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\出会ったからにはしかたがないっ/

ツインレイを通して出会う、本当の自分

こんにちは、ぴぴです。


離れている時間が一番成長する時間


初めの頃はまったく納得できなかったこの感覚…確かにそうだなあと思う今日この頃です。


一人きりの静かな時間だからこそより深く自らに向き合うことができるもの。
ですが初期は、自分の内側の嵐を直視することに耐えかねて彼を求めてしまうんですね。
サイレントに入るまでの彼はおそらく女性レイが初めて見る理想的な安寧だったからです。


統合は自分自身のあらゆる側面で起きますが、進めば進むほど戦うべき敵が減っていきます。

徐々に何に対して揺れているのか、揺れ始めから揺れ終わりの変化をはっきり自覚できるようになっていきます。
その頃にはもう、完全体としてのひとりを実感し始めます。



今回私が彼と離れていたのは約3週間。
また新しい感情の揺れを体験させられました。

それによって学んだのは

『心から望む在り方の重要性』と『等身大であることの強さ』

言葉自体は今更ですが、ようやく自分の体感として得ることができたと思います。

精神面に関してこの二つが揃った時に精神的自立が、現実面に関してこの二つが揃った時に経済的自立が、それぞれ自然と実現していくのだと感じます。



タイトルの、「期待してもいいかな」は、私自身に対してです。

『等身大であることの強さ』と『心から望む在り方の重要性』

この二つが意味するところは、エネルギーの始点と終点をはっきりさせることが大切ということ。
始点は等身大の自分であり、終点はあるべき姿です。
これは全てのことに当てはまります。

そうして生きられるようになれば、自分も他人も大切にしながら未来を選び取っていく選択肢がある…

その片鱗を見た時に、生まれて初めて

「私はもっと良いものを選べるって、期待してもいいかな」

そんな言葉が心に浮かびました。


私たち一人一人、とてつもないエネルギーを秘めています。
それぞれがどれだけ自由な選択をしても、本来ならばそれらはぶつかることはありません。
自覚できないほどの些細なものであっても、「ぶつかるかも」という自己不信こそがぶつかりを生むんですね。


自分のペースで少しずつゆっくり、自分への信頼を取り戻していきましょう。
答えはいつも自分の中にあります◎


今日もお読みいただきありがとうございました・:*+.:+
あなたの全てがあなたの愛で満たされますように˚✧₊⁎⁺˳✧༚♡

続きです。


そもそも成長、成熟とは何に対して起こるのでしょう。
成長する何かがなければ始まらないはずです。

それは『等身大の自分』であり、その自分が『心の底から望む在り方』でしかありません。

他人軸の自分は等身大から大きく外れています。
そこから生まれる望みも、いわずもがなです。
そもそもどう頑張っても完全に満たされるはずがないのですね。


当時私に起きていたことは

心から望む在り方へ戻ろうとする自分と、他者基準を満たそうとする自分の間での綱引き

だったのだと思います。
ここでエネルギーを相殺していたのです。



そこへ現れたのがツイン彼でした。
彼は最も顕著な形でそれを見せてくれました。
まさに完全無欠、でした。

あの強烈な恋愛感情の裏で何が起きていたのか…

無意識の私は恐れ慄き、今までの他人軸の生き方を最大主力で彼にぶつけていました。

しかしツインはどうひっくりかえっても自分なのです🙃

他人軸の頑張りをぶつける=自己否定=彼への否定

に他なりません。

耳に痛いことを書きますが、よく言われるように彼を遠ざけているのは自分自身なのです…。


しかし、彼との関わりの中でことごとく砕け散ることで、私は等身大(自分軸)へと戻されていきました。
そして等身大に戻るほど、戦うべき敵がいなくなっていきました。

他者軸から自分軸へのシフトは単なる考え方のレベルでは収まらないほどのパラダイムシフトを起こします。

文字通り『違う世界』です。



思い返せば、彼が現れたのは『私がこの生き方をしなければならない現実的な理由』がなくなった直後でした。
にもかかわらず私はその生き方を強化しようと心に誓いを立てていたのを思い出します。

「そっちじゃないよ」

と言いにきてくれたのが彼だったのです。


男性レイとの分離の時間や試練は、等身大の自分に戻るために与えられたものです。
自分の全てでぶつかるなんてことができるのは、相手レイしかいません。(これは喧嘩をしたりするという意味ではありません)
どこまでも補い合い成長を促しあうパートナーなのだと思います。

その世界には私の恐れた幼さは存在しません。
もちろん、追いつけないほど完全無欠な彼も。

止まっていた時計の針がゆっくり動き出すのを、今感じています。




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こんにちは、ぴぴですニコニコ

最近、「私は一体何と戦っていたんだろう…?」と思うことが増えました。

  • 自分自身の幼さ

  • 完全無欠の彼

思い返せば、主にこの辺りを標的にしていた気がします。

…結論、全て妄想でした🫠

そもそも”幼さ”は敵ではなく、彼も完全無欠ではなかったから。
私が恐れていた“幼さ”は存在しないもので、それに対して生まれた彼の無欠さもまた存在しなかったのです。

ただ、一言で「妄想」と終わらせるにはあまりにもたくさんのことが絡んでいました。



私はとても子供っぽいです。
いいように言えば感性が子供です。
周囲の人曰く
「ちゃんと大人なのはわかってる、でもなんだか子供と遊んでるような気分になる」
のだとか。
最近で言えば知人の赤ちゃんと比べられます。爆



私はこれをよくないものだと認識していました。



純粋さ、素直さ=未熟さ


そう思っていました。
つまり私が恐れていたのは、未熟さです。


ですが素直さ、純粋さと未熟さはイコールじゃありません。
成長すれば未熟さは消えます。
その成長を促すのは素直さや純粋さであって、むしろ必要なものです。
どうしてそこがつながってしまったのでしょうか。


今思うに、『自分の望む在り方』を知る前に、『他人が自分に望む在り方』を優先する必要があったからだと思います。

過去話をし出すとキリがありませんが、振り返ってみる限り、そもそも『自分がどうしたいか』という選択肢自体が存在しませんでした。

自分の価値=自分の外の基準を満たせること

これが世界の全て。
そこで私の感性や性質は邪魔でしかなかったんですね。
もっと強かに、もっとアグレッシブに、結果を出さなければいけない。
自分ではなく、誰かの基準に応えるために。


しかしそうわかっているのに、どういうわけか私は自分の子供っぽさから離れられませんでした。

「成長できない私」

がんばればがんばるほど、そんな自己認識が深く深く根を張っていったように思います。


(つづきます)


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