長崎街道~②矢上宿へ~ | 長崎回縁隊のブログ

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ご縁が回って、全国の方々と知り合えればと思います。
そして、少しでも一隊化できる場所があれば最高ぜよ。

長崎街道25宿のうち、長崎から数えて二番目の②矢上宿に向かいます。最初の①日見宿から登りになり、橘湾と牧島が見えてきます。シーボルト*曰く「網場の向いに浮かぶ小さい牧島が見えた」

 

途中に「腹切り坂」の石碑が建っています。道向いの坂で切腹事件が起きた事は確かですが、その理由は様々に言われています。

 

登り切った所に日見と矢上の境界を示す領境石があります。「ここは日見との境で、ここから北は佐賀領」と書いてあります。

 

江戸時代、①日見は天領長崎(長崎府)に属し、②矢上は佐賀鍋島藩の諫早領に属していました。長崎街道は長崎から諫早領を通り、大村藩へ向かっています。

今までのブログで紹介した深堀、神代(こうじろ)、諫早は佐賀藩に属しています

 

矢上は佐賀藩にとって西端に位置する重要な場所でした。そこで長崎警備の要地として矢上番所を置き、長崎に向かう旅人の往来を監視しました。

 

番所の手前の川には番所橋が架かり、細い長崎街道が真っ直ぐ伸びています(この右側には国道34号が並行して走っています)。

 

近くには諌早領役屋敷があり、諌早領主は番頭級の家臣を派遣していました。立派な堀と石垣、門構えが残り当時をしのばせます。

 

更に進むと「長崎街道 矢上宿跡」の石碑が建つ矢上神社があります。ここでは秋に「矢上くんち」が行われます。矢上宿は通行人が多く、旅人宿11軒、かごかき人夫100人など活気ある宿でした。

この先で道が分かれ、右に曲がると橘湾に沿って進む島原街道です。長崎街道を諌早まで行ってから島原へ行くより近道になります。

 

長崎街道の方を進むと、シーボルト*が江戸参府の時に休んで昼食を取った教宗寺があります。驚くほど荘厳で立派なお寺で感動しました。丁度梅の花がきれいに咲いており、インスタ写真?が撮れました。

*「僧侶があいさつに来て、土地の風習に従って贈り物をくれた。みごとなパン菓子・・・」と書いていますが、今回は石畳ショコラでおもてなし。長崎の石畳をイメージしたもので、全国ご当地おやつランキングでグランプリを受賞しました。

このお寺には将軍献上のためのゾウが宿泊しています。長崎街道はシュガーロードだけでは無く、ゾウが通った事でも有名です。その時は道の石を取り除いたり、象が怖がる牛馬を道筋から外したり大変だったようです。