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ビッグマックはもういらない

e i r o k u s u k e

plain living, high thinking


日本が世界に誇る怪獣映画の第1作である『ゴジラ』を見てきました。
太平洋戦争終了からわずか9年後の昭和29年、西暦1954年に日本でこんなクオリティ高い映画を作っていたというのに驚きます。

1954年3月1日に行なわれたビキニ環礁の水爆実験によってマグロ漁船第五福竜丸が被爆したことがきっかけで『ゴジラ』の企画が立てられ、同年11月3日には公開されました。脚本をわずか1週間で書き上げ(5月初旬)撮影開始が8月7日、51日かけて9月下旬にクランク・アップしたということです。
今見ればちゃっちい特撮シーンもありますが、モノクロ画像と相まって迫力ある映像に仕上がっています。

若い女性が電車の中で友達との雑談で「長崎の原爆から逃れて東京にやってきたのに、ここでも放射能にやられるかもしれないって一体どこに行けばいいの」とさらっと口にするシーンもあったりします。
水爆実験からはじまったということ、また戦後わずか9年で戦後復興のためにアメリカから援助を受けていたというと言う社会的背景もあって、ただの勧善懲悪ものではないストーリーとなっているのも素晴らしい。

この映画関西地区では6月20日までの上映で、いつでも1,000円で見られます。
もし映画館でご覧になる場合は出来るだけ前の席でご覧になることをお勧めします。

「X-メン」シリーズを初体験しました。しかも、というかどうせなら3Dで。
TOHOシネマズの3Dメガネが改良されていて、メガネ on メガネでも装着しやすくなっているのが嬉しい。

DCコミックと並ぶ二大アメコミ出版社であるマーベル・コミックの代表作のひとつがこのXメンシリーズです。
DCコミックはスーパーマンとバットマンシリーズ、マーベル・コミックはスパイダーマン、アベンジャーズ、アイアンマンなど。
親会社は現在DCコミックがワーナー・ブラザース、マーベル・コミックはディズニーになってますが、このXメンシリーズは20世紀FOXです。

5月30日に公開されたばかりということと、1日の映画の日と言うことで、劇場はほぼ満席。観るのを決めたのが1時間前だったので、すでに最前列しか空いていませんでした。
なぜ観ることにしたのかといいますと、ジェニファー・ローレンスが全裸に近い状態で出演していると言うこととファン・ビンビンが出演していると言うスケベ心からでした。
ファン・ビンビン(范冰冰)ってびっくりするほど美人なんですが、この映画ではその美貌があまりうまく発揮されていませんでした。
名前がすごい。日本語の響きからとるとすごいAV女優なんかと思うような名前です。

さて、前置きが長くなりましたが、今回「フューチャー&パスト」というサブタイトルがついています。「未来と過去」じゃあかっこ良くないからカタカタにしたんでしょうね。Xメンの舞台はそもそも未来を舞台にしたSFものですが、本作では1973年とを行き来するストーリーとなっています。

過去に移動する理屈がよくわからなかったのですが、そこをあまり追求しても意味がなさそうです。
それよりも1973年に世界が大きく変わることのきっかけとなることが起こるのです。
ほかの作品を見ていないからわからないのですが、このXメンにはマイノリティたちの苦悩が主軸にあります。
黒人差別だったり、ハンディキャップを持っている人たち、同性愛者、人種差別を受けている人々をXメンとして描いています。

全然違う映画ですが、たまたま一昨日録り置きしていた映画『天使の分け前』というケン・ローチ監督の作品を観ましたが、この作品も同じく社会的弱者がどうやって生きて行くかを描いていました。ストーリーも表現方法も全く違いますが、実は同じテーマを描いていると思います。

このXメンシリーズの原作者はスタン・リーという漫画原作者でスパイダーマン、超人ハルクも彼の作品です。
社会からはじき出されたマイノリティが特殊能力を持つことで社会に認められようとする設定が多いように思います。
そのことについて考えていたのですが、多くのヒーローものは日本のウルトラマンシリーズも含めて、そういう設定が基本になっているのがほとんどなんだなということに気づきながら帰ってきました。

