極私的洋楽生活 -3ページ目

 

 

 

 

梅雨の季節を迎えている
水という生命の源を与えてくれる
天恵であることを別として
とりわけ自分は雨が嫌いだ
 
 
革底の靴が好きで
大概雨によりダメージを食らってしまうこと
洗車をした後なのに無残な雨跡が残ること
傘に昔から縁がなく
すぐ無くしてしまう癖があること
どれも本当にくだらない理由で
申し訳ないのだけどやっぱり雨が嫌いだ
 
 
このジョセフKの曲は
何故か雨の季節になると聴きたくなる
 
 
淡々としながらドタドタしたリズム
ダミ声のなげやりな
メロディも甘美さもないボーカル
冷たくも綺羅びやかな
やたら響く音色のギター
 
 
各々が混ざり合って独特の雰囲気を
醸し出している
その醒めた無彩色の気怠い雰囲気が
自分の中で雨に想う風景とシンクロする
 
 
ジョセフKは「ポストカードレーベル」
スコットランドのこのレーベルは短命だったが
アズテックカメラ
オレンジジュースというネオアコの
看板バンドを排出した事で有名である
 
 
ポップで色彩感豊かな前出の2大バンドに比べ
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドや
テレヴィジョンに通じる
どこかアンチマーケット的で
棘のある音が商機を奪った感がある
 
 
カフカの『審判』の主人公の名前に
由来するというバンド名も
文学的で難解なイメージという壁を
作ってしまったのではないか
 
 
スタジオアルバムとしては
この曲を含む一枚だけを残して解散
その存在は日の差さない
梅雨空の下にあったようだと思う
 
 
アルバムを通して聴くと
かなりクールながら疾走感のある曲も多く
カッティングギターはグルーヴ感のない
無機質なトーンに支えられ
かなりかっこいい音が満載である
 
 
いいアルバムだと思う

 

 

 

 

from album
[The Only Fun in Town]
 
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豚袋でございます。

 

 
しかし昨今のリマスターや廃盤再発はかなりディープなところまで行われていますね。おかげで昔聴きたくても聴けなかった音源や、アナログ時代に聴いたけどその後CD化されなかったアルバムが「うそー、こんなのまで?」というレベルで出ていることも多く、一方で発売元は商売になるのだろうか?などと余計な心配をしてしまったりしますが、リスナーとしては大変ありがたい事ですね。

 

 

そんな中今年の2月に本当に待望の再発がありました。ザ・ポップ・グループのセカンド「ハウマッチ・ロンガー…」です。何せこのアルバムは相応に評価も高く需要はかなりあるはずなのに、CD発売は1996年を最後に廃盤状態。片やファーストは何度もリマスターを重ね再発されているのに何故セカンドが?という変な状況。詳しくは知らないのですがどうやら権利問題(ラストポエッツとの共作の問題らしいすね)がちょっとややこしかったようで、その後も何度となく再発すると情報が流れては消え、結果中古市場でプレミアが付いて相当な高値で売られていたのです。まさに20年ぶりという、個人的にも本当に本当に待望の再発なのでした。

 

 

ザ・ポップ・グループに関してはかなり以前ですがファーストの「Y」を記事にしていましたのでついでに見てください。

 

 
さて、「For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?(我々はいつまで大量殺戮を見過ごすのか?)」と非常に政治的というか強烈でラディカルなタイトルのこのアルバム。タイトルもそうですが、まずジャケットに目を奪われます。第一次世界大戦時のジプシーの裸の子供達のキスを撮ったアンドレ・ケルテスの写真を使ったジャケットはかなりインパクトの強いものでした。タイトルと合わせ、その闘争的・扇情的・攻撃的なアルバム内容を想起させます。

 

 

 


 
一曲目からその期待に違わぬ音が襲ってきます。前作よりも演奏技術が上がったこともあるのか、非常にタイトでスリリングでファンキーな音。マーク・スチュワートの咆哮はさらに激しさを増しているかのようです。
 
 
前作は非常にフリーキーで演奏もリズムを敢えて分断するような感じでした。各楽器もボーカルもパーツとしての音をかき鳴らしていて、一見バラバラな音をまるで無秩序なパズルのように組み合わせて音塊にしたような音楽。「解体・再構築」による音楽表現に、ジャズ・ファンク・ダブ等のエッセンスを味付けに、強烈なスクリームを掛け合わせるという手法がそのメインでありました。

 

 

 


 
しかしながら本作では前作の特徴は成りをひそめ、どちらかというと、土台に強力なリズムを据えた上に言葉を載せていく非常に構築的な作り方をしているように感じます。リズムが強くなった分、曲のパワーが増しており直感的な音を楽しめるようになったと思います。「メロディ」という意識はあまり作り手側にないのは相変わらずですが。
 
 
前作のような過去に体験したことのない斬新性・前衛性は少々薄れたことも事実ですが、逆に構築的でリズムを全面に押し出したことによりわかりやすくなり、彼らのメッセージがすんなり入ってくるような感覚はこちらのアルバムにもたらされた産物であると思います。ファーストとはまた違ったこの優れた特徴が本作を前作と甲乙つけがたい名盤たらしめているような気がしてなりません。
 
