特設艦船戦史 雑想ノート -6ページ目

特設敷設艦「新興丸」

【特設軍艦】

特設敷設艦「新興丸」

新興商船〔昭和18年以降、橋本汽船〕

  

【入籍】

昭和15年12月16日付 特設敷設艦籍

(同日に機雷敷設に従事する特設敷設艦に指定された)

【総トン数】

6,479トン

【機雷搭載量】

700個 


【所属】

第三艦隊・第二根拠地隊 〔開戦時〕
第二南遣艦隊第二十三特別根拠地隊 〔昭和17年3月10日付〕
海上護衛総隊・第十八戦隊 〔昭和19年1月20日〕

[当初、第二十三特別根拠地隊にあって南方を行動していましたが昭和18年の終わりか19年のはじめに第十八戦隊に合流し佐世保を中心に活動(重箱隅突付枡さまよりの情報)]
第十八戦隊:敷設艦「常盤」、特設巡洋艦「西貢丸」、特設敷設艦「高栄丸」、「新興丸」 

 

これらの特設艦は機雷の敷設軌条が2条だったが、元来が貨物船だったので、機雷の搭載量が多かった。

 

昭和18年5月21日

軍令部総長:永野修身大将は、鎮海警備司令官:後藤英次中将に対し、黄海に対潜防御用機雷原を敷設すること下令した。

上記、特設巡洋艦「西貢丸」、特設敷設艦「高栄丸」、「新興丸」は、一時的に鎮海警備府に編入され、朝鮮半島の南西端から南西に向け、長さ158浬に渡り2列6,000個の機雷を浅深度に敷設することになった。

 

九三式係繊触覚機雷を舞鶴を搭載。

 

昭和18年6月初め

黄海南部に3隻が並行に航行し、80メートル間隔で震度13メートルと23メートルに敷設。

昭和18年9月

敷設艦「那沙美」が黄海に機雷を敷設、同機雷原を強化。


昭和19年1月

敷設艦「厳島」が黄海に機雷を敷設、同機雷原を強化した。 


昭和19年1月~2月

哨区が黄海の米潜水艦「スコーピオン」は、1月6日以後消息を絶ち、黄海に敷設された機雷原にて沈没したものと推定されている。 

《米軍記録》

喪失:「スコーピオン」(艦長:M・G・シュミット中佐以下76名全員が行方不明)

*「スコーピオン」は日本商船4隻を撃沈している。


昭和19年1月20日

第十八戦隊が「常磐」「新興丸」「高栄丸」「西貢丸」で編成された。

 

昭和19年10月17日以降(?) 

哨区が黄海の米潜水艦「エスコラ-」は、9月18日ハワイを出撃(初出撃)。ミッドウェーで燃料を補給。10月17日に僚艦「パーチ」に「本艦の現在位置は朝鮮半島の南西方の黄海にあり」と通信を送り、以後、消息を絶った。
《米軍記録》

喪失:「エスコラ-」(艦長:ウィリアム・J・ミリガン中佐以下82名全員が行方不明)

*「エスコラ-」による日本艦船の被害は無い。
 

 

昭和19年1月~6月

東シナ海に機雷12,000個を使用、4地点に大規模対潜機雷礁を敷設した。

昭和19年6月19~20日

第四機雷礁(沖縄付近)で敷設作業がおこなわれた。

第十八戦隊

 敷設艦「常盤」

 特設巡洋艦「西貢丸」

 特設敷設艦「高栄丸」

 特設敷設艦「新興丸」

警戒隊

 水雷艇「友鶴」(第四海上護衛隊)

 敷設艇「鷹島」(大島防備隊)

 駆潜艇第五八号(第四海上護衛隊) 

 旧駆逐艦「海威」(旧「樫」、1937年満州国に譲渡)

上記、特設艦艇は、九三式機雷と六号二型機雷を合計1,650個を距離165キロ、各100メートル間隔で深度13メートルに敷設した。

 

昭和19年10月10日

「タマ二十九のA船団」(高雄~マニラ間)

【船団編成】

二等輸送艦第一三五号(950トン)〔トラック1台、特二式内火艇9隻と戦車兵78名を搭載〕

二等輸送艦第一三六号(950トン)〔トラック1台、特二式内火艇9隻と戦車兵77名を搭載〕

敷設艇「前島」(720トン)