今年のバレンタインデーに同性愛者であることをカミングアウトしたエレン・ペイジが出演していることもよくできたキャスティングだなと思いました。
監督のブライアン・シンガーはユダヤ人でありゲイであることを公言していて、Xメンたちに投影されていることがわかってきます。



今年はじめての映画は1月3日に見た話題作の『ゼロ・グラビティ』です。
友達のFacebookへの書き込みもあってIMAXで見ようと探してみると最も近いところが109シネマズ箕面だったので、朝10:10の回に間に合うように車を飛ばしました。

ふざけているみたいに聞こえるかもしれませんが、この作品は今年ナンバーワンです。
もちろんこの映画が今年最初に見た映画なのでナンバーワンは当たり前だし、あと11か月もあるのに何をいうと言われそうですが、これまでの映画とは桁外れの大傑作であると言い切ります。

ブルーレイディスクと大型高画質テレビに加え、パソコン画面でネット配信されるなど、わざわざ劇場まで足を運ばなくても映画を鑑賞できるようになった現在、劇場で、しかも3Dで見るべき究極の作品と言えます。もっというと3Dで見なければ意味がないとも言える作品です。
この映画は「見る」というよりも「体験する」と言った方がいいのかもしれません。

まず、技術的な話からはじめてみます。
これまでの宇宙ものの映画では「無重力」の表現が不完全なものがほとんどであるなか、この作品は無重力について徹底してリアリズムを追求しています。
ロン・ハワード監督の映画『アポロ13』(1995年)では「実際にNASAが訓練に用いる航空機KC-135の内部にアポロ船内のセットを作り、下向き45度で自由落下させ、最大22秒間程度、0.01gの微小重力状態を作り出す方法」(大口孝之「映画における無重力表現の難しさ」より)で実に600回近く飛行しているそうです。
それでも『アポロ13』では無重力のシーンは6分程度しかないそうで、今回の90分のシーンを映像化するために新しい手法を考える必要がありました。
観客が20秒程度の編集された映像を見ると、視点が変わってしまうことや、カットとカットの間に時間の省略があるかもしれないと思ってしまいます。すると観客は「映像を見ている」ことを自覚します。息詰るシーンを「体験する」ためにもできるだけ長いショットで撮りたいと監督のアルフォンソ・キュアロンは考えたのです。
そのため、撮影監督のエマニュエル・ルベツキや特撮を担当するブレーンたちと新しい撮影方法を模索し、これまでにないシームレスなロングショットを実現しています。
映画はじまってすぐに13分超えのロングショットにはじまり、息詰るシーンが続きます。
それも、これどうやって撮ったんやろ、の連続です。

宇宙にはGL(グランドライン:地盤面)つまり基準になる平面がありません。そのためこの映画ではカメラが固定されることなく漂っています。上下左右という感覚がないのです。ずっとふわふわとしたゼロ・グラビティ(無重力)のなかにいることを自覚し続けられるように撮られています。

また、映画の最初にテロップで書かれている通り、空気がないので音が伝わることはありません。隕石が猛スピードで近づいて来ても、爆発が起きても、聞こえるのは宇宙服のなかの自分の呼吸音だけです。そういう静寂をうまく表現しています。
そのひとつの表現として「無音の音」を出しているシーンがあります。ありますと断言してしまいましたが、多分無音を出しているであろうと思われるシーンがあると言われています。技術的には暗騒音の逆位相の波形を出して打ち消しているらしいのです。

特撮の話に戻ると、この映画の特撮の方法がこれまでの映画と違うのは、撮影が後になったというところです。
これまでの映画の場合、撮影された映像にCG処理を加えていました。
『ゼロ・グラビティ』は、無重力の状況を徹底的にシミュレーションした映像に合わせて後で撮影しています。
そういう意味では、後に映画史に残る作品となると思います。
1993年に発表されたスティーヴン・スピルバーグ監督作品『ジュラシック・パーク』でははじめてポストプロダクションが撮影日数を上回る作品ですが、20年後の2013年にまた新たな転換点となる作品が登場したと言えます。