 
ちなみにこのアルバムの再発にあたって、前出の権利問題の関係から一曲を差し替える必要がありました。オリジナルの盤は3曲めが「One Out of Many」という曲で、ラスト・ポエッツという米国のラップのはしりのバンドとの共作であったのですが、ここの版権がクリアできなかったようです。したがってこの曲は再発盤では別にシングルで発売されていた「We Are All Prostitutes」に差し替えられています。この事についてhオリジナル至上主義のリスナーのみなさまはどうにも納得できないようですね。私はこの「One Out of Many」についてはマークがメインでない違和感が大きく、逆にこの曲が差し替えられたことによりアルバムとしての統一感ができたように感じます。
 
 
最後にこのアルバムのラストの曲で締めたいと思います。実は自分が一番最初に聴いた彼らの曲はこの曲なんです。当時ラフ・トレードの編集盤で「クリアカット」というコンピシリーズが出ておりその中にあった一曲で、この曲を聴いて彼らのアルバムを聴くようになったきっかけの曲でもあります。
 
 
前もザ・フォールの時書いたけど、この「クリアカット」シリーズ、再発ならないかなー。
 
 
それでは、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ブログを休止していた5年間、音楽はたくさん聴いていました。特にツィッターのお友達からいろいろな音楽をご紹介いただき、相当な量の音楽に接した5年間でもありました。今でも毎日勉強させていただいてます。
 
 
自分が興味を持って温故知新をしてきたのはブラック系譜の音楽と、特に60年代後半のあまり有名になれなかったバンドが多かったような気がします。リマスターや復刻、廃盤再発などが大量にリリースされる現在はそうした音楽を発見するには本当に恵まれた入手環境にあると思いますね。リアルタイムで体験できなかった事が時代を超えて体験できる喜び。これは音楽を聴く楽しみの大きな要素となっています。
 
 
今回はそうした温故知新したバンドのひとつ、ザ・ゴッズのファーストを取り上げたいと思います。
 
 
ザ・ゴッズはその後に名を馳せたミュージシャンが多く在籍していたことでマニアの方々には有名らしいですね。結成は1965年と古く、このアルバムをリリースするまで3年もあるのですが、その間のメンバーが今から考えるとすごい。フロントマンのケン・ヘンズレーは後のユーライア・ヒープの全盛期のキーボード奏者。ドラムスは同じく後のユーライア・ヒープのメンバー、リー・カースレイク。ギターはなんと後にストーンズに加入するミック・テイラー。ベースは後のジェスロ・タルのメンバーとなるジョン・グラスコック、という面々。
 
 
ミック・テイラーはこのアルバムを出す前にジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズに行ってしまったのでギタリストは代わりましたが、後に大成するメンバーを多く排出したバンドでもありました。(短期間ではありましたがあのEL&Pのグレッグ・レイクも在籍していたようです。)
 
 
 
 
 
 
このアルバムのリリースは1968年。当時のイギリスの音楽シーンはそれまでの英国ビート・ポップが衰退し、1967年のビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の成功が誘引した、サイケデリック~アシッド・ロックを志向したバンドが数多く出てきた時期であったようです。ザ・ゴッズのファーストもそうした時代背景を色濃く反映したアルバムですね。

 

 
ハモンドオルガンとファズのかかったギターの音色ががもろにこの時代の音を象徴していますね。曲と曲の間には妙な効果音が入っていて、なんとなくそれでコンセプトアルバムっぽい雰囲気を出そうとした感。自分はこのあたりの時代の音楽は本当に肌に合うというのか、後追いして聴いていて楽しいのです。
 
 
「創世記」という大仰なアルバムタイトルも、若きヒプノシスによるジャケットも時代感満載で素敵♪重厚過ぎないコーラス的なボーカルワークも独特のムードを醸しだしています。
 
 
メインストリームではクリムゾンやツェッペリンが革新的な音を引っさげ強烈なデヴューを果たした年。その裏でこうしたヴァニラ・ファッジやステッペン・ウルフ類似的なB級感を醸し出しつつ、プログレ的な萌芽も感じさせるバンドであったことも興味深く感じます。このあたりの新しい音楽が生まれつつあり、相当な数のバンドが跋扈していた時代は、想像でしかありませんが、さぞかしエネルギーに満ちた混沌とした情況であったのじゃないかと思いを馳せてみたりします。
 

 


 
ザ・ゴッズはメンバーがその後流動的となり、翌年セカンドアルバム「To Samuel A Son」をリリース。たった2枚のアルバムを残して解散。その後各メンバーは前出のように次以降のバンドで成功を収めるようになります。結果としてこのバンドの持つメロディアスながら重厚な音世界は主にユーライア・ヒープに受け継がれて行くのですね。
 
 
60年代後半という時代だからこそ生まれ得た音楽。聴くたびにこの時代がまたひとつ愛おしくなります。
しかし自らを「神々」と名乗るセンス、これだけはちょっとヒキますね(笑)