今回は長崎街道の中でも、福岡の冷水峠と並んで、往時の街道の趣が最も残っている鈴田峠を越えます。永昌(諌早)・大村間の峠で、文化庁の「歴史の道100選」に選定されています。
③永昌宿(諫早)の道標から北に進むと、石(いわ)茶屋跡があります。ところてんが名物で、庭先にあった亀甲紋の岩が目印です。勝海舟が休んだと言われています。
さらに北へ進みウエスレヤン大学の横を通り、国道34号線を横切ると破籠井(わりごい)町へ入ります。 ここは外部から見つけにくい隠れ里として、平家の落人伝承のある町です。画面右奥に鈴田峠があります。
盆地の奥には800年以上の歴史を持つ熊野神社があります。1185年の壇ノ浦の戦いに敗れ、落ち延びた平家が守護神・熊野大権現を祀ったのが始まりと言われています。
その破籠井町の終点のバス停から少し登ると、いよいよ鈴田峠の入り口が見えてきます。最初はどこが入口か迷ってしまうほど何もありません。
ところが藪を潜り抜けると直ぐに道標があり、緑のトンネルの様な街道が現れ、急に江戸時代にタイムスリップした気分になります。まさに殿様などをのせた駕籠や荷を背負った馬も行き交っていた道です。
足元に落ち葉がびっしりと重なっていたり、道の両脇の石の苔むした感じは、少なくとも150年から200年前から、そう変わっていないものと思われます。
ここは「馬の背道」と言って、尾根と尾根を結ぶ様に谷間に土を盛り上げて陸橋のような道を造っています。谷間に降りないで済むように工夫された道です。当時の旅人と出会いそうな道です。
そんなに勾配がきつくもなく歩きやすい様に造られていますが、中には脇にあった大きな石が道の真ん中に落ちてきている所もありました。落ちた石や穴の様子からすると、最近転げ落ちたようです。
途中に大渡野(おおわたの)番所跡があります。もうすぐ諌早・大村の藩境があるので、ここに関所が設けられ、家族連れの武士が詰めていたそうです。
番所跡からしばらく行くと、ついに佐賀藩(諫早領)と大村藩の境界に到着です。ここは今でも両市の境界線が通っています。ここには硯石(すずりいし)と呼ばれる巨石が置かれています。
鈴田峠の中でも、ここまでの道は発見が遅れたこともあり、手つかずの街道が昔のままが残っています。「歴史の道100選」にふさわしい道でした。










