私の向精神薬履歴。薬をやめてわかったこと。 | ピコニコラの屋根裏部屋〜植物療法と日々のこと。

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日々の徒然、感じたこと、何でもない話、生きること、よもやま話。

2015/07/31の文章。
(2019/07/31編集)
 
『コミュニケーションのトラブルと向精神薬』と、いうことについて
私が体験、体感したことを書いています。
 
 
私は長い間、向精神薬を服用していました。
1998年頃から2010年頃までの期間服用していました。
 
3人目の妊娠を機に断薬しています。
 
徐々に減らすというものでは無く
一気に全ての向精神薬をやめる形になりました。
 
 
お薬に関しては、症状や状態によって、考え方が変わると思うので、
ここでは断薬を通じて私が感じた事、体感したことを書いてみますね。
 
 
現在お薬を飲まれてる方は、参考程度にしてくださいね。
必要なケースや必要な時期もあるのだと思います。
 
私は、薬は絶対に飲まないほうがいいという風に考えているわけではありません。
その時々で、ケースによって、症状によって、色々な対処法が必要なのではないかと考えています。
 
 
もしかしたら、読んでるうちに辛くなる事もあるかもしれないのでフラッシュバック等、注意しながら読んで下さい
自分を守りつつボチボチで、宜しくお願い致します🙏
 
 
さて、本題になりますが、
私自身に関しては、薬をやめる事が出来て良かったと感じています。
それは、自分が完全に向精神薬の依存症になっていたという実感があるから。
 
 
けど、服薬中は、薬をやめたほうが良いだなんて言われたら凄く不安になって、傷ついただろうと思うし
今とは全く状況が違うので、あの時はあの時で必要な体験をして頑張っていたのだと感じてます。
 
 
当時は、頭も正常に働いていなくて、どんなことでもすぐに自分が責められるような気持ちになっており、
ちょっとしたことで感情が爆発することが多く、必死で自分を守っていた時期でした。
薬を飲んで感情を抑え、平穏に過ごすので精一杯の時期でした。
 
 
『薬』という傘が必要だった期間でした。
 
 
必要に応じて、自分を守ることは、
とてもいいこと☆
 
 
 
ここで、少し、振り返って、私が多種多剤の向精神薬の中毒状態になっていた経緯を書いてみることにします。
 
 
初めて飲んだ向精神薬は軽い抗うつ剤を一回二錠でした。
1998年頃だと思います。
 
その時には、効いているのか効いていないのか分からないというのが印象でした。
薬は飲んでも、生活面でのストレスが改善していなかったので、当たり前ですが何も改善されることはなく、
薬が増えていきました。
 
当時は3歳児と1歳児の育児と、それに加えて、若くして倒れた母の看病と介護が重なり、自分一人の力では、もうどうにもなりませんでした。
最初に行ったメンタルクリニックではひどい扱いで、初診で話も聞いては貰えず、薬を出すだけだね。と鼻で笑われ
帰り道は余計に気持ちが重く、途方に暮れていました。
 
なんとか話を聞いてくれる病院を見つけ、本当にほっとしました。
数か月通いましたが、その時期の記憶が飛んでいて覚えていません。
 
山の上にある静かな精神科の専門病院で先生とも話しやすく良かった印象なのに
なぜ病院を変えることになったのか、いつの間に変わったのか。
 
 
覚えているのは、病院を変わり、お医者さんには、『あなたはエンストした車をずっと運転しているような状態なの。』と、言われ、1日に飲む薬の種類も量も増え、そして更に強い薬へと、薬がどんどん増えて行った記憶です。
 
飲むと不安感が一時的に和らいだりしていたおかげで、薬を飲めば治ると信じていました。
そのため、薬をもらうと安心するという感じになっていました。
 
最終的には1回に飲む量が10錠近くなり、それを1日3回+寝る前と、とにかくたくさん飲んでいました。
 
今思えば、お薬を飲みながらでも生活を整えたり、負担になっているところを改善しなければ何も変わらないのに、薬を飲んではぼんやりしてしまうので、考える力も徐々になくなってしまっていたのです。
 
その間、離婚や母の介護に関わる問題が次々起きて、薬を服用しながら
ありとあらゆる手続きに追われていました。
 
今思えば、よくあれだけストレスの多い手続きの数々と話し合いを薬を服用しているような状態で
一人で、やれたな。と思います。
成年後見の手続きがとても大変でした。書類がとても多いのです。
 
