2009年・・・秋。母が乳がんと診断された。
かなり愕然。えええっっっ!!!
病気とかぜんぜんない母親だったし。
自分も超健康だし、完全な健康家系の血筋だと思ってたし。
・・・ん?待て。
そういや、ばあちゃん・・・亡くなる寸前に乳がんだとわかったって言ってたな・・・。
がん家系!?
えええっっっ!!!
まさかまさかのがん家系。
がん保険なんて見向きもしてなかった。
まずい・・・入らなきゃ・・・。
つか母ちゃんもがん保険なんて入ってない・・・。
兄ちゃんは幼子2人と嫁との生活でいっぱいいっぱい・・・。
私は旦那の実家に旦那と義父と生活。。。共稼ぎ。。。
私が払うんでしょうねぇ~治療費。。。
色々・・・ホントに色々頭をよぎりましたわ。
でもまず言えることは「乳がんは治るから告知する」ってこと。
だから母ちゃんは助かる。
抗がん剤で頭はハゲるが助かる。
乳がんは長いスパンで経過を見るからつきあいは長くなるが助かる。
そんな感じで母ちゃんと乳がんのつきあいはスタートした。
簡単に(至極かんたんに)経過を説明すれば
9月から抗がん剤の投与がスタート。
初めの3ヶ月は3週間に1回(だったかな)、
後半の3ヶ月は週に1回の抗がん剤注入。
初めの2回ぐらいで髪は抜け落ちた。
それでもそれ以外の副作用はたいしたこともなく(抗がん剤と相性がよかったらしい)、
まじめに通った結果、2cmほどあったがんはミリ単位にまで小さくなった。
その間私は
抗がん剤治療に付き合える時はたいてい一緒に行き、
治療費は全額負担。
そして自分の身を案じがん保険に加入し
2月には乳がん検診に行ったのだ。
そして3月に入ったとある日。
乳がん検診の結果が届く。
「要再検査」
やっぱりね。
検診のとき、ずーっと左のおっぱいを調べてたからおかしいと思ったのさ。
覚悟してたさ。
んー。
母ちゃんには言いづらい。
つか言わない。
もうすぐ母ちゃんの手術だし。
余計な心配かけたくない。
母ちゃんの手術が3月30日に決まった。
私は29日の午後から31日まで休みをもらう。
3月31日に自分の再検査の予約を入れた。
手術後ならまぁいいだろう。
さーて。
どうなるか。