ストーリーについて今回は少しだけにしておきます。
宇宙ものの映画なのでSF映画っぽいですが、この映画はSF映画と言うよりはパニック映画あるいは漂流ものです。
ものすごく大雑把にいうと、宇宙空間を舞台に一人の女性が逆境に立ち向かい克服しようとする物語といえます。
この物語の設定において、『2001年宇宙の旅』と『エイリアン』の第1作目を無視できません。
ですので、両作品に対して敬意を表するシーンが多く出てきます。
特に『2001年宇宙の旅』のオマージュと思われるシーンは数多く見られます。
漂うペンが何度か出てくるとか、胎児のイメージだったり、サンドラ・ブロックの意匠が『エイリアン』のリプリーそっくりだったり、そういうシーンを発見するのも楽しみ方のひとつかもしれません。

と、今回は感想文というより、なんとも拙いおすすめ映画紹介文みたいになってしまいました。

感想文はまた改めてと思います。



gravity

かつてM字開脚で話題になったインリンといえば「エロテロリスト」ですが、この映画はエコテロリスト集団を題材にしています。
「ジ・イースト」という環境テロリスト集団は、環境汚染や健康被害をもたらす大企業の幹部に報復を行なう集団です。
たとえば、海を石油で汚染させた企業のCEO宅を石油まみれにする、という手法をとるわけです。
やられたらやり返す!と半沢直樹よりも文字通りされたことと同じことをその人に与える集団なのです。
物語はそんなエコテロリスト集団に潜入捜査を行なう任務を受けたサラが、その任務と倫理観の狭間に揺れ動く様子を描いています。
正義とはなにかを考えるのがテーマと言えます。

主演のサラを演じる女優がとても端正な美形だなと調べてみると、ブリット・マーリングという人で本作ではなんと脚本・製作もこなす才女ではないですか。すごいなあ。
そんな彼女の才能を認めたのがリドリー・スコットと亡き弟トニー・スコットの兄弟で、したがってスコット・フリーが製作しています。
エンドロールの後に、例のスコット・フリーの動画が流れる作品なのです。
と思うとリドリー・スコット・ファンであるぼくには映像と音楽の雰囲気がとてもスコット・フリーっぽく見えました。

出演陣は、イーストの主要メンバーのひとりを演じるエレン・ペイジとサラの上司役のパトリシア・クラークソン以外はぼくは知らない人たちでした。それも合わせて非常に重いテーマでありながら新鮮な映画としてみることができました。



バットマンがこんな姿になってる! と驚きのオープニングから一気にラストまで見せてくれる。
シナリオやキャスティングだけでなく、この映画の肝はリズム感じゃないかと思います。
音楽も合わせてややアップテンポの拍にのったリズム感が絶妙で、ぐいぐい観る者を惹き付けて離さない。
デヴィッド・O・ラッセル監督作品初体験でした。
今年のアカデミー賞に『ゼロ・グラビティ』と並んで最多10部門ノミネートというというので見たのですが、噂に違わぬ楽しい映画でした。
このデヴィッド・O・ラッセル監督は、前々作『ファイター』で6部門、前作『世界にひとつのプレイブック』で8部門のアカデミー賞ノミネートを受けていて、本作で10部門ということは、次回作は12部門ノミネートされちゃうかな、などとどうでもいい予想をしてしまいそうになりますが、本作は主要の作品・監督・脚本・編集に加えて主演助演の4俳優すべてにノミネートされているのがすごいです。
実際、俳優の達者な演技に惚れ惚れしながら見られる役者劇でもあります。
特に、ジェニファー・ローレンスに天才を見ます。もともとジェニファー・ローレンスは他の俳優とは一線を画す実力の持ち主とはわかっていましたが、ここまでできるとは凄い。恐るべし23歳。去年に続いて二年連続受賞してもおかしくないんじゃないかと思ってしまう。