そのころの記憶はほとんどないけれど、どうやって毎日を過ごしていたのか
今こうして生きているのが不思議なほどです。
 
 
引っ越しを機に、今の主治医に変わった時には、『あなたはこんなに薬は必要ないよ。こんなに飲まなくても大丈夫なんだよ。』と教えてもらい、そこから薬は少しずつ減っていました。
 
 
薬を減らしてもらって1年くらい過ぎて、
妊娠したキッカケで断薬することになりました。
徐々に減らすというものではなく、一気にやめる形になりました。
 
 
 
 
 
断薬しなければならないと分かった瞬間、私が感じたのは、罪悪感と不安でした。
 
 
すぐに湧いてきた気持ちが「自分は薬なんてモノに頼るダメな人間だ」という思いでした。
 
 
そんなこと誰も言ってないのにね。

自動的にいつも悲観的な想いが襲ってきました。

 
 
この『勝手に悲観的になる』というものも、薬の副作用だったのだろうなぁ~と今は思っています。
これは、私の主観に過ぎません。
 
 
向精神薬は私の脳に誤作動を引き起こしていたんじゃないかな?と思っています。
 
今振り返ると思うことは、悲観的な考えが浮かんできてもそれが、悲観的であるとも思えていなかったし、普通思いもしないようなマイナスな考えになっている事にも、気がつきもしませんでした。ポジティブという感覚が極端に薄れているような状態に陥っていました。
 
しかしこれは当時、全く意識できませんでした。
 
 
私は薬の知識はないのでわかりませんが、今思うと、体感としては、まるで
当時の私の脳は故障していたかのように感じます。
 
 
認知症の人が勝手に勘違いして怒ったり泣いたりしてしまう感覚と似ているかも知れません。
 
 
自分ではコントロール出来ない状態になっていました。
 
 
 
ここまで、書いて、もう一度書きたいのですが
 
 
何がなんでも薬を悪いという人もいるけれど、
私は薬というモノが、完全に悪いものだとは思ってはいません。
 
 
ただ、必要がない時に、必要以上の薬を飲むと
こんなに大変なことになるんだなぁと思っています。
 
 
そして、薬だけ飲んでいてもなんの解決にもならないのだと感じています。
 
 
 
薬が必要な時や場合もあるし
必要な方もいる。
 
薬の力を借りて何とか生きている人はたくさん居ると思うし。
 
 
命が最優先なので、薬に頼って安全を一番に考えるしかない場合もあります。
色々難しい問題がありますね。
 
 
その時々で、薬以外のことも忘れないようにしなくてはいけなかった。
 
 
何でもかんでも、薬が必要なわけでもないだろうし、逆に何でもかんでも、薬がダメだという事では無いと思います。
 
けど、
 
薬を飲みつつ、どんな風に解決していけるのか、考えて改善しながらじゃないと、薬依存になっていくだけなんだと感じています。
 
 
強い薬を飲んでたりすると
考える力もなくなるし、そこを、サポートをしてくれる医師や病院でないと、ダメだと思ってます。
 
 
そして、今思うと、自分には必要のない、必要量以上の薬を私は飲み続けていたなーと思います。
 
振り返ってどうこうできる問題でもないけど、その当時私に必要だったのは、薬だけじゃなくて、安心感とか、話し相手とか、親身に接してくれる人のいる環境であって、薬ではなかったなぁと。
 
 
それを切り開いていく力も
当時の自分にはなかったけれど。
 
 
 
 
話を戻して、
 
「自分は薬なんてモノに頼るダメな人間だ」という思い。この思いを整理するのも大変でした。
 
 
断薬に成功すれば、薬にも頼らず生きてるわけです。
未来の「断薬に成功した私」からしてみると、薬を飲んでる私は『薬がなくても生きていける癖に薬に頼って甘えてるダメな人間』なのでした。それがまず怖かったのです。
 
 
そんな風に思わなくてもいいのに、そんな考えがどうしても浮かんできてしまう。
元気になりたいという思いはあるのに、元気になってしまった時の事を思うと、その未来の自分から見た今の自分かダメ過ぎてすぐに自分を責めていました。
 
 
断薬から、更に10年経ったいまは、よく頑張ったなぁ。あんなに不必要な薬をたくさん飲んでいたのに生き延びて偉かったなぁ。よくやった、よく耐えた。そう思うのです。
 
 
 
