4月16日にB内科で細胞診をして、

結果を聞きに行ったの6月7日。。。だって忙しかったんだもん。

採血の結果は自分で測ったのでわかってたし(TSH・FT3・FT4は正常値だった)、

W科長も「(細胞診が)悪い結果だったら連絡きてるから大丈夫だよ」って言ってたし。

だから2ヶ月もほっといたのさ。


で。

6月7日。

B内科へ行く。


「すいません・・・予約してないんですけど、4月16日に受診してて

その結果を聞きにきただけなんですけど・・・」


すぐ呼ばれる。



T先生。

相変わらずちっちゃい。かわいい。





「まずね、採血の結果なんですが、甲状腺の3項目は正常でした。

サイログロブリンがちょっと高いけど、まぁあまり気にしなくても・・・」


はいはい。


「で・・・細胞診の結果ですが」


はいはい。


「疑陽性でした。細胞はちゃんととれてたんですけど、まぁ陽性ともいえないけど

陰性とも言えないっていう・・・グレーゾーンなのよねぇ。

なので、がんセンターで詳しく調べてもらってください。」




・・・はい?


なにが?


何に対して疑陽性?

甲状腺マイナスじゃん。


ん?


「二人の違う医者に診てもらうっていうのは大事なことなんですよ。

甲状腺だとがんセンターはO先生が担当だから・・・がんセンターは予約はいらないんだったかな。

紹介状書きますので、これもって受診してください。」


私が必要以上に心配しないように、つとめて明るく、たたみかけるようにしゃべるT先生。



「・・・はぁ・・・」


いや、別にさほど心配はしてませんが。

なーんか。

さらに面倒なことに・・・。とは思ってます。



またがんセンター!?

母ちゃんので何回通ったと思ってんのよぉ。

やっと行かなくてよくなったのに。




細胞診の結果の控えをもらい、

紹介状を預かり、B内科をあとにする。





ちなみに。

細胞診の結果にはこのように書いてありました。



******************************

軽度の核腫大、核形不整を示す濾胞上皮細胞が、多くはシート状集塊で、

一部濾胞様集塊で認められます。


小乳頭状の細胞集塊もみられますが、核内細胞質封入体や明らかな核溝形成は

見られません。再検、精査をお願い致します。

******************************



???

まったくなんの事やら。

わざとおかしな日本語使ってるんじゃないかと思うくらい。

資格はないが、一応臨床検査の会社に勤めてる私でもまったくわからん。


ま、いっか。

きっと細胞がうまくとれなくて疑陽性だったんだよ。

がんセンター行けばハッキリするでしょ。


■本日の支払  ¥1,120

(内容)

再診

2010年4月16日


仕事を抜け出してB内科へ行く。

W科長のおすすめ。甲状腺ならここ。うちの取引先でもあります。


先生はちっちゃくて、なんかかわいい先生だった(女性ね)。

ここまでの経緯を説明。確かに普通は甲状腺の自覚症状ってそうないよね。


触診で「たしかに真ん中にありますねぇ」と言われる。

採血とエコー、そして細胞診を行う。


エコーの際に、先生グリグリといろんな角度で注意深く調べる。

画像を印刷する。




「んー。これは・・・オデキですねぇ」



おでき??



「真ん中のが一番大きくて、それでも1cmちょっとくらいだからそんなに大きくはないね。

あとほかに小さいのが何個かありますが、これは水がたまってるだけかなぁ」


おでき・・・。甲状腺におでき・・・はぁ。



「真ん中の一番大きいやつを細胞診して調べてみましょう」




細胞診とは、直接そのおできに針をさして(注射針と同じ太さ。細いのだ)、細胞を採取し、

その細胞を調べるというもの。

ちなみにこの医院では細胞診は当社には出してなかった。違う臨床検査の会社だった。

正直そのほうがよかった。ほっ。




初細胞診。




「細い針だからそんなに痛くはないと思うけど、刺してる間はツバ飲まないでねぇ」



って言われると飲みたくなるが、ガマンガマン。



「いきまーす・・・」




シャコ、シャコ、シャコ



なんだ!?想像と違う作業が行われた!!




「角度変えてもう一回やりまーす・・・」



シャコ、シャコ、シャコ



説明が難しいが、まぁ押したり引いたりして細胞をとってる感じです。

シャコシャコはその音です。



喉の真ん中にバンソウコウをぺた。




受付で「2週間ぐらいで結果出ますので、いつ来られますか?」


んー。忙しい・・・。



「すいません、仕事の予定がなんとも言えないので、来る際にこちらからまたお電話します。」



採血の結果は自分で測るからわかるしね。

細胞診はなんともないでしょ。

オデキですし。



■本日の支払 ¥7,330

(内容)

採血〔項目〕 TSH・FT3・FT4・抗サイログロブリン・TSHレセプター抗体・サイログロブリン

細胞診

母ちゃんが退院し、私は1週間ほど母ちゃんの様子見で実家に泊まり。

大丈夫そうなので家に帰り、また忙しい毎日に戻ったとある日。


いつものように精度管理室で残業。

私の科長(W科長)をはじめ、心許せる数名が残っていた。

なんかの話で体とか健康の話になった。

(年とると、そんな話ばっかだよね)



ちょっと言ってみた。




私「私、甲状腺が腫れてるって言われたんですよねー」


W科長「え!?そうなの!?」


H課長「そしたらここで採血してもらって調べればいいねっか」←(私は臨床検査の会社に勤めてます)


私「そうですよねー。お願いしますよ、科長」


W科長「え?ホント?甲状腺?大丈夫なの??」




その日はここで終わり。


でも次の日にW科長に


「昨日言ってた甲状腺だけどさー。ここで測るのは簡単だけど、もし異常値が出ても

結局は対応はできないからさ。医者行ったほうがいいよ。

B内科が甲状腺にはいいからさ!俺電話して予約しておくからさ!

