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\出会ったからにはしかたがないっ/

ツインレイを通して出会う、本当の自分

こんにちは、ぴぴです。
いつもは私なりに「伝える」を意識して書いていますが(実はものすごく苦手です…💦)
今日は素直に今思っていることを書いてみます。
後半は少し突っ込んだお話をするので有料設定になっています。
ご興味があれば読んでいただけると嬉しいです♡

 

 

統合期に入ったなあと思ったのが今年の2月ごろですかね。
一気に世界が明るく柔らかくなったのを覚えています。
彼との関係性がやわらかくスムーズになったのもこのあたりです。
私が素直に感情を表現できるようになった分だけ、彼もまた笑顔を見せてくれるようになりました。

 

統合期に入るまでに私が触れた情報では「統合期になるととても幸せになる」というものばかりでしたが、入るころになると「実はサイレントより過酷」というものを目にすることが増えました(不思議ですね)
そして実際そうだと思います。
繋がれそうで繋がれないもどかしい時間が続きます。

 

統合期に入ったと自覚したとき、ある意味「もう学びきった」と思うほどジャンプアップした感覚がありました。
実際それくらい飛躍的な成長だったと思います。
だからこそ、揺さぶりが何度も起きることは毎回本当にショックでした。
しかも向き合わされる課題はおなじみのものばかり。
「まだ同じことでこんなに嫌な感情を持っているなんて」と。
宇宙が求めているのは過去と比較した相対的な成長ではなく、絶対的な成長なんですね。

 

統合期もまあよく泣きます。
ついさっきも泣きました。苦笑
でも、サイレントまでの張り裂けるような痛みを伴う涙はもう出ません。
過去を受け入れ、抱きしめ、そして手放して生まれ変わる、そんな涙です。

 

タイトルに統合期はおもしろいと書きましたが、正直カオスです。
以前別の記事で流動的にすべてが進んでいる感覚があると書いたのですが、自分の感覚や認識自体、そのすべてが、固まりきらない何か流動的なものなのです。
これまで自分を構築していたすべての繋がりが切れ、その混沌の中で再構築が進んでいる…そんな感じでしょうか。

 

大きい目で見ると強制終了のように、ちょっと破壊的なニュアンスのスクラップアンドビルドが起きます。
でもよくよく自分の内面に焦点を当てると、決して破壊でないことがよくわかります。
過去の自分を維持していた繋がりに感謝し、抱きしめ、手放して生まれ変わる、実はとても愛のある移行期間です。

 

 

そして自分らしく生きるの意味もどんどん明確になっていきます。
「好きなことをして生きる」のニュアンスがよりクリアになります。
世界は思っていたよりもずっと広く、鮮やかで、自由なのだいう確信を日々新たにします。
カオスだけど、そのカオスの海を自分の意思で渡っていける…

悪いことを想像できないんです。
だって、今この瞬間の自分に価値があるとわかるから。
そんな暇すら与えられないくらい心が安心に包まれていきます。

そんな自己信頼の確立が、統合期を面白いと感じる所以なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

noteでは、今回私が経験した強制終了とその後の変化、好きなことをして生きることの意味などについてを綴っています。
共鳴的なことも書きますので有料設定にしました。
ご興味のある方は読んでいただけると嬉しいです。
何かヒントになれば幸いです°˖✧˖°

 

 

 

noteでしか書けない統合期のリアルタイムの気づきをシェアしています。

ぜひチェックしていただけると嬉しいですにっこり

こんにちは、ぴぴです(*'')

ツインレイのプロセスでよく語られる「スピリチュアルな覚醒」や「使命の自覚」。
でも、それがうまく感じられなかったら? あるいは、そもそも「私たちは本当にツインなのか?」という疑念が消えなかったら?
そんな不安と向き合った今の視点から、お話ししてみたいと思います。



スピリチュアル的な能力の覚醒やそれに関連するような活動に関して、個人的には「どちらでもいい」と思います。

これで終わると身も蓋もないのでもう少し続けますが…💦
どちらでもいいのですが、『ご自身のスピリチュアリティ(精神性)を高める何かしらの活動には関わることになる』と思います。
学びを進めるうえでのガイドになる何かに出会う&自身の精神性を持ってそれを広げる活動という意味ですね。(必ずしも同じものとは限りません)

どんな形であれ、精神的な目覚めや気づきのプロセスには必ず関わることになると思います。ただ、それが“占い”や“チャクラ”のような典型的なスピリチュアルの形で表れるかどうかは、人によって全く違っていていいと思うのです。

個人的な話で恐縮ですが、私自身はそういった文脈にはかなり疎いです。
ツインレイというワードに出会うまでスピリチュアル的なものからは距離を取っていましたし、出会ってからも一通り通りましたが、そこまで深入りすることはこれまでありませんでした。

