稲盛和夫さん死去 | ☆ Pingtung Archives ☆

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60代おばちゃんの徒然です。映画やドラマ、本、受験(過去)、犬、金融・経済、持病のIgGMGUSそして台湾とテーマは支離滅裂です。ブログのきっかけは戦前の台湾生まれ(湾生)の母の故郷、台湾・屏東(Pingtung)訪問記です。♬マークは音楽付き。

稲盛さん、父の高校の同級生(年はひとつ上?)だったそうです。

京セラwebより

 

戦後、新制高校に移行したての頃です。

 

父は50年も前に他界しましたので、稲盛さんのここまでのご成功のことは知らずに逝きました。

 

けれど、50年以上も前、「京都セラミック」は既に故郷鹿児島でも事業を展開していて、ニュースになりつつありました。

 

それを知った父が、

 

「こんやか、西駅で一緒にけんかしよったと」(翻訳すると、「こいつは、鹿児島中央駅付近で俺と一緒にけんかしてたんだよ」)

 

などと母に話していた模様。

 

稲盛さんも体力があり、父はラグビーで鍛えた体躯。

 

鹿児島中央駅前で、誰かをいじめていたやからに二人で向かっていったらしいのです。

昭和24-25年頃、父の申し出では正義の味方的な「けんか」ですが、かなりヤンキーなことはたしかです。

 

この夏、稲盛さんの母校 鹿児島大学内にある稲盛記念館内のレストランに行ったとき、ご著書がいろいろとあるのを知り、2冊ほど読んだばかりでした。

 

合掌