サワディクラップ!!
本日もKAZのブログにお越し下さいまして有難う御座いますヾ(@^(∞)^@)ノ
本日のコンケン、只今の時刻は午前10時、気温29度、湿度68%、天候は曇り(^∇^)
雨期のカンチャナブリでは連日数度のスコールに見舞われましたが此方コンケンでは一日に一度程度、未だイサーン地方は水不足が続いております(w_-;
さて、先日の記事の続きです(;^_^A(;^_^A
ナムトック・サイヨーク・ノイ駅からソンテオをチャーターしてカンチャナブリ駅に戻ってきた二人。
市内観光に訪れる前に駅前にあるこんな処へ・・・
静態保存されている蒸気機関車です(ノ゚ο゚)ノ
ただこの機関車は泰緬鉄道で使われた機関車では無く、しかもその後のタイ国鉄ナムトック線でも使われた機関車では無いようです(@ ̄Д ̄@;)
タイ北部の山岳地帯で使われていたドイツ製のガーラット型蒸気機関車457号機らしいのですが何故この地に静態保存されているのかは判りませんでした。
次に向かった先は・・・・
「ワット・タム・マンコン・トーン」です。
どうも他人とは思えないようなお腹をした布袋さん?(;^_^A がお出迎えしてくれるこのお寺。
本堂の後ろ、超~長い階段を上った先に洞窟の寺院が有るのですが、実はそれよりも注目を集める事が・・・ヽ(*'0'*)ツ
それは、此方です( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
白装束のメーチー(仏に仕える女性信者)が水槽の中で仰向けになって瞑想しているんです(ノ゚ο゚)ノ
残念ながらKAZは観ていないのですが日本のテレビ番組で報道された事が有るそうですね。
静か~に水に浮かんでいるメーチー、正直なところ水死体みたいで(見た事はありませんが)ちょっと不気味でした(・・;)
次に向かった先は・・・・
JEATH戦争博物館
ワット・チャイ・チュム・ポーンの敷地内に作れた博物館です。
日本、英国、米国、オーストラリア、タイ、オランダの頭文字からとった「JEATH」を名前にしているそうです。
当時の捕虜収容所を模して竹とニッパヤシで作られた博物館、中には当時の写真や捕虜の描いた絵、使われて居た日用品や武器が展示されていますが残念ながら撮影禁止ですので画像が有りません(ノ_・。)
此方は撮影が可能だった展示物(ノ´▽`)ノ
奥の写真はクウェー川ブリッジです。真ん中3スパン部分が爆撃により落橋している写真です。
手前の爆弾はその爆撃に使われた爆弾です∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
結構大きな物なんですね。
写真の上に書かれた文字は・・・・
「FORGIVE BAT NOT FORGET」
「許そう だけど 忘れない」
何とも心にズンッと突き刺さるような言葉ですね(w_-;
此方、建物の裏手、クウェー川を望む場所に建つ銅像。
旧日本陸軍で泰緬鉄道建設やその後の敗戦処理の際に通訳をされていた故長瀬隆氏の銅像です。
氏は泰緬鉄道建設の悲惨な状況を伝える生き証人として、また日泰友好の為に尽力された方として有名な方。
捕虜となった日本兵が船で日本に帰国する際にタイ人が「ひもじかろうと」全員の飯盒にお米を詰めて下さったという事で特にタイとの友好活動とタイの地に眠る日本の英霊の為に私費を投じて尽力されたそうです。
しかしその反面、氏が泰緬鉄道の通訳として働いたのは終戦1カ月前、泰緬鉄道建設中の事にはさほど知識も無いままに終戦を迎え、氏の言葉、例えば死者の数であったり捕虜の扱い方であったりが実態とは違う形で戦勝国に伝わったのでは無いか、との懸念も有るようですね。
