたようにも見えます。

そんなルイーサが猫の死をきっかけに孤軍奮闘し、人生を再出発しようとする映画です。

そうです、これは比嘉セツさんの好きなことば「始めるのに遅すぎることはない」そのものなのです。

感情を殺し、人を避けてきた暮らしだったかもしれないけれど、そんなルイーサでも自分のことを見てくれる人がいる。それがわかったとき、ルイーサはなにかを取り戻すのです。大切なものを得るのです。
カメラワークもそういう彼女の心情を繊細に表現しています。
決して派手ではないけれども、ヒロインも高齢のしかめっ面だけど、それでもいいんです。
そういう心に沁みる作品です。

この映画を見たのは7月12日土曜日、十三にある第七藝術劇場という小さな名画座でした。
見終わって客席からロビーに出ると売店のカウンターになんと比嘉セツさんが立っているではありませんか。
間違いなくご本人です。この上ないサプライズです。
不躾ながら「比嘉さん!」と思わず声を掛けて少しお話もできました。
「映画どうでしたか?」と訊かれ、いつも感想が言葉になるのに一日はかかってしまうためにしどろもどろでしたが、なんとか言葉にしてみました。
比嘉さんは笑って「よかった。この映画は銀残しなんですよ」と教えて下さいました。テレビで見た通りの、いやそれ以上に魅力的な人でした。人見知りのぼくにも気さくにお話しして下さったなんてこれ以上のことはありません。でも、そうはいうものの記念撮影したかったなあ。

そんな幸福のおまけのついた作品です。

『ルイーサ』公式サイト:www.action-inc.co.jp/luisa/index.html


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ニール・ブロムカンプ監督の傑作SF『第9地区』に次ぐ作品です。本作品ではなんとマット・デイモンが主演し、ジョディ・フォスターも出演します。すごいグレードアップです。
地球環境が悪化したために超富裕層がスペースコロニーに居住し、そこに住めない人々が劣悪な環境下の地球でスペースコロニー監視下で貧困に喘ぎながら暮らすしている、という近未来SFにありがちな設定です。
ぼくが好きな映画『ブレードランナー』でも地球がディストピアと描かれていますが、同じロサンゼルスが舞台で時代設定も含めてその延長線上にあると言えます。
さらに遡ると、階層化された社会の分断を描いた傑作SFに『メトロポリス』があります。こちらは地上の超高層に住むブルジョア層と日も当たらない地下で奴隷のように働かされる労働者階級に二分して描いています。
映画ではしばしば現実社会への問題提起としてSFやホラーという表現形式をつかいますが、本作もそうです。
本作は医療問題が主題ですが、かなりわかりやすいかたちで表現されています。
前作『第9地区』では南アフリカのアパルトヘイト政策をエイリアンという形で表現していたのに対し、『エリジウム』は高度に発達した医療はつまるところ金持ちのためにしかないと言う物語です。
その主題については、映画を見ればだれでもわかるレベルで描かれていますので、今回は別のところについて少し触れたいと思います。
『第9地区』をご覧になった人はわかると思いますが、ニール・ブロムカンプは恐らく趣味として戦闘機や兵器が好きなんだなと思います。
そこはあまり詳しくないためにぼくは書けませんが、2作を通じてかなりリアルに表現していると思います。共にスラム街が舞台となっていますが、その中古っぷりやぼろぼろ具合が共通している気がします。
また、本作で表現されているものに、パワードスーツとスペースコロニーがあります。
パワードスーツが映画で初めて登場したのは1986年ジェームズ・キャメロン監督作品『エイリアン2』ではないかと思います。
『エイリアン2』ではパワーローダーという進化したフォークリフトのようなデザインで出てきますが、そのフォークリフトをパワードスーツとしてエイリアンと闘うためにシガニー・ウィーバーが装着します。
スペースコロニーもかなりしっかりと描かれています。ぼくが注目したのは、オープンエアでそのまま宇宙空間に開放しているというところです。遠心力を利用して大気層をつくっているんだとわかりますが、このスペースコロニーについて勉強しておくべきだと思いました。

あと、近未来のディストピア社会を描く上で必要不可欠な高度に管理化された社会についてもかなりわかりやすく表現されています。一例は、冗談の通じないロボットのような役人たちをそのままロボットとして登場しています。
そして、この映画で描かれていることは、残念ながらSFという絵空事ではなく、視覚化されていないだけで、既に現実になっています。
舞台は2154年ロサンゼルスですが、これはSFではなく、現実社会を少しだけディフォルメした物語であるといえます。


インポッシブル
2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震後の津波に遭遇したある家族の実話をもとに描かれた映画です。
津波を体験するということはどういうことなのかを実感できる映画です。

日本では東日本大震災で起こった津波の映像をNHKなどで多くの人が見ていると思いますし、実際に体験した人の話を聞くことも少なくないと思います。しかしながら、見聞きするものと体験することの間には大きな違いがあります。
この映画はその両者の大きな隔たりをかなり近くしてくれるものになっていると断言します。

