こんにちは、ぴぴです(*'')
ツインレイのプロセスでよく語られる「スピリチュアルな覚醒」や「使命の自覚」。
でも、それがうまく感じられなかったら? あるいは、そもそも「私たちは本当にツインなのか?」という疑念が消えなかったら?
そんな不安と向き合った今の視点から、お話ししてみたいと思います。
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スピリチュアル的な能力の覚醒やそれに関連するような活動に関して、個人的には「どちらでもいい」と思います。
これで終わると身も蓋もないのでもう少し続けますが…💦
どちらでもいいのですが、『ご自身のスピリチュアリティ(精神性)を高める何かしらの活動には関わることになる』と思います。
学びを進めるうえでのガイドになる何かに出会う&自身の精神性を持ってそれを広げる活動という意味ですね。(必ずしも同じものとは限りません)
どんな形であれ、精神的な目覚めや気づきのプロセスには必ず関わることになると思います。ただ、それが“占い”や“チャクラ”のような典型的なスピリチュアルの形で表れるかどうかは、人によって全く違っていていいと思うのです。
個人的な話で恐縮ですが、私自身はそういった文脈にはかなり疎いです。
ツインレイというワードに出会うまでスピリチュアル的なものからは距離を取っていましたし、出会ってからも一通り通りましたが、そこまで深入りすることはこれまでありませんでした。
その代わり、導かれるようにして始めた習い事が思いがけず原初的な宗教の教えを源流に持っており、結果的にその役割をしてくれているという感じです。(ちなみに彼に出会ったのもその場です)
精神的にも身体的にも「これがあったから覚醒が促された」とは感じていますが、宗教的には今のところ一切深入りしていません。
それぞれに何かしらのガイドが入るのだろうと思いますが、全ての人にとってわかりやすくスピリチュアルの形をしているかというと別問題だと思っていて、そういう意味で「どちらでもいい」という書き方をしました。
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では何を持ってツインだと言うのか?
個人的な見解ですが、ここに外からの答えを求めることはあまり意味のないことかなと思います。
自分自身が目を背けてきた課題に否応なく向き合わせてくる存在…
本当にこの人を好きで、こんなに苦しんで、何か報われることがあるのか!?という思いまで含めて学びを突きつけてくる相手…
やはりそれは自分自身にしかわからないものだと思います。
2人がツインレイじゃないのではと言う疑念はことあるごとに私たちを苦しめますが、いずれ、“言葉はともかく“疑いのなくなる日が来ます。
その時点では必ずしも恋愛関係の成就とは一致しないかもしれませんが、本来の自分自身に戻る上で必ず得る感覚かと思います。
揺さぶりの震源のようであったはずの彼が、気付けば自分の側で(たとえそばにいなくとも)課題を乗り越える力を与えてくれている…
それはある意味ひとつの結果。
目を向けるべきは、いつも自分自身です。
それが当たり前になった時、片割れが与えてくれていた愛に“気付く”のです。