仕事抜けていってきていいから、ぜんぜん。

いい先生だから、あそこ。

行ってこようよ!」

ってもうB内科のHPまで調べてあってプリントアウトもしてあった。



んー。


なんか大事になってきたぞ。

甲状腺だけ測ってくれればよかったのに。。。

それで異常値がでたら医者に行けばいいんじゃ。。。


とも思ったが、こんなに心配してくれてるのにそうも言えず。



「わかりました!じゃあ予約いれてみます。ご心配おかけしまして。」



という感じで、医者嫌いの私だが、W科長の熱意(?)に負け、

渋々B内科に予約を入れたのでした。



4月16日。予約とれたのだ。

2010年3月30日。

母ちゃん手術。普通に手術室まで歩いていく母ちゃん。

テレビみたいに手術室の前で終わるの待ってるのかと思ったら

「病棟の待合室でお待ちください」って。


そんなもんなのねー。




たしか2時間ぐらいで手術無事終了。

酸素マスクをつけてる母ちゃんの姿はちょっとショックだった。

なんかすげー弱くなったように見えた。

麻酔切れればぜんぜん元気だったけどね、本人。


1週間の入院。



さて、私は明日、再検査に行きますか。。。

がん保険も入ったし!さー来い!





で、翌日。

2010年3月31日。

ブレスト検診センターに行く。


乳がん検診のときはエコーだったので今回はマンモ。


初マンモ。痛いと聞くが、いかがなものか。。。





痛ってー!!!!



痛い痛い痛いー!!!

痛くて体が震える!!!


痛いー!!!



マジ死ぬかと思った・・・。

おっぱいが小さいせいなのか・・・。



さてさて。診察。

診察の際にまたエコー。

おねえさんがエコーで私の胸を調べる。

おじいちゃん先生がその画像を診ながらおねえさんと色々話す。


「あなたねー、大丈夫だよ!乳がんじゃないよ!」とおじいちゃん先生。



ほっ。



「ただあなたはダブルハイリスクなんだから(母ちゃんもばあちゃんも乳がん)、人一倍

気にして毎年検診を受けること!」


「はーい」


「そうそう、あんた甲状腺が腫れてるねぇ。ついでにこれもエコーで診てみよう」



へ?甲状腺?


「気づかなかった?言われたことない?」

「ありません」



エコーで喉をグリグリ。



「んー。どうしようかなぁ。これかぁ。がんセンターでとってもいいんだけどなぁ。

まぁ大丈夫か。半年後にまた診てあげるから、予約入れていきなさい。

半年後に経過をみよう」




と、なんだか腑に落ちない気もしないでないが、

とりあえず乳がんではなかった。

すぐさま旦那に報告する。

甲状腺のことも一応話す。


「なんですか、それ」



ですよねー。



甲状腺疾患と言えば、橋本病とかバセドウ病。。。

確かによく旦那に「目が飛び出てる」とか言われてたのはそのせい!?

(いや、結局のとこは目はでかいだけなんですけど)

なんて思ったり。


まぁいいか。

半年後に予約入れたし。

余裕があれば会社で調べてもらうって手もあるし。甲状腺。



これでとりあえず一区切り。

毎年検診受けます、ハイ。

自己検診もやります、毎月ね。






2009年・・・秋。母が乳がんと診断された。

かなり愕然。えええっっっ!!!


病気とかぜんぜんない母親だったし。

自分も超健康だし、完全な健康家系の血筋だと思ってたし。


・・・ん?待て。

そういや、ばあちゃん・・・亡くなる寸前に乳がんだとわかったって言ってたな・・・。


がん家系!?


えええっっっ!!!


まさかまさかのがん家系。

がん保険なんて見向きもしてなかった。

まずい・・・入らなきゃ・・・。

つか母ちゃんもがん保険なんて入ってない・・・。

兄ちゃんは幼子2人と嫁との生活でいっぱいいっぱい・・・。

私は旦那の実家に旦那と義父と生活。。。共稼ぎ。。。


私が払うんでしょうねぇ~治療費。。。



色々・・・ホントに色々頭をよぎりましたわ。

でもまず言えることは「乳がんは治るから告知する」ってこと。

だから母ちゃんは助かる。

抗がん剤で頭はハゲるが助かる。

乳がんは長いスパンで経過を見るからつきあいは長くなるが助かる。


そんな感じで母ちゃんと乳がんのつきあいはスタートした。




簡単に(至極かんたんに)経過を説明すれば

9月から抗がん剤の投与がスタート。

初めの3ヶ月は3週間に1回(だったかな)、

後半の3ヶ月は週に1回の抗がん剤注入。

初めの2回ぐらいで髪は抜け落ちた。


それでもそれ以外の副作用はたいしたこともなく(抗がん剤と相性がよかったらしい)、

まじめに通った結果、2cmほどあったがんはミリ単位にまで小さくなった。


その間私は

抗がん剤治療に付き合える時はたいてい一緒に行き、

治療費は全額負担。

そして自分の身を案じがん保険に加入し

2月には乳がん検診に行ったのだ。



そして3月に入ったとある日。

乳がん検診の結果が届く。




「要再検査」




やっぱりね。




検診のとき、ずーっと左のおっぱいを調べてたからおかしいと思ったのさ。

覚悟してたさ。



んー。



母ちゃんには言いづらい。

つか言わない。

もうすぐ母ちゃんの手術だし。

余計な心配かけたくない。



母ちゃんの手術が3月30日に決まった。

私は29日の午後から31日まで休みをもらう。

3月31日に自分の再検査の予約を入れた。


手術後ならまぁいいだろう。


さーて。

どうなるか。