 実際に津波に遭うということはどういうことなのか。
 津波が引いた後はどうなっているのか。
 助かった後、体にはどんなことが起こるのか。
 その後人間はどういう行動をとるのか。

そういうことを克明に表現してくれています。

津波に関していろいろ見たり聞いたりするよりは2時間足らずのこの映画を見る方がいいと言い切ります。
最近よく見る「事実に基づく物語」というタイプに入るものになるのですが、この映画は見る人の経験にかなり近いものを与えてくれると思うからです。
そして、災害後に起きる物語に津波にも勝る感動的なシーンが幾度となく出てきます。

映画は、日本で働く一家が年末休暇にタイに行き、災害に巻き込まれる物語です。ユアン・マクレガーとナオミ・ワッツが夫婦役の三人の子供のいる家族が主演です。
ナオミ・ワッツは本当に巧いと思います。かなりハードな役だと思いますが彼女の演技がよりリアリティーを高めてくれていると思います。

ユアン・マクレガーとナオミ・ワッツ出演なのでハリウッド映画と思っていると、ちょっと映画の雰囲気が違うんです。調べてみると監督以下スタッフィはスペイン人で、スペイン映画でした。

オフィシャルとは思えない簡素な作りの公式サイト(http://impossible-movie.jp)にはメイキングのYouTubeが載っています。次にリンクを貼っておきますが、1/2スケールミニチュアを製作して撮っているシーンなど、フルCGとは違って手作り感溢れる特撮風景が紹介されています。


リドリー・スコット最新作『悪の法則』のブルーレイのオーディオ・コメンタリーで知ったのですが、スペインは国策として映画に力を入れているそうです。
スペインでスペイン人を雇用して外国映画を撮影すると補助金が出るそうです。詳しい条件はわかりませんが、リドリー・スコットによるとスペインロケを行ったために映画の予算が増えかなり助かったということらしいです。『悪の法則』にハビエル・バルデム、ペネロペ・クルスのスペイン人夫婦の俳優が出演している理由はもしかしたらそこにもあったのかもしれません。
話を『インポッシブル』に戻すと、もしかしたらこの作品も同じ理由でスペイン・アメリカ合作なのかもしれません。
推定の話はさておき、教育的作品として必見の映画だと思います。


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予告編を何度も見て、期待値がどんどん高くなり、見る前から自分の中でハードルを高くしてしまったために、本当はそこそこの傑作なのに評価が下がってしまうことがあります。
でも、今回の『GODZILLA』は大丈夫です! そんな高いハードルを軽々と超えてくれました!

一番しびれたのはゴジラの叫び声です。
これまでのいろんなサントラのなかでも群を抜いて凄い叫びでした。
他のどんな音とも質が違います。
特別な周波数が複雑に組み合わさったその叫びはわれわれに何かを訴えているようにも聞こえます。
怒れる神の声を表現しているに違いない。
今回のゴジラはその英語標記にある通り"GOD"として描かれているんだということが想像できます。
ストーリーでもそういう解釈をしていると言えます。

ゴジラ本体のデザインも東宝ゴジラの愛らしいキャラクターを継承しつつも新しいゴジラ像にチャレンジしています。
徐々にアニメキャラ化して頭が大きかったプロポーションに比べて、頭が小さくなり、子供受けの表情からきりりとした表情に変わったように見えます。
繊細な表情をすることで、ゴジラに感情移入できるようにもなっています。

つまり、レジェンダリー・ピクチャーズは本気でゴジラを造ってくれたということなんです。
製作総指揮の名前に"YOSHIMITSU BANNO"という名前がクレジットされていますが、この坂野義光は1971年の『ゴジラ対ヘドラ』の監督脚本を手掛けた東宝の重役だった人です。坂野義光を介してレジェンダリー・ピクチャーズは東宝に対してゴジラ生誕60周年に相応しいゴジラになっているかチェックを受けているようです。

トーマス・タルが2003年に設立した映画製作会社のレジェンダリー・ピクチャーズ(Legendary Pictures)はこれまで『ダークナイト』『マン・オブ・スティール』『パシフィック・リム』を製作してきたことから、子供向けや漫画のキャラクターを徹底的に現代社会のリアリティーを追求して、作り直すことを行なってきていると言えます。
つまり1954年に発表された『ゴジラ』第1作をどのように60年後の現在に受け継ぐのかということをかなり意識して作られています。
先に書いてしまうと、全体的に第1作へのリスペクトとゴジラそのものにたいする愛にあふれた作品になっていると強く感じました。
一番わかりやすいところでいうと、ほとんど主役級の重要な登場人物で渡辺謙が演じる博士の名前は "ISHIRO SERIZAWA" です。
漢字にすると芹沢猪四郎。
これは1954年の『ゴジラ』の監督本多猪四郎と最も重要な登場人物である科学者の芹沢大助の名前を合わせたものです。
最も重要な台詞の多くはこの芹沢博士だけが語ります。それくらいに重要な人物として描かれています。

