用賀は、ヨガ❓用賀神社へのお参り | 動きの哲学、日常のヒント

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ピラティス、ストレッチ、ヨーガ、武道などの学びと想い。ピラティスの還暦男インストラクターが20年考えたこと


こんにちは。
ピラティストレーナーのようすけです。
少しご無沙汰しております。

やっと暑さが退けてきて、本日は過ごしやすい1日でした。
今日は、用賀神社を訪れてみました。





神社は散歩にうってつけですね。
ふと気づくと、最近歩いていないな、、、
と思うことはありませんか?

私もまた、諸々の雑用に追われるうえ猛暑だったこの夏の間は、特に用事のない時には、気がつけば一日中室内にこもりっぱなし。
そんな日が続くと、体が重くなり、休んでいるはずが返ってかえって心もなんだかどんよりしてくることがあります。

暑さに疲れたこの頃に、用賀神社への散歩が気持ちを落ち着けました。


用賀(ようが)の語源は諸説ありますが、ひとつの考えとして、サンスクリット語(梵語)の『ユガ=ヨガ』が変じたものであろうとの説があります。
鎌倉時代に、この近辺に、真言宗の修験道場としてのヨガ道場があったとの説✨
定説ではないようですが、しかし近隣の真福寺の所有する所となったとのことから、あながちいい加減な説とも言えません。



さて、秋の気配すら、ようやく感じ始めたこの季節には、外の空気を吸うだけでも体細胞がリフレッシュします。






秋の始まりは、そんな季節感があるのです。
涼やかな風が頬をなでる瞬間。自然と一体になる神社は散歩にぴったりです。



一歩一歩進むことで、夏に暑さと日常のストレスが少しずつ氷解する感覚が心地よいのです。

神社の鳥居をくぐり。





石階段を一歩一歩と踏みしめながら。

私自身が中高年ですし、また比較的体力に自信のない方に、元気に運動してもらうのが私のピラティスです。

私たちにとって、運動は以前ほど、気軽にできなくなっているのかもしれません。
コロナの自粛騒ぎ以降に予想以上の運動不足が固定化してしまった感もあり。

また、そもそも我々の同世代、若い頃は無意識に体を動かしていたのに、今では意識して動かしてしまっています。お客さんに対してもそうだし、さらに自分自身もそうです。

それでもいいと思います。
意識してでもピラティスでも散歩でも習慣にしたいものです。

そして、散歩には季節感が伴いますね。季節の移り変わりを感じながらの用賀神社。
まだ日が当たれば軽く汗ばむ、日陰と日向を交互に歩きながら。

年を重ねるにつれて、特に気をつけたいのは「無理せず続けられる運動」。神社への散歩は、自然と触れ合いながら自分のペースで運動できる機会です。

ピラティスと共に、体を動かすことは、筋力維持と心肺機能、そしてストレス解消にも繋がります。

神社を歩いて、空を見上げると、深呼吸をするまでもなく、深い呼吸になってきます。

こんな神木がありました。。



大きな神木も、手で触れると気分気概がチャージされるように感じます。
では🧑‍💼