 
向精神薬とコミュニケーションについてですが、
薬を飲んでる時は、ほんとによく、悲観的になりました。
 
自分では、実際何かが起きて、人に何か嫌味を言われたり、変な風に思われたりしたと思ってるんです。
 
 
けど、現実や実際は少し違ってたと思います。
 
とにかく、幻聴、幻覚のようなレベルで人から誤解されたり意地悪を言われたりしてるように感じていました。
 
 
最初の方でも書きましたが、認知症の人が一人で勝手に怒ったり泣いたりしてるのと似てます。
 
 
周りは、『そんな事言ってないのに』と言う。
傷つけようと思って言ったのではない。と。
 
 
けど、自分には意地悪や嫌味にしか聞こえない。そんな現象が起きてしまっていました。
 
 
そしてギスギスした空気が流れては、ますます人間不信になっていました。
 
 
 
断薬ができて、薬を止められた後の思考がとてもクリアになったあの感じは、鮮明に覚えています。
 
 
凄く、軽やかに、穏やかになりました。
 
変に罪悪感に引きずり込まれたり、自分が責められているような感覚になることもなくなりました。
 
 
すると、トラブルになる事も減りました。
 
 
瞬間的に自分が責められたと感じて、会話が噛み合わなくなったり、攻撃的な態度になってしまう事がトラブルの元だったのだと今は感じます。
 
 
だけどこれは、薬をやめただけでそうなったかどうかは、はっきりとはわかりません。
環境だって変わったし、安心感も違います。
 
 
けど、薬をやめた事によって判断力が明晰になって、より良い環境を選んだり作ったり出来るようになった実感はあります。
 
 
脳みその回転か良くなった事でネガティブな考えに傾かなくなり、トラブルが減ったのは断薬のおかげかなと思います。

自分を取り巻く環境が、トラブルが多すぎたのは、自分の思考ぐせが原因だったかもしれません。

 
他には、自分の周りにいる人たちも似たような感じでネガティブなエネルギーの中で暮らしている人も多かったので、その影響もあったかもしれません
環境や、付き合う人はとても影響しあうので、自分をどういうところに身を置くかはとても大事ですね。
 
 
 
 
当時、考える事といえば自分を責めるか、人を責めるか、主導権争いの思考ループに陥っていました。
悪いのは自分が⁈相手が⁈オールオアナッシングで、そこばかりグルグルして、想像するのは悲しいことばかりでした。
当時はそれが薬の影響も大きいとは、考えもしない事でした。
 
 
薬をやめて良かったなぁと実感したのは冷静な分析と理解ができる事です。
 
 
当時、自分がまともじゃないなんて思いたくもなかったし、
けど、もしも今この瞬間の思考がまともじゃないんだとしたら、、、と、やっと認めた時
 
その時から回復をし始めました。
 
 
「この薬を飲んでると私はまともじゃない思考になるのか、、、そうなのか。
 
自殺したくなったのも、悲観的になりすぎるのも、もしかしたら薬のせいなのか?」
 
 
ビクビクしながらそう気付いて行ったとき、自分に対して優しさを向けられたとき、薬からの脱却が始まりました。
 
 
薬をやめて感じたことは、向精神薬も麻薬と同じかも。ということ。
実際のドラッグの怖さは知らないけれど、何か同じような怖さを感じました。
 
 
 
 
そして、根本から心の病気を治す薬というものは存在しないと感じています。
 
 
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私自身が、心を病んで、そこからの回復に必要不可欠だったのは
 
まずは『休息』『安心』『思いやり』
そして『希望』と、『笑い』。
 
 
優しく穏やかな時間です。
 
あとは『自分にできる事』
 
役割りがあるって、私にとっては大切でした。家事とか、作業療法とか、ほんの少しでもいいから人の役に立つこと、なんでもいいから社会に近いとより良いと思う。それが自尊心に繋がるから。自尊心は生きる自信になります。
 
居場所というのは本当に大きなことです。
 
 
何も思いつかないなら、掃除がいいです。
どこでもいいから掃除です。
 
それからなるべく規則正しいリズムのある生活がいいです。
 
 
それを自分のリズムで。
 
 
それらを出来ない日を責めないで、
自分を育てていこうとする愛情や思いやりが一番大切でした。
 
出来ない日、出来ない自分を分かってもらえるように、伝える。
 
 
伝えるときは『だって出来ないんだもん!病気なんだぞコノヤロウ』じゃなくてね。
相手にも思いやりを。
 
 
愛と思いやり。
これは薬なんかよりよっぽど私を回復させてくれました。
 
安全な場所で、話したい事をたくさん話しました。我慢しないで話したいこと何でも話しました。
 
我慢といのは、いつでも「我慢をさせられている」気になるものだけれど、
我慢を選択している自分に気づいて、自分を許して、自分に我慢させないであげてみたのが良かったなぁと感じています。
 
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長文でした。(^^)
 
今日も読んでくれてありがとうございます。