そしてゴジラというキャラクターを考える上で避けて通れないものは「原子力」です。
そもそも1954年の『ゴジラ』が作られたのは1954年3月1日にアメリカが行なったビキニ環礁での水爆実験によって日本のマグロ漁船である第五福竜丸が被爆したことによります。
志村喬演じる山根博士が、度重なる原水爆実験によって太平洋海溝に異変が起き、ジュラ紀の生物である恐竜が蘇ったのだと自説を語るシーンがあります。
今回はその説を継承しつつ新しいアイディアを盛り込みました。そこはさすがレジェンダリー・ピクチャーズだなと感心しました。
その部分はオープニングクレジットのシークエンスで見事に表現されています。
不都合な真実は伏せ字で隠蔽されているということと隠蔽を実行するために原水爆実験が行なわれたと言う設定にしているんだなというのが読めてきます。
細かく説明すると、第1作ではゴジラの死とその死骸が回収不可能となったことで山根博士の説を裏付けることができていません。あくまで推測ということになっています。テレビ通販にある「個人の感想です」レベルです。それから60年経過した今、しかも原水爆実験を行なった側であるアメリカだからわかることがあるという設定になっています。

そしてそのオープニングクレジットのシークエンスを見ることで、前半ゴジラがしばらく登場しなくても私たちは待つことができます。
じらせばじらされるほど期待感は高まり、どう登場してくれるのかをわくわくして待つようになっています。
そしてついに登場するシーンでも見せ方がめちゃくちゃ上手い。うわーギャレス・エドワーズ天才や!と思います。
カメラが動く速さ、見える視野の広さなど完璧といえるくらいに巧いのです。バンザーイ!です。
もうこれ以上はいちいち書きませんので実際に見て下さい、と言いたいです。

話を少し戻してゴジラと原子力の話。
1954年3月1日に起きた第五福竜丸被爆事件から9か月後の11月3日に『ゴジラ』は完成しています。脚本は5月第1週に書かれたということですから製作期間はわずかに半年です。
当時の日本映画は敗戦後経済援助を受けていることから直接口にしにくかった反原水爆を怪獣映画と言う表現で行なったと言えます。
そして日本は2011年3月11日に東日本大震災から福島の原子力発電所の重大な事故が発生してから後、60年前のように日本映画界はなにかを表現したのかと言う問いに、日本映画界ではなくハリウッド映画が大胆にチャレンジしたと言えます。
ストーリーはまずは日本の原子力発電所がメルトダウンするところから始まり、津波を表現しているシーンもあります。
またぼくがすごくいいなと思ったのが、なんでもかんでも電子制御されてしまっている現代社会を痛烈に皮肉っているシーンがあって、その表現はかっこいいんです。

特にゴジラ生誕60周年と言う記念すべき年に日本からではなくアメリカで製作され、しかも全世界的に大成功を収めたのは嬉しくもあり、やや寂しくもあります。

日本で始まり、途中ハワイを経由してサンフランシスコに渡すと言うこのストーリーもゴジラと言う日本を象徴するアイコンがアメリカに上陸すると言う話でもあります。

見終わった感想のひとつに、実際に全世界で興行的に大成功したんだけれど、本当の意味で欧米人はこの『GODZILLA ゴジラ』を受け入れてくれたんだろうかとも思いました。
映画全体に東洋的あるいは日本的な思想を色濃く反映しているからです。
ゴジラに似たタイプのSF大作映画と言えばたとえば『アルマゲドン』のように人類(もしくはアメリカ人)に重大な被害を与える未知の怪物に対して戦うというパターンでは、最後は人類(あるいはアメリカ人)の知恵とテクノロジーによって克服するというものがほとんどです。というか全部そんなんです。
その根底には「人間が一番エラい!」という考え方があります。
神は自分に似せて人間を作ってその人間のために自然やら動物やらつまりは世界はあるとうい旧約聖書の物語があるからです。
もしこれまでのハリウッド映画であれば、なんとかしてアメリカ軍なり政府なりが解決するというストーリーになっていたと思いますが、今回はそういう考え方よりも、自然界に人間も住まわせてもらっているという日本になじみの深い考え方にかなり寄っているからです。
なので、もしそういう考え方も含めて受け入れてくれているとすれば、ゴジラがアメリカに上陸してもいいんだと思えます。

いろいろ書きましたが、そんなことはどうでもいいくらいに面白い映画です。

8月はくだらない映画ばかりでこの『GODZILLA』以外に見る映画なんかありませんので、ぜひ劇場で迫力あるゴジラの叫びを聴いて欲しいと思います。