と、散々楽しんで映画館を後の帰途に気がついた。いつもは翌日に気づくので今回はちょっと早い。
これはスコセッシ監督の『カジノ』の手法に倣った作品じゃないかなと。
事実に基づく物語という点にはじまり、当時流行した曲をバックに流し、おそらく実在の登場人物に似せた役づくりの俳優達、そしてなによりも心地よいテンポとリズム感。
だからあの重要な場面であの役者が出て来たのか! と勝手に納得してニヤニヤしてきました。
そんなショータイムな映画、アカデミー賞いくつ獲れるかな。
作品賞と監督賞は『ゼロ・グラビティ』になるだろうけど。

去年見た映画をリストアップしてみると129本ありました。記録しわすれた映画もあるので130本以上は見てるはずです。
そのなかからアカデミー賞みたいによかった映画を10本までしぼり、さらにベストワンを選んでみました。

候補の10作品は次の通り。鑑賞日順のリストです。タイトルの後の「*」印は劇場鑑賞で、無印はWOWOWあるいはNHK-BSで見たものです。

・『ドラゴン・タトゥーの女』*
・『宇宙人ポール』
・『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』*
・『ブエノスアイレス恋愛事情』
・『人生はビギナーズ』
・『華麗なるギャッツビー』*
・『007 スカイフォール』*
・『桐島、部活やめるってよ』
・『パシフィック・リム』*
・『クロニクル』*
・『素晴らしき哉、人生!』

あれれ、11選になってますね。でも言い訳として古典的名作『素晴らしき哉、人生!』を去年始めてみたからリストに入ってます。
おそらくこの『素晴らしき哉、人生!』が圧倒的1位になっちゃいますが、今年に入れるなとも言われそうで、それ以外の10作品からたったひとつの作品を選ぶことにします。

と、その前に、ノミネート作品についての簡単な感想を。

『ドラゴン・タトゥーの女』* 
これよりもスウェーデン版『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』の方が好きな人が多いと思います。ぼくもスウェーデン版の方が好きです。が、それを差し引いてもこちらのデイヴィッド・フィンチャー版も傑作と言わざる得ません。スウェーデン版に比べて写真や押し花の額の扱いが弱いのは弱点ですが、映画そのもののクオリティの高さ映像の美しさは相当のものだと思います。

『宇宙人ポール』
コメディSF映画の表現形式ですが、いやだからこそここまで表現できた作品です。原題は単に "Paul"。これをキリスト教的に読むとパウロです。いろんな映画のパロディやギャグ満載で、キリスト教福音派への批判もしっかりやってくれてます。
宇宙人もののSFでは『第9地区』にならぶ近年の大傑作です。

『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』*
前田吟みたいな顔したアン・リー監督が正真正銘の大天才であることを見せつけられた作品。
上映当時、感想の多くが画像の美しさや表面的な物語にあれこれいう内容でしたが、もっともっと奥の深いものなのです。重箱4段重ねのお弁当みたいに食べ終わったと思ってもその下があります。そこに気づくとそれを撮り切った監督と作品に対して高い評価をつけるしかありません。

『ブエノスアイレス恋愛事情』
アルゼンチン映画を初めて見ましたが、ここまで洗練されている作品とは正直驚きました。
建築に携わる自分から見ると建築愛に満ちあふれた作品という見方もできます。こんな名作が日本未公開とはどういうことやねん。

『人生はビギナーズ』
メラニー・ロランにハズレなし。調べてみるとメラニー・ロラン出演映画で来日していない作品もあるようなので、全作品とは言い切れませんが、日本で公開された彼女の出演作品はすべてハイレベルな作品です。
シナリオが素晴らしく、ベストワンとして最初に頭に浮かんだ作品がこれです。
深い悲しみがなければ人生は豊かにならない。

『華麗なるギャッツビー』*
絢爛豪華ということばを表現する映画でこれ以上の作品があれば教えてください。
バズ・ラーマン監督の前作『ムーラン・ルージュ』を遥かに凌ぐ豪華な映像の連続です。バズ・ラーマンのもうひとつ素晴らしいところは音楽の使い方です。『ムーラン・ルージュ』と同じく当時の音楽をそのまま流すのではなく今日的文脈に合わせた選曲は見事です。同じ手法で映画をつくろうとしているソフィア・コッポラとの才能の差は明らかです。

