今日は、父の49回目の命日。
49年前の今日、たったひとりで当直中に倒れ、そのまま逝ってしまった。
死亡推定時刻は夜10時ごろとされている。
翌朝、小学校の体育館でマット運動をしていた私を、妹を連れた母が迎えに来て父の職場に向かった。
虚ろな母の言葉からは、どうやら父が大変なことになってるらしいというぐらいのことしかわからなかった。
幌のかかったジープに乗せられ山道を父の職場に向かう途中、大人の会話をきいて初めて、「父はもう生きていないんだな」と悟った。
けれど、職場に着いても子供(妹と私)は父の遺体と対面することはできない。
事件と病死、両方の可能性があるとのことで「検死」が行われていたのだった。(←事件性はなかった)
父の死はあまりにも唐突で受け止めるだけで精いっぱいなのに、「検死」などといって大人が慌ただしくしていたので、人並みに「悲しむ」余裕もなかった。
そんな別れのシーンから7年も経ったある日、ユーミンのアルバム(「悲しいほどお天気」)がリリースされた。
その中の『ジャコビニ彗星の日』 という曲の
なーなーじゅうにねん~ じゅうがつここのか~ (72年10月9日)
というフレーズ。
これに耳がくぎ付けになった。
父の命日とは10日もずれているけれど、その日に大きな彗星が地球を通過したというその事実だけで、7年間胸の奥にあった氷が溶けて父の死の因果が明かされたような、そんな感覚をおぼえたのだった。
標高の高い場所で、父はきっとジャコビニ彗星に連れ去られたに違いない、勝手にそう確信した。
(この曲自体はいわば失恋ソングで、だんだん離れていく恋人への思いや淋しさを「ジャコビニ流星群」で紛らわそうとする女子の心情を歌ったものです。ユーミンもこんな風にこの曲を鑑賞した人がいるなんて思ってもみないでしょう。)
チャイムのようなエレピとシンセサイザーのイントロが本当に彗星がやってきた感を演出しています。
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「ジャコビ二彗星の日」
夜のFMからニュースを流しながら
部屋の灯り消して窓辺に椅子を運ぶ
小さなオペラグラスじっとのぞいたけど
月をすべる雲と柿の木揺れてただけ
72年10月9日
あなたの電話が少ないことに慣れてく
私はひとりぼんやり待った
遠くよこぎる流星群
それはただどうでもいいことだったのに
空に近い場所へ出かけていきたかった
いつか手をひかれて川原で見た花火
夢はつかの間だと自分に言いきかせて
シベリアからも見えなかったよと
翌朝弟が新聞ひろげつぶやく
淋しくなればまた来るかしら
光る尾をひく流星群
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