らんかさん | ☆ Pingtung Archives ☆

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60代おばちゃんの徒然です。映画やドラマ、本、受験(過去)、犬、金融・経済、持病のIgGMGUSそして台湾とテーマは支離滅裂です。ブログのきっかけは戦前の台湾生まれ(湾生)の母の故郷、台湾・屏東(Pingtung)訪問記です。♬マークは音楽付き。

母が屏東で住んでいた家の隣のビルに「らんかさん」(どんな字が不明)という台湾人のおねえさんがいた。らんかさんの家は裕福(醫院と電気屋が入っているそのビルのオーナー?)で、当時、屏東から東京に遊学し、ドレメ(ドレスメーカー女学院)を出たおしゃれな人だった。母たち姉妹の洋服から帽子、髪飾りまであらゆるものを作ってくれた。レースやフリルを施したワンピースや髪飾りなどのみならず、、時にはメイクもしてくれたらしい。

 

らんかさんの家は下の写真の赤い矢印のあたり

作ってもらった服は吉岡写真館の頁で登場した↓のような服の数々(これしか写真がないのですが)

そんな屏東時代が過ぎ去り全てを失くした戦後、その(スポイル気味の)お嬢ちゃんたちは司馬遼太郎「街道を行く~台湾紀行~ 魂魄の章」における田中準造氏のジャン・ギャバンのような境地に立つのだけれど、この屏東の思い出だけは消えなかった。母やその姉は、それぞれの道すがら出会う”着る楽しみ”を拾っては、思うように行かない人生のお供にしてきたのだと思います。

母の洋裁はプロなみで、私たちの服はほとんど手作りでした。そして、人に頼まれたり、洋裁を仕事にしないかと言われても決して応じなかった。理由は

 

「人のを作るなんてつまらない。自分と自分の子供のために作るから面白いのよ」

 

だそうです、はいニヤリ

 

文化出版局の「ミセス」や「ミセスの子供服」を毎月購読していて、いつも「創作」に余念がない。田舎だったけれど、その町の輸入コットンの店に通いつめ、国産ではちょっとみつからない色彩やプリントの生地、レースなどを集めていた。「ミセス」のモデルの稲葉芳江(下記左端)と西村フローレンス(下記右端)のファンで、この人たちのライフスタイルにも憧れていたけど、現実はほど遠かった・・

↓「ミセス」の表紙を飾っていた稲葉芳江と西村フローレンス

今でも実家の本棚には、「ミセス」シリーズの中でも特にお気に入りのバックナンバーがずらりと並んでいます。

なぜか、娘にはこの「洋裁」の才能が遺伝しなかったなー、どしてだろ笑い泣き

 

母たち姉妹の幼少期の情操に大きく影響したらんかさん、その後も台湾で暮らしたのか、それとも北米などに移住したのか、全くわかりません。でもありがとうクラッカー

そして、”装う楽しみ”を届け続けてくれた文化出版局、杉野学園(ドレメの学校法人)にも感謝!

 

創設者 杉野芳子(杉野学園webより)

ピエール・カルダン氏来日。学園にて特別講習会(杉野学園webより)

 

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