特設敷設艦「新興丸」(橋本汽船、6470総トン)

0400 高雄を出港。

ルソン海峡を縦断し南下。


昭和19年10月11日

第三南遣艦隊(司令部:マニラ)は、「タマ二十九のA船団」に対しルソン海峡南部ムサ泊地への避退を命じた。

 

昭和19年10月16日

第三南遣艦隊より、船団はルソン島北西岸ラボック湾へ前進せよと命令を受け、ムサを出港。

1800 ラボック湾に入泊した。

 

昭和19年10月18日

船団はラボック湾に残留する第一三五号輸送艦、「新興丸」とすぐ北方のサロマグ湾に向かう第一三六号輸送艦、敷設艇「前島」に分かれた。 

フィリピン中部と北部に対して、米海軍の第38機動部隊第2任務群「イントレピッド」など正規空母3隻、軽空母1隻、第3任務群「レキシントン」など正規空母2隻、軽空母2隻の艦載機による空襲が開始された。

1300過ぎ ラボック湾が急降下爆撃機による攻撃を受ける。

4分後、サロマグ湾も同様に攻撃を受けた。

ラボック湾の「新興丸」に爆弾が命中、搭載していた機雷が誘爆し轟沈。生存者無し。

第一三五輸送艦は機銃掃射により上甲板上の特二式内火艇が炎上した。

サロマグ湾の第一三六号輸送艦は艦尾に3発の爆弾が命中し、特二式内火艇の燃料に引火、大火災を起こす。「前島」は対空砲火により防戦したが、爆撃により沈没した。

1335 第一三六号輸送艦が総員退去命令。

1340 第一三五号輸送艦に総員退去命令が出た。

船団の4隻は全滅した。

「新興丸」以外の各艦の乗員と特二式内火艇の乗員総数約360名は海岸に泳ぎ着き生存した。

 


 

昭和20年1月

沖縄近海の配置についていた「ソードフィッシュ」への、一次哨区を離れ屋久島近海に移動する命令に対し、1月3日受信確認の通信を送信、以後、音信を絶ち、沖縄近海で機雷原にて沈没したと推定される。 

《米軍記録》

喪失:「ソードフィッシュ」(艦長:K・E・モントローズ中佐以下89名全員が行方不明)

*ソードフィッシュは、駆逐艦「松風」を含む、日本艦船21隻を撃沈している。

 


特設敷設艦「新興丸」の関連した機雷敷設による戦果は、米潜水艦〔「スコーピオン」「エスコラー」「ソードフィッシュ」〕3隻と推定される。


*特設巡洋艦「西貢丸」、特設敷設艦「高栄丸」の稿も参照下さい。 




【備考】

(重箱隅突付桝さまよりの情報)

特設艦船となった商船の「新興丸」は3隻あり、
1.特設敷設艦「新興丸」
2.特設砲艦「第一号新興丸」
3.特設砲艦(機雷敷設に従事する特設砲艦)「第二号新興丸」
です。
1は新興商船の船で昭和18年以降に橋本汽船に移籍したようですが詳細は存じません。
2は丸井汽船の船で昭和18年以降に図南汽船に移籍したようですが詳細は存じません。入籍は昭和13年ですが昭和16年10月15日に「第一号新興丸」と改名されました。
3は大阪商船の船で昭和14年に東亞海運に移籍しました。最初に書かれてあったように関西汽船に再度移籍したかどうかは存じませんが、すくなくとも昭和18年の日本船名録(昭和17年末現在)までは東亞海運所属になっております。


(出沼ひさしさまよりの情報)

コメント欄を参照ください。
 

 

【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献」を参照下さい。 

 

[筆者注:調査未完のため、今後大幅に加筆・改訂を予定しております] 

 