『007 スカイフォール』*
意外と評判の悪い感想を多く見た007最新作ですが、近年では最も映画的に優れていると思っています。
特に過去の007シリーズへのオマージュだったり、小道具(映画でいうところの小道具で007アイテムという意味だけではありません)のこだわりなどはさすがといえます。主演の3人の関係がとてもよく描かれています。

『桐島、部活やめるってよ』
この映画は映像美がどうとかいう類いのものではないと思いますが、どこからどうみても素晴らしい映画です。これについて語り出すと本編を超える長さになりそうです。日本映画でもついにここまでの作品を作れるようになったんだと思います。
それに比べて山崎貴監督はなんなんだ! これくらいで日本人なら泣くやろうと言う中途半端な演出しやがって。特撮だけやっとけい!

『パシフィック・リム』*
マジンガーZに熱中した世代には涙なくしては見られない。久しぶりにアドレナリン出まくります。吹替版がオススメです。
タイトルを直訳すると「太平洋枠」です。ん? TPPのことかと聞こえますがその通りですね。TPPをわかりやすく映画にしてみました。てちょっと違うかな。
音楽が超アゲアゲです。http://youtu.be/tMTr2rbqSBM

『クロニクル』*
この作品の原作は大友克洋です、と言ってもいいです。
この映画が非常に今日的なのは、恐らく劇場で見るよりもノートパソコンのネット配信で見た方がいいと思われるところです。YouTubeで見た方がよりリアルに感じられると思います。

『素晴らしき哉、人生!』
『三十四丁目の奇跡』と同じくアメリカ人が最も見ているクリスマス映画2本のうちの1本。
誠に恥ずかしながら、この歳ではじめてみました。「感動の名作」なんて程度の表現では失礼な作品。

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と、このなかから1作だけ選びます。
ひとつに選ぶのはとてもむつかしいところですが、『ブエノスアイレス恋愛事情』をベストワンにしたいと思います。

『人生はビギナーズ』となかり悩みましたが、アルゼンチン映画にします。

先述の通り日本劇場未公開だった本作品ですが、ありがたいことに、関西では今月いっぱいで閉館する梅田ガーデンシネマで2月8日から閉館日の2月28日まで上映してくれます。
すばらしい。何回見に行こうかな。






2009年のアルゼンチン映画で、日本では2012年9月15日に公開された作品です。
先日WOWOWでの放映があり、録画したものを後日鑑賞しました。

1948年にル・コルビュジエが南米大陸に設計した唯一の建築(竣工が唯一ということで計画案は他にあります)であるクルチェット邸を舞台とした映画なので邦題が『ル・コルビュジエの家』となっていますが、原題はスペイン語で "EL HOMBRE DE AL LADO" といいまして直訳すると「隣の人」という意味になります。

日本公開にあたりル・コルビュジエの絵画を数多くコレクションしている大成建設と Galerie Taisei が協賛していることからこの邦題になったんだと勘ぐっていましたが、実際にアルゼンチンでもロケ地をこの建築で行なうために建築家協会に企画を持ち込んでいました。

ル・コルビュジエの建築紹介映画のように見えるタイトルですが、そうではなく、隣人との騒音問題が物語のきっかけになっています。
たまたまそれがクルチェット邸が舞台ということであってストーリー上の必然性はありません。しかし、クルチェット邸を舞台にしていることから映画全体がスタイリッシュに仕上がっていると言えます。先に書いた通り企画段階で建築家協会に撮影許可をお願いしていることから、クルチェット邸の広報的映画にもなっています。