私にはどちらの事も詳しい事は判りませんが戦争で多くの方々が亡くなった、その事実だけは間違いのない事、戦勝国側も敗戦国側、さらには戦場となった各国にも悲劇が有った事は間違いの無い事として受け止めたいと思います。
JEATH戦争博物館をあとにして向かった先は・・・・
腹が減っては戦は出来ぬ(;^_^A(;^_^A
昼食ですヾ(@°▽°@)ノ
普段は二人とも簡単な昼食で済ましてしまうのですがこの日は丁度見掛けたクウェー川に浮かぶ水上レストランに行ってみることに・・・
こんなモノと・・・・ちょっと奮発してこんなモノも・・・・
御馳走さまでしたo(〃^▽^〃)o
お腹もイッパイになった処で向かった先は・・・・
カンチャナブリ旧市街地を抜けて・・・・
カンチャナブリ連合軍共同墓地です。
泰緬鉄道建設に従事し(従事させられ)不幸にも命を落とされた連合軍の兵士、6982柱が眠る共同墓地です。
私達が訪れた時にはあまり人影が有りませんでしたがあちこちの墓地には新しい献花がたむけてありましたので今でも多くの御遺族の方々が訪れるのでしょう。
KAZも静かにお参りさせて戴きました。
次に向かった先は・・・・
すぐお隣にあります泰緬鉄道博物館です。
壁に書かれた文字が一つ欠落してしまっておりますが英語表記では・・・
「DEATH RAILWAY MUSEUM」
「死の鉄道博物館」です(@ ̄Д ̄@;)
日本では「泰緬鉄道」と呼ばれますが欧米圏では「死の鉄道」が一般的な呼び名。
タイ語では「ロットファイ・サイ・モーラーナ」
「地獄の鉄道路」とでも云う意味になるでしょうか? 同じような意味の呼び名ですΣ(゚д゚;)
展示物の内容はやはり泰緬鉄道に関する資料ですが残念ながら此方も全て撮影禁止(ノ_・。)
英語とタイ語の表記だけでKAZにはあまり内容を理解出来ませんが女房が説明文を読んでみた処では・・・・
連合軍捕虜以上に数多くのアジア人労働者(タイ人、マレー人、インドネシア人、ビルマ人等)が亡くなった。
日本軍が無理を承知で何故この鉄道建設に踏み切ったか。
日本軍が侵攻してきた際に何故そこに欧米各国の軍隊が駐留していたか。
そしてこの泰緬鉄道建設工事がいかに難工事であったか。
と、捕虜とロウムシャと呼ばれたアジア人労働者の悲惨な状況だけを伝えるのではなくこの鉄道が作られた時代背景等も展示してある博物館のようです。
もう少し日本語の表示が有れば・・・と残念ですね(ノ_・。)
その前に行ったJEATH博物館で見た時にもふと感じたのですが・・・・
展示されております当時の捕虜収容所での写真や捕虜の方々が作業を行っている写真を拝見しますと・・・
褌一枚の姿で作業をする姿、更にはあばら骨がくっきりと浮き上がるようなやせ細った姿・・・相当に過酷な条件であった事は明らか。しかし不思議と彼等の目は生き生きとしており、写真によっては笑顔さえ浮かべています。
しかし戦後、彼等の記憶をもとに描かれた絵は・・・どれもが死んだようなうつろな目、栄養失調で立っているだけでもやっとの姿、そして夥しい死体が横たわる姿・・・
どちらも事実なのでしょうが・・・・少し釈然としないものを感じぜずには負えませんでした。
そして次に向かった先は・・・・
チュンカイ連合軍共同墓地です。
此方にはやはり不幸にも亡くなった連合軍兵士1750柱が埋葬されております。
静かに合掌
そして次に向かった先は・・・・
「ワット・タム・カオ・プン」
タイでは有名な「洞窟寺」ですヽ((◎д◎ ))ゝ
