映画『ルイーサ』 | ビッグマックはもういらない

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去年見た190本の映画のなかで一番よかったのが『ブエノスアイレス恋愛事情』というアルゼンチン映画でした。
WOWOW放映で見たのですが、その後劇場公開が決まり幸運にも今年の2月18日に劇場で見ることもできました。
本編ラストに「字幕:比嘉セツ」とクレジットされていました。
スペイン語の翻訳なので初めて目にする名前だなと思って帰りにパンフレットを買うと、編集後記に「Action Inc. 比嘉セツ」と記名されていたのです。

平日は朝食時にNHK-BSのワールドニュースを見ています。各国のニュースを同時通訳で放送する番組ですが、スペインTVEのニュースになると同時通訳者に「比嘉世津子」と出てくることがあります。スペイン語やし、同じ人や!と一人心の中で叫んでいました。
ちょうどそんな頃、ETVの「テレビでスペイン語」という番組で比嘉セツさんがゲスト出演するというのを知り、わくわくしながら放送を待ちました。放送日は7月3日の深夜0時からの25分番組。日付では7月4日ということですが、ラスト5分に登場しました。
比嘉さんの活動が紹介されてました。
10年前にある映画に出会い、それを買い付けてから今の映画配給会社Action Inc. を立ち上げてこれまで10本の映画をたったひとりで公開してきたこと、字幕だけでなく広報活動はもちろん、ポスターやパンフレットづくりもすべてひとりで手掛けられていることなど、です。すごい人だったのです。
番組最後に好きなスペイン語を紹介するコーナーがあり、"Más vale tarde que nunca." と自著された色紙を手にされると画面下に「始めるのに遅すぎることはない」とテロップがつきました。
比嘉さんご自身がはじめて映画の仕事を始めたのが44歳だったというエピソードを披露され、ご自身へのエールを込めた言葉なんだなとじんときました。テレビで見る比嘉さんはとても輝いていて素敵な人でした。いつか比嘉さんにお会いできたらいいなと強く感じた夜でした。

前置きが長くなりましたが、この映画『ルイーサ』はそんな比嘉さんが主宰するAction Inc.が配給するアルゼンチン映画です。

この後は映画の内容に深く触れてしまうことをお断りします。

物語はブエノスアイレスで猫と暮らす59歳のルイーサは、いつも判で押したような規則正しい生活をしています。
まずは目覚まし時計のようにきっかりと同じ時間に猫に起こしてもらい、床を軽く清掃しながら朝食をとり、決まった時間のバスに乗り、全く同じ道順を同じ歩幅で通勤し、同じ時刻に出勤しては、同じ時刻に帰宅する生活です。
そんなある日、寝過ごしてしまいます。ルイーサはその寝坊の理由が猫の死であることを知り、途方に暮れながら出勤しますが、なんと解雇されてしまいます。あと1年足らずで定年を迎えることができるというのに猫の死をきっかけに彼女の人生設計が狂ってしまったのです。しかもまずいことに銀行にはわずかなお金しか残っていません。
そんなルイーサが猫の埋葬費を稼ぐためにこれまでの規則正しい生活を破り、はじめて地下鉄に乗り、行動を開始するという物語です。

はっきりとは描かれていないのですが、かつてルイーサは夫と娘を同時に交通事故で亡くしてたようです。
深い悲しみから気を逸らすように感情を一切排除した規則的な生活を営んでいたということがわかります。
そしてそうした悲しみをマスクで隠した暮らしているうちに顔から表情が消えてゆき、もしかしたらそれが解雇に繋がっているのかもしれません。唯一の友達である猫を失ったときも、涙を流さなかったのです。
これ以上の不幸を恐れて人嫌いになっていたようにも見えます。

そんなルイーサが猫の死をきっかけに孤軍奮闘し、人生を再出発しようとする映画です。

そうです、これは比嘉セツさんの好きなことば「始めるのに遅すぎることはない」そのものなのです。

感情を殺し、人を避けてきた暮らしだったかもしれないけれど、そんなルイーサでも自分のことを見てくれる人がいる。それがわかったとき、ルイーサはなにかを取り戻すのです。大切なものを得るのです。
カメラワークもそういう彼女の心情を繊細に表現しています。
決して派手ではないけれども、ヒロインも高齢のしかめっ面だけど、それでもいいんです。
そういう心に沁みる作品です。

この映画を見たのは7月12日土曜日、十三にある第七藝術劇場という小さな名画座でした。
見終わって客席からロビーに出ると売店のカウンターになんと比嘉セツさんが立っているではありませんか。
間違いなくご本人です。この上ないサプライズです。
不躾ながら「比嘉さん!」と思わず声を掛けて少しお話もできました。
「映画どうでしたか?」と訊かれ、いつも感想が言葉になるのに一日はかかってしまうためにしどろもどろでしたが、なんとか言葉にしてみました。
比嘉さんは笑って「よかった。この映画は銀残しなんですよ」と教えて下さいました。テレビで見た通りの、いやそれ以上に魅力的な人でした。人見知りのぼくにも気さくにお話しして下さったなんてこれ以上のことはありません。でも、そうはいうものの記念撮影したかったなあ。

そんな幸福のおまけのついた作品です。

『ルイーサ』公式サイト:www.action-inc.co.jp/luisa/index.html


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