どこかの書評でみかけて読みました。
(画像はお借りしました)
介護世代のわたくしにとっては身につまされることだらけで。
あまりのおかしさに、時にふきだし、時に膝をたたきながら一気に読みました。
著者は、東京から千葉の実家へUターン移住し、実の父母(92才と90才)と、近所に住む叔父叔母(89才)の計4人を同時に介護する神のような人。
毎日のように、これでもかこれでもかと次々に思いも寄らない事件が勃発し、私のほうが先に死んでまうやろ! と顔を歪めながら、 日本全国には、個性豊かな高齢者に翻弄され、修行のような日々を送っている同輩が相当数いることだろう という思いで綴ったありがたいエッセイ(ドキュメンタリー?)です。
著者とその友人(介護中)との会話で大きくうなずいたフレーズ
「人生百年時代とか、ピンピンコロリなんてお花畑みたいなことを言ってる人もいるけれど、現実はもっとシビアで生々しいんだよね」
「お金がらみの妄想も困ったもんだけど、エロじじいはもっとやっかいらしいよ」
「エロじじい・・・・・・?」
「そう、ヘルパーさんの胸やお尻を触ってきたり、抱き着いたりするんだって」
「入院先や施設で看護師や介護士に暴言を吐いたり暴力を振るったりするのって、おじいさんだけかと思ったらおばあさんも結構いるらしいよ」
激しく共感する生態
●水が出てべちゃべちゃになった青菜やもやし・・・とっくのとうに賞味期限の切れたベーコンや練り物、カビの生えたつくだ煮や漬物・・・などでわが家の冷蔵庫は溢れかえっている
●『テレビの通販番組で買った』ってドヤ顔で応えるんだもん。急いで返品したけど、『何で勝手に返すんだ』って逆切れされて・・・
●高齢者で溢れかえっている病院の待合室に足を踏み入れるたびに、この人たちは本当に医療を必要としているのだろうか・・・。そんな疑問が頭をもたげる
うちの高齢者は、実母92才と義母90才。
ふたりともひとり暮らしで頑張っています。
頑張っているのは、ふたりとも 施設はイヤ 子どもとの同居もイヤ という事情もあります。
実母は、ここ1~2年被害妄想がひどくなり、(自分で隠した)銀行カードを盗られたと騒ぎ、2回口座が止まりました。
それも、自分で銀行に電話して 通帳とカードを盗られたから止めてください とわざわざ自分で止めます。(お金が無くなったは毎日です)
その復旧に手間のかかること・・・
書類の取り寄せ、自筆の署名、銀行への出頭・・・
それでも母は わたし、ぼけんよね。どうしてかね? と宣い、従って施設はまだ行かない、と。
(心の中で)いえいえ立派にボケてるよ! と返しますが、かかりつけ医やヘルパーさんが 92才で〇〇さんみたいにしっかりした人いないよ とおだてる(←もはやありがた迷惑)ので本人はその気です。
義母は買い物好き(←車いすでのおでかけと通販)で、油断すると口座が空になり、代わりにゴミ屋敷が出来ちゃう人ですが、この頃はそれに加えて暴言が出てきました。
会話には細心の注意を要します。
同居してなくても、そこそこ振り回され、ため息の出る90代の母たち。
でも先日、64才の誕生日を迎えた息子に向かって義母がふとつぶやいた言葉
あなたがろくじゅうしになるまで生きてると思わなかったわ
をきいて、涙ぐむ息子がいました。
64って、ついこの間までなら77才くらいの感覚でしたよね。
でも64はいまや、人生これから なんていわれる年齢。(←ほんとにそうかな???)
日本人の高齢化は、人類未踏の地に突入してしまいました。
この本のエピローグの言葉が響きます。
そもそも、人間という生き物は、こんなに長生きする前提でつくられているのだろうか
ビートルズのこの曲が、”64”の意味するところの変遷を映します。