本堂で入場料をタンブンして・・・・(本堂の写真を撮るのを失念・・・汗)
このような処を歩いて行きますと・・・・
何故かこのように棺桶が並ぶ処を通り過ぎて・・・((((((ノ゚⊿゚)ノ
洞窟内部に降りて行きます(;´Д`)ノ
実は此処は第二次大戦当時日本軍が前線基地として使用した事も有る事、そして何より・・・十数年前イギリス人のバックパッカーの方が殺されてしまうと云う悲劇な出来事があった洞窟なんです( °д°)
勿論女房にはそのどちらも内緒・・・・教えたら間違いなく入りません(^_^;)(^_^;)
中は広い処はかなり広いのですが・・・・
狭い処は横にならないと通れないほど・・・
女房と二人だけであとは蝙蝠が飛んでいるだけ・・・
洞窟の独特な匂いと蝙蝠の鳴き声でちょっと気分が悪くなりそうでした(。>0<。)
洞窟を抜けるとやはり捕虜収容所を模した竹造りの建物の中に泰緬鉄道建設時の写真が展示されていました。
此処は撮影OKでしたのでもっと写真を撮ってくればと後悔しておりますが如何せん洞窟で気持ち悪くなってしまって水を飲みたくて・・・・o(;△;)o
自動車に戻り水を飲んで体調回復、この洞窟寺から歩いてクウェー川に向かいます。
両側に土産物屋が並ぶ山道を降りて行きますと・・・・
ハイ! 線路が有るんです。
旧泰緬鉄道線、現在のタイ国鉄ナムトック線、現役の線路です(;^_^A
売店のおばちゃんに暫らくは列車が来ない事を確認してから・・・・線路を歩きます(@ ̄Д ̄@;)
こんな橋を渡り・・・・・(この橋は橋台のコンクリートが新しい様子なので泰緬鉄道当時の遺構では無いようです)
橋の向こうに見えて来たのは・・・・
有名な「チョンカイの切り通し」です(ノ゚ο゚)ノ(ノ゚ο゚)ノ
建設機械、工作機械が不足していた為に手でハンマーを振るい爆薬を仕掛ける穴を開けて爆破、それを繰り返してこの30メートルほどの高さの岩山を切り開いたそうです。
この岩山の直ぐ右側はクウェー川、断崖絶壁なので迂回したくとも迂回が不可能だったのでしょうね。
因みに資料によると爆薬を仕掛ける穴を掘るまでは捕虜達の仕事、その後爆薬を仕掛けたり爆発させるのは日本の工兵の仕事だったそうです。
会話に不都合が有る為に暴発事故や落盤事故等で少しでも怪我人が出ないようにとの配慮と言われていますが・・・・事実は不明です。
先程の御土産屋さんが立ち並ぶ先の先にも同様な切り通しが有ります。(写真撮影失念しました・・・涙)
此方は「カオ・プンの切り通し」と呼ばれているそうです。
そして線路の右側の山の上に何か見えるので行ってみますと・・・・
やはり他人様とは思えない見事なお腹の仏像が・・・・σ(^_^;)σ(^_^;)σ(^_^;)
そこから見える雄大な流れのクウェー川の流れ・・・
泰緬鉄道建設当時、日本兵や欧米各国の捕虜達、更にはアジアのロウムシャと言われた作業員達・・・・同じような景色を眺めた事でしょうね。
どのような想いでこの景色を眺めたのか・・・・想いをはせます。
本日の予定は此処まででした。
泊まっていた宿がカンチャナブリ市街地から離れていた為にこの日もホテルで夕食です。
此方はレストランの外観。
毎日此方のお姉さんがタイのフォークソングを弾き語りしています。
うるさく無くて丁度良い音量、良い感じでした(≡^∇^≡)
ちょっと手を付けてしまった後ですが・・・・(^▽^;)(^▽^;)
レストランお勧めのオリジナルサラダ・・・・(と言っても普通のサラダでした)
こんなモノや・・・・
こんなモノを頂いて御馳走さま!!(*゜▽゜ノノ゛☆
まだまだ続きます(°Д°;≡°Д°;)