長崎街道・鈴田峠から④大村宿へ | 長崎回縁隊のブログ

長崎回縁隊のブログ

ご縁が回って、全国の方々と知り合えればと思います。
そして、少しでも一隊化できる場所があれば最高ぜよ。

鈴田峠の佐賀(諌早領)・大村藩境から大村宿へ向かいます。

 

峠には2つの説明版があります。諫早側では「江戸時代、正確な全国地図を作ったことで有名な伊能忠敬が測量に来ていますが、それには「日野峠」と書かれている」ことが記されています。

 

一方、大村側では現在の地名と同じ「鈴田峠」となっています。「江戸に向かうシーボルト一行が、この鈴田峠で大村藩の役人の出迎えを受けた」事が記されています。

 

しばらく行くと大名が駕籠を降りて休息する駕籠立場跡があります。当時はこんなに鬱蒼とした樹木は無く、多良岳が見えて、見晴らしの良い場所でした。

 

高い樹木がない所まで下って来ると、多良岳や、これから向かう鈴田の町が見えてきます。駕籠立場からもこの風景が見えたことでしょう。

 

さらに北側には長崎医療センターと、その先に大村湾が見えてきます。街道は医療センターの横を通って大村宿へ向かっています。

 

急な下り坂が続きます。大村側は諫早側と比べ道幅が広くなっており、道標も多く見られます。

 

峠道が終わり、鈴田の平地にでた所に大神宮神社が見えてきます。当時はこの前には店も多く、峠への登り下りをする人々の休憩所だったそうです。

 

JR、国道を横断し医療センター方面へ進み、野田神社前を通過します。

 

街道は珍しい事に墓の中を通っています。その中には長崎で西洋医学を学び、日本で最初の種痘に成功した長与俊達の墓があります。当時は疱瘡による「あばた顔」が普通でしたが、お蔭で大村には美人が多いと言われていたそうです。

 

そこを進むと、国指定の名勝である円融寺跡があります。斜面に400個あまりの石を配した枯山水の庭園は江戸初期の豊かな文化を伝えています。前の広場は最高に贅沢なゲートボール場となっていました。

 

街道は大村本町商店街の中を通りますが、ここに大村本陣がありました。写真左の貞松時計店は本陣の一部で、そこも含めて捕鯨で財を成した深沢儀太夫邸(本陣)でした。

 

大村名物の郷土料理の「大村ずし」です。シュガーロードが確立される以前の戦国時代に起源を持つ押し寿司です。当時は今みたいに甘くはなかったのでしょうが、砂糖が入って来て、徐々に今の味になったのでしょう。

長崎・小倉間の道である長崎街道の中には歴史の道100選に選ばれた場所が4か所あります。その内、今までに日見峠、井樋ノ尾峠、そして今回の鈴田峠と3か所を通って来た事になります。