映画は真っ白い壁がハンマーで破壊されるシーンからはじまります。私たちは前もってル・コルビュジエ設計の住宅が舞台ということを知ってるのでいきなり壁を解体するシーンを見て冷や冷やします。いくら映画といえどもクルチェット邸の壁を壊したらあかんやろ。
そして、見ているものの想像力を借りてクルチェット邸の壁が解体されようとしているように巧みに編集されています。
ル・コルビュジエのファンでなくてもこの行為に不愉快になりますが、クルチェット邸の図面を見ながらストーリーを追うと、敷地奥にある階段室の壁が隣家と共有していて、クルチェット邸側からは奥の庭の塀となっている隣家の外壁を解体しているようです。

物語は隣人のジェフリー・ラッシュにそっくりの俳優ダニエル・アラオス演じるビクトルがラファエル・スプレゲルブルト演じるクルチェット邸の主レオナルドの寝室の窓の正面の壁に穴を開けて窓をつけようとすることから、問題が続出するというものです。
デリカシーのないこのビクトルの行為に怒りを感じながら見てしまいましたが、「壁の力」を思い知る作品として見ることもできます。
壁にひとつの穴が穿たれることによってその空間に影響を与えます。その影響は人間関係にも変化をもたらすのです。
この映画では単に近隣問題だけでなく、自分の家族関係にまで波及します。そして善悪とは何かまで発展していきます。

同時にル・コルビュジエが唱えた近代建築の五原則のうち「ピロティ」と「横連窓」は開放性を言っていると考えてみると、クルチェット邸の開放的な空間が故に生じる防犯に対する脆弱性を指摘しているという見方もできます。
実際映画の中でも警備会社にセキュリティを掛けてもらおうと現地調査をお願いすると、無理だと言われるシーンが象徴的です。
だからといって塀に囲まれた住宅がいいということには決してならないわけで、物語上は開放性についての利点や教訓やメタファーなどが織り交ぜられているとも言えます。

最近日本でも見慣れてきた住宅作家による白い家がスタイリッシュでかっこいいんだけれど冷たく感じてしまうことが少なからずあるのに対して、ル・コルビュジエの白い空間はなんとも素朴で優しく温かみのある空間だと改めて思います。

見終わってカメラアングルや編集されたシーンを思い返すと、CGによる視覚的トリックは使っていませんが、破壊された壁とその正面にあるクルチェット邸の寝室の窓はオープンセットで組まれたものではないかと考えられます。

この映画のもうひとつの主役である「クルチェット邸」の図面は下記公式URLから見ることができます。
http://www.action-inc.co.jp/corbusier/trivia.html



世界で最も有名な映画のひとつで、そのテーマ曲も世界で最も有名な映画音楽のひとつと言える1976年公開の映画『ロッキー』を初めて見ました。TOHOシネマズの「新・午前十時の映画祭」のお陰です。
スタローンには興味なかったりなどで、これまで全く見る気がしなかった映画なのですが、1作目だけは見ておこうとやっと見る気になったのです。


 ロッキーは負けていた

これまでにテレビ番組や映画のパロディなどでそれなりのあやふやな事前情報があります。
大雑把にいうと、売れないボクサーが世界チャンピオンと戦うチャンスを得て死闘を繰り広げる、ということは分かってます。
生卵を5つ飲むシーンだったり、トレーニングしているシーンだったり、試合終了後に「エイドリアン~!」と叫ぶシーンだったり、と部分的に垣間みたことのあるシーンを自分なりに勝手に組み立てていましたが、もちろんその想像の通りというものではありませんでした。

見終わってから何人かに訊いてみたのですが、多くの人が、ラストの試合でロッキーが勝ったと思っていたようです。
先に言っておきますと、画面だけを見ていると、あたかも勝ったかのように見えますが、15R最後まで戦って判定に持ち込まれて負けています。
つまりこの映画の主題は、勝つことではなかったのです。

映画のストーリー上、最も重要な台詞が試合の前日に出てきます。エイドリアンの眠るベッドに身を寄せながらロッキーが言うのです。
世界一のチャンピオンに自分が勝てるはずがない。でももし15ラウンド終わってもリングに立っていることができたら、自分がただの三流選手ではないことを証明できる、という内容の台詞です。

