今年上半期に読んだ小説以外の本の中では最も考えさせられた一冊。
「人新世(ひとしんせい)」とは、人類の経済活動の痕跡が地球の表面を覆いつくした時代、という意味。
成長を貪り続ける資本の論理によって、世界中の(利益を生む)フロンティアが食い尽くされ、もうフロンティアがなくなった。
そして地球上に残ったのは気候変動というコントロールできない時限爆弾。
この爆弾の時限は実はよくわからない。2050年ということになっているが、それでは間に合わない可能性が高い。
そして走り始めたSDGsなどの脱炭素社会への運動。
でも、著者は言います。
「SDGsは大衆のアヘン」だと。
なぜならSDGsが今のような間違った使われ方をすることで、求められている社会の大転換の必要性がみえなくなってしまう、と。
そして、本当に世界を救うのは「脱成長コミュニズム」であると。
「脱成長コミュニズム」は資本主義の限界を予見したマルクスが晩年に到達した境地で、それこそが「人新世」の危機を乗り越えるための最善の道、という。
*********
正直、「脱成長コミュニズム」がどんな世界なのか、具体的に想像できません。
けれども、自由主義経済を標榜する先進国の中で、わがニッポンは結構これに近いのではないかと思ったりします。
だってほら、下記グラフが示すのは、既に資本主義国のものではない株価だし。
(楽天証券 トウシルより)
(見えますか? 日本の株価は一番下のグレーです。ICUの患者だったらドクターがすっ飛んでくる、あるいはご臨終の状態です)
それに、資本主義が、成長するためのフロンティアを探して世界中の資源や安い人件費を物色する中で、中国人の言う「三流企業がものをつくり、二流企業が技術を開発し、一流企業がルールを決める」の文脈のなかでは、わがニッポンは完全に二流と三流(つまり搾取される側=低成長に甘んじる側)です。
それでも、資本主義的成功者が多く「帝国的生活様式」をエンジョイする人口の多いアメリカに較べて6年も長寿で暴動も起きない。
株価が示唆する通り、ひと足先に「脱成長コミュニズム」に到達しようとしているのではないか?
いえ、ちょっと言いすぎました。
グローバル・サウス という言葉の定義的には日本はまだまだ搾取する側です。
でも先進国の中では間違いなくサウスだと思います。
なにしろ「もの言わぬ集団」ですからかっさらわれてもにこにこしてる。
車をEVに代えよう、とかSDGsの目的意識を持った企業に投資しよう、とかの(地球のための)行動は、この本的には資本主義の枠組みの中のただの経済活動。
理由は、EVはその製造工程も含めたCO2排出量ではガソリン車よりもむしろプラスになるし、資本主義とSDGsはそもそも両立不能。
EVに乗りかえてイーロン・マスクをこれ以上舞い上がらせたり、SDGsを標榜する企業に投資するぼったくりファンド(失礼! 言葉が過ぎました)を買って自己満足してる場合じゃないな、と心から思ったのでした。
イーロン・マスク Wikipediaより
SDGs 17の世界的目標(Wikipediaより)