肝臓薬とグンゼの下着 | ☆ Pingtung Archives ☆

☆ Pingtung Archives ☆

60代おばちゃんの徒然です。映画やドラマ、本、受験(過去)、犬、金融・経済、持病のIgGMGUSそして台湾とテーマは支離滅裂です。ブログのきっかけは戦前の台湾生まれ(湾生)の母の故郷、台湾・屏東(Pingtung)訪問記です。♬マークは音楽付き。

母の生家は屏東で商売をしていて、日本人や台湾人の使用人がいた。その中に『りょう』という台湾人の青年がいて、祖父母のことを「とうちゃん」「かあちゃん」と慕っていた。

りょうと祖父母は引き揚げてからも連絡を取り合い、再会のチャンスを待っていた。
屏東で築いた財産は全て(中国国民党に?)接収され、身一つで引き揚げた母の一家は、生きて行くのが精いっぱいで里帰りどころではなかった。加えて、国交が断絶していた時期(ひょっとして今も?)もあり再会はなかなかかなわなかった。

しかし、今から30~40年前、日本と台湾の関係も復活し、祖父母が屏東に里帰りしたとき、祖父母はりょうと感動の再会を果たした。(2021年追記:この時に屏東市長の張河川氏が案内してくれたらしい。屏東の祖父母の家の裏が屏東市役所で当時市役所の職員だった氏と親しくしていた)
懐かしい場所をめぐり、最後に住んでいた昭和町の家(台湾製糖の社宅近く)がまだ存在していて誰かが住んでいるのを確認した。

数年後、祖父母は再び帰屏する。この時りょうは祖母にあるおねだりをする。

 

「かあちゃん、ぼくは肝臓が悪いんだよ。日本にいい肝臓の薬あるから持ってきてよ」

祖母は、息子同然だったりょうのために、かかりつけ医に事情を説明した。

 

「先生、台湾の息子に肝臓の薬だしてもらえないですか?」

しばし考えた末、そのドクターは答えた。

 

「○○さん、肝臓の数値もあんまり良くないから薬を出しておくからね」(なかなかやるなーこのドクター)

この時、保険外で3万円分ぐらいの肝臓の薬が処方された。

祖父母は、その肝臓の薬と「日本製の下着がほしい」というりょうやその家族のためにグンゼの下着を大量に買い込んで飛行機に乗った。

 

©2016-2017 Pingtung All rights reserved.