これが映画「ロッキー」の主題だったんですね。


 スタローンが書いたシナリオ

映画「ロッキー」を見る前にぼくが知っていた粗情報は一般的に知られていたように次のことでした。
当時俳優として全く売れていなかったシルベスター・スタローンは、自分が映画に出られないのは世の中に自分の出演できるシナリオがないからだ。だったら自分で書けば出られるのではないか、という思いから「ロッキー」のシナリオを書き上げ売り込んだところ映画化が決まりました。ところがだからといって出演が自分ということにはならず、オーディションを勝ち抜いて(と思っていたんだけれど実際は違っていたようです)ロッキーを演ずることができた、というものです。
つまり、スタローンが主演であることも非常に重要な映画ですが、そのストーリーにおいて、当時のスタローンを色濃く反映した内容になっています。
全体のストーリーそのものが自分がこの映画に主演することで三流の役者でないことを証明したいということですが、ディテールにもいろいろと当てはまるところがあります。

まず、年齢が一致します。ロッキーと当時のスタローンの年齢が同じ30歳です。
次に面白いのが主演のロッキー・バルボアが自分を売り込むためにつけた「イタリアの種馬」というニックネームです。
字幕で「イタリアの種馬」と出てくるのではじめはピンと来ませんでしたが、ポスターにあるスペルを見ると "Italian Stallion" とあるのを見て、これは自分の名前スタローン(Stallone)をもじってるやん、と気づきます。
また、ロッキーのキャラクターそのものは当時不遇だったシルベスター・スタローン本人を反映してますが、そんな自分に対してエールを送るような仕掛けがいろいろあることがわかります。

途中から恋人になるエイドリアンの兄であるバート・ヤング演じるポーリーは、ロッキーの親友であるだけでなく、精肉工場のキツい仕事がいやで、ロッキーに仕事を紹介して欲しいと思っている。また冴えない自分のことは棚に上げて、彼氏もつくらず家に引き籠もっている妹エイドリアンを罵倒する。
映画の後半は明らかにアル中になってしまったポーリーは今のぱっとしない人生は自分ではなく自分以外のことが原因であると思い込んでいるキャラクターで、恐らくスタローン自身の思わず言ってしまいたくなる「愚痴」が作り上げたキャラクターのように見えます。

そのポーリーの人見知りの激しい妹役でフランシス・F・コッポラの妹でもある女優タリア・シャイア演じるエイドリアンはロッキーが通い詰めるペットショップの店員でメガネを掛けファッションにも気を配らないいけてない女子として登場します。
そんな彼女をロッキーが見出したという設定になっています。

夜の街をたむろする不良グループのなかにたしか12歳という設定の女の子がいます。彼女は不良仲間からタバコを回し飲みしたりしているところをロッキーから注意されるシーンがあります。
ロッキーは女の子にこんなことを言います。
悪い奴らと一緒にいるとなにひとついいことはない。ことばは汚くなるし、タバコや酒もやるようになる。それは自分にとってひとつもためにならないし、そんな彼らと一緒にいるところをみんな見て、だれも付き合ってくれなくなる。だからちゃんと友達をつくらないとだめだ。というような内容だったと思います。
これは、ロッキーがその女の子に言っているように見えて、スタローン自身に言っている台詞だと思います。
ストーリー上も、そういうロッキー自身もヤクザな高利貸しの取立人として日銭を稼いでいるのだ。

ロッキーが飼っているペットも面白い設定となっている。
自宅で土鍋程度のガラス容器に小さな亀を飼っている。その亀はエイドリアンが勤めるペットショップで買ったもので、亀の餌を買いにいくシーンでエイドリアンを出してくるという設定ですが、そのペットショップにその体形には小さすぎる檻に入れられている犬が出てきます。実際にはスタローンの愛犬バッカスらしいのですが、付き合うようになったエイドリアンがもう誰も買ってくれそうにないからランニングのお供として飼おうと連れてきます。
大喜びするロッキーがエイドリアンにこの犬は何を食べるんだと訊くと「小さな亀」と答えます。多分アメリカでは爆笑のシーンだったのかなと思いますが、この室内で小さなガラス容器の中で飼われている亀から外を走る犬という変化は今の状態から突破したいという強い思いにも見えます。