その代わり、導かれるようにして始めた習い事が思いがけず原初的な宗教の教えを源流に持っており、結果的にその役割をしてくれているという感じです。(ちなみに彼に出会ったのもその場です)
精神的にも身体的にも「これがあったから覚醒が促された」とは感じていますが、宗教的には今のところ一切深入りしていません。

それぞれに何かしらのガイドが入るのだろうと思いますが、全ての人にとってわかりやすくスピリチュアルの形をしているかというと別問題だと思っていて、そういう意味で「どちらでもいい」という書き方をしました。


では何を持ってツインだと言うのか?
個人的な見解ですが、ここに外からの答えを求めることはあまり意味のないことかなと思います。
自分自身が目を背けてきた課題に否応なく向き合わせてくる存在…
本当にこの人を好きで、こんなに苦しんで、何か報われることがあるのか!?という思いまで含めて学びを突きつけてくる相手…
やはりそれは自分自身にしかわからないものだと思います。

2人がツインレイじゃないのではと言う疑念はことあるごとに私たちを苦しめますが、いずれ、“言葉はともかく“疑いのなくなる日が来ます。
その時点では必ずしも恋愛関係の成就とは一致しないかもしれませんが、本来の自分自身に戻る上で必ず得る感覚かと思います。

揺さぶりの震源のようであったはずの彼が、気付けば自分の側で(たとえそばにいなくとも)課題を乗り越える力を与えてくれている…

それはある意味ひとつの結果。
目を向けるべきは、いつも自分自身です。
それが当たり前になった時、片割れが与えてくれていた愛に“気付く”のです。

こんばんは、ぴぴです。
一つ前に投稿した記事を読み返して、「なんかものすごい普通のことを言ってるなあ」と思わず吹き出してしまいました。笑

ツインレイという文脈を前提に書いているので、書いている自分にとってはそれまでの様々な出来事も相まって、すごく大事なことを書いたつもりでいましたが、客観的にみたら本当に普通だなと。

ですが改めて、大切なことはそれほどシンプルであり、どんな文脈で語られようとたどり着く本質はひとつなのだと思いました。

そしてなにより、その普通すぎるほどシンプルな本質を実現することの難しさを改めて感じ、それを促してくれるツインレイという存在に出会えた奇跡を強く感じるところです。



「迷った時ほど、自分がどうしたいのか、どうありたいのかを丁寧に自分に問う」

この当たり前のことが、私はツイン彼に出会うまで当たり前じゃありませんでした。

それどころかそんな概念自体がすっぽり抜け落ちていたのを思い出します。

彼に出会うずっと前、まだ10代の子供だった頃、友人から「ぴぴはどうしたいの?」と聞かれて思考がフリーズし、そんな質問をしてきた友人に憤りさえ覚えたほど。

当時私は家庭環境により将来を思い描けない状況で苦しんでおり、『自分の望み』なんてものは存在してはいけないものでした。
その苦しみはその後10年以上続きました。

目の前の苦しみを取り除こうと、色んなことに目を向けました。
心理学も、認知科学も、コーチングやアファメーション、瞑想…
どれも一定の効果はありますが、自分の問題を解決するには至りませんでした。

今なら何故かわかります。

「自分が心から望むものを知らなかったから」

です。
見つけられなかったというほうが正しいかもしれません。
そこに大きなブロックがあったからです。



その意味で、改めてツインレイという存在と、相手に出会うということの奇跡を感じるのです。

相手は、自分の思考が気づいていようがいまいが、「自分が心から望むもの」に他ならないから。
ツインレイという存在に対する時、思考が介入する余地がありません。
なんとも不思議な流れで突如として現れ、強制的にブロックを外さざるを得なくなる、そんな稀有で厄介な存在です。苦笑
その存在を持って初めて自分自身を知る旅が、ひいては『自己信頼への回帰』が始まります。


表向きは恋愛感情ですが、その背後には心の底から自己信頼を望む自分自身が隠れています
彼は鏡としてそれを見せ、決して道を外れないよう汚れ役に徹し、女性レイが自分の力で輝きを取り戻すまで導いてくれます。

それまで自分の望みを傍に置き、思考でがんじがらめにして必死に生きている女性レイにとっては混乱以外の何者でもありません。
ですが、それまでどれだけ思考の力で努力しても良くならなかった状況が、彼という嵐のような存在に翻弄されることを繰り返すうちにみるみる良くなって行く不可思議さと尊さに気づくはずです。



どの視点から語るかで言葉が変わってしまうこと、ツインレイは互いに補完し合いながら学びを進めて行くことから、改めて言葉にするのは難しいなと感じます。

でも、本質は「自己信頼」
私たちに求められているのは、その精度を上げ、本来の魂の輝きを取り戻していくこと。
自分で自分の力を信じ切れるようになった時、外の世界に向けてその愛が広がって行きます。
彼の存在はどんな時もその道標になってくれています🌟