長崎・西山街道 | 長崎回縁隊のブログ

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ご縁が回って、全国の方々と知り合えればと思います。
そして、少しでも一隊化できる場所があれば最高ぜよ。

江戸時代、長崎への街道は主に6つあり, そのうちの西山街道は伊木力往還とも呼ばれました。「街道の起点は西山口(炉粕町)で、ここら路が3つに分岐し、右は矢上、左は浦上~時津、中は伊木力から海路、大村に達する。」と記されています。

 

そこで炉粕町の日本銀行の前から出発して西山街道を通り、伊木力まで行って見ました。

 

諏訪神社の階段の途中を抜け、松森天満宮の側を通り、西山神社に立ち寄りました。かなり長い急な階段があり疲れました。

 

境内には1667年、唐船から伝わったザボンの木の子孫が残っており、ここから島原や鹿児島に伝わって行ったそうです。名前はポルトガル語のザンボアに由来します。厚い果皮を砂糖漬けにした長崎名産「ざぼん漬」は美味です。

 

西山台団地を通り抜け、三川方面へ下ると、三川橋の手前の右側に屏風岩と呼ばれる、かなり大きな一枚岩があります。そこに1703年に彫られた薬師如来像があります。

 

そこから長崎バイパスの上を通り浦上川に沿って進み、「力馬坂バス停」の前の坂を、くるまき峠まで登ります。殿様が同行の力士や馬を休ませたなどの名前の由来があります。

 

更に北へ進んで行くと、長与町の「洗切継ぎ場跡」に着きます。長崎奉行や大名が長崎への往来の際に、馬やわらじの交換や飲水をした場所。長崎変事の際の大村藩士の集決場所でもありました。

 

更に行くと、スイッチバック式鉄道で有名だった(今は廃止)JR本川内駅の踏切を渡ります。この駅で撮った本人の写真を福山雅治がブログにアップしています。

 

その後JRはトンネルになりますが、街道は細く曲りくねって長与町と多良見町の境の松の頭峠を越えます。

 

峠を越えると見晴らしが良くなり、坂を下って行くと伊木力の港に到着します。さすがに蜜柑(ミカン)街道とも呼ばれたそうですが、途中の道端にはミカン直売所が沢山ありました。

港の対岸には大村の町がはっきりと見えました。このルートは矢上~永昌(諫早)~大村の長崎街道よりも1日早く行けたそうで、私も色々寄り道しながらの楽しい旅でした。