そういうスタローン自身の当時の思いが何重にも盛り込まれたシナリオになっているように見えるストーリーだと思います。

エイドリアンの兄でその喋り方だけでバート・ヤングだとわかる個性派俳優の演じるポーリーの勤務先である精肉工場のシーンを見たとき、これ、リドリー・スコットの『ブラック・レイン』で同じシーンがあると気づきます。
映画の最初に出てくるスタッフの名前の中に "James H. Spencer" とあったのを『ブラック・レイン』のプロダクションデザイナーNorris Spencer と勘違いしたことから、勝手に納得してしまっていました。
James H. Spencer と Norris Spencer がただの苗字の一致だけなのか縁者関係にあるのかは知りませんが、オマージュだったんですね。

あ、思ってたんと違うかったというか、ちょっと意外だったのはあの有名なロッキーのテーマは作品中にたった一回しか流れませんでしたね。
そのたった一回を際立たせるためか音楽は極力使われていませんでした。

と、そんなことを思いながら見た初映画『ロッキー』でした。


去年見た映画で最もよかった作品は?と訊かれたら『華麗なるギャッツビー』と答えようかなと思ってます。
理由は、エンディングに "Kill and Run" という曲が流れたから。
エンドロールに流れたとき、急いでiPhoneの電源を入れてSHAZAMを回して調べました。すると"KILL AND RUN BY SIA"と出たのでした。
それからぼくのSIA探求が始まりまして、今日まで続いています。
いろいろ彼女の歌を聴いていますが、ぼくの尺度で彼女を超えて上手く歌を歌える人を知りません。いい加減な感じも含めて素晴らしいと思うのです。
そんなシーアがなんとなくつぶやくように歌った(ように聞こえる)「Dreaming」という曲です。



先日、十三のシアターセブンに「フォスター卿の建築術」を見に行きました。
有名な第七芸術劇場の1階下にあり、入るとわずか36席のミニシアターです。
この作品は一日一回上映なので15:35~16:51という時間しか選択肢がありませんでした。

劇場も小さければ作品も長編というにはややコンパクトな76分という長さです。

ノーマン・フォスターは自分には正直あまり興味の沸かない建築家でして、好きでも嫌いでもありません。つまりは有名な作品はわかっていますが、それ以上に詳しくは知らない建築家だったのでちょうどいい機会かなと見てみようと思ったのです。

正直な感想は、一体何のために作られた映画なのかがまったくわからないものでした。
強いて言うなら、事務所のプロモーションのためにつくられたのかな。
代表作を美しく撮ること、ノーマン・フォスターの略歴に浅く触れること、友人やスタッフたちのインタビューなどで、全体的に表面的なものでとどまっています。
タイトルにある「建築術」について語る部分はほぼありません。強いて言うなら一言くらい。三角形は強度もあるし部材が減らせるのでとてもいい、くらいなものだった。
これだと学生の教材にもならないなと思いました。
原題は "How Much Does Your Building Weigh, Mr. Foster?" 直訳すると「フォスター君、きみが設計した建物の重さはいくらかね?」となるが、これは師であるバクミンスター・フラーがノーマン・フォスターに訊ねたことばで、フォスターは即答できず後で計算してみて総重量のうちおよそ半分が基礎部分だったというエピソードが紹介されているだけで終わっている。
じゃあ、それがどうなのかについては述べられていない。もっと軽くすることが必要である、あるいはなぜそうする必要性があるのか、などには詳しく触れられていない。
またフォスターの得意とするエネルギーや空気の流れについての説明は全くなかった。
もしかしたら心地よい音楽と浮遊するようなクレーンからの撮影でうとうとしている間に説明があったのかもしれないけれど。

ぼくが最も気に入ったシーンは、あるオフィスのアトリウム空間にリチャード・ロングがただただドローイングをしていく姿でした。

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