初稿  2005-07-15

第2稿 2005-07-17 一部加筆

第3稿 2005-07-23 「西貢丸」「第二号新興丸」「高栄丸」に分稿

第4稿 2005-09-30 一部訂正・加筆

第5稿 2005-10-01 一部訂正・加筆
第6稿 2005-10-02 一部稿修正

第7稿 2005-12-23 一部加筆

第8稿 2006-07-29 一部加筆

海軍特定符号(名称符号)「戦時編成」

本稿は、出沼ひさし氏ご提供の資料より転載し作成いたしました。 


【アルファベット順】


aBg  特別根拠地隊
AF  航空艦隊
bg   防備隊
Bg  根拠地隊
bS   防備戦隊
cdg  海防隊
CF  遣支艦隊
cg   通信隊
chg  駆潜隊
CSF 支那方面艦隊
D   小隊
dg   駆逐隊
EF  護衛艦隊
F   艦隊
fg   航空隊
g   隊
GEB 海上護衛総隊
GF  聨合艦隊
Gg  砲艦隊
GKF 南西方面艦隊
HF  方面艦隊
HTF 北東方面艦隊
KEg  海上護衛隊
kg   警備隊
kS   警備戦隊
lg   陸戦隊
NKF 南遣艦隊
NTF 南東方面艦隊
pg   哨戒隊
S   戦隊
Sd  水雷戦隊
Sf   航空戦隊
sg   潜水隊
Ss   潜水戦隊
St   輸送戦隊
Sz   特攻戦隊
tg   水雷隊
TS  練習戦隊
Tug  輸送隊
TYF  中部太平洋艦隊
wg  掃海隊

付録 「日本商船隊」 戦史雑想ノート

大平洋戦争では、戦時海運管理令等により、戦争遂行のため陸海軍のよる民間の商船の徴用が認められていた。
戦時中に商船だけで約2,500隻、船員約3万人が戦没した。木造の機帆船や漁船も加えると、7,000隻以上、約6万人が犠牲となったといわれている。
潜水艦や艦艇の攻撃により極度の船舶不足に陥いり、船種ごとの統一規格を決めた「戦時標準船」の新造が進められたが、物資不足で脆弱な船も多かった。

当ブログの『付録 「日本商船隊」 雑想ノート』は、それらの徴用商船が挙げた戦果についての記録である。

不完全な記録ではあるが、読者各位には過去にこういう事もあったのだと伝え、何かを感じ取って貰いたいのが筆者の願いである。




【戦歴】

輸送船:「北光丸」「三興丸」「伏見丸」

昭和17年10月21日

ラバウルの陸軍第一七軍を補強するため、仏印より独立混成第二一旅団を派遣するため、輸送船団〔「ぼすとん丸」「北光丸」(5,346総トン/山下汽船)「三興丸」(4,960総トン/山本汽船)「伏見丸」(4,935総トン/内外汽船)〕がサイゴンを出港。グアム島を経由してラバウルに向かった。


昭和17年11月16日

一番大型の「ぼすとん丸」が、パラオ諸島付近にて米潜水艦「シール」により撃沈された。

他の3隻はただちに逆襲に転じ、深度18メートルにて魚雷を発射した「シール」に対して船体上部に体当たりした。〔船名は特定出来ない〕

《米軍記録》

損傷:潜水艦「シール」(潜望鏡2本とSDレーダーが使用不能となったため、戦闘行動を中止して、オーストラリア・フリーマントル基地に帰投した)

*「シール」は戦時中、日本商船7隻を撃沈した。


 

【戦歴】

輸送船(戦標船2A型):「向日丸」(約6,800総トン/大同海運)


昭和20年8月9日

「羅津港内夜間対空戦闘」

「向日丸」は来襲したソ連軍雷爆撃機と対空戦闘を行う。

戦果:撃墜・1機


昭和20年8月10日

「朝鮮沿岸対空戦闘」 

「向日丸」は最後の1船として、羅津港を出港。南下し雷撃機による攻撃をかわしつつ対空戦闘中、羅津よりの脱出輸送船の護衛の為、北上してきた第八二号海防艦と合同する。

舞水端南西約7浬地点で、第八二号海防艦はソ連軍雷撃機18機の攻撃を受け、うち3機を撃墜したが魚雷1本が命中、沈没。

「向日丸」は第2波の雷撃機18機と交戦しつつ、海防艦乗員の救助にあたる。

戦果:撃墜・雷撃機2機

〔筆者注:「向日丸」と第八二号海防艦の勇戦力闘に関しては、当ブログ・ブックマーク欄にリンクされている『硝煙の海』の作成者:菊池金雄氏の稿  http://www.geocities.jp/kaneojp/03/0365.html  を参照して下さい



以下、続きます。 

 


【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献」をご覧ください。

初稿  2005-07-09

第2稿 2006-01-15 「向日丸」の稿を追加。

第3稿 2006-01-16 一部修正