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🛏️ ⑫焼失した南武ストアーと出桁造りの寝具店 

 

 

 

 

 

新丸子駅にある商店街はメインストリートとなる西口の医大通り商店街、それと平行する西口本通り商店街、そして東口の商店街である

 

このうち医大通り商店街は、昭和30~40年代にかけては川崎市中部でもっとも栄えていた商店街であったが、次第に衰退し現在はごく普通の駅前商店街になっている

 

 

それ以前、まだ街道が交通インフラの主流だった戦前から戦後にかけては、小杉十字路付近の中原街道が芝居小屋などもある繁華街だったが、こちらは新丸子駅付近が栄えるのと引き換えに衰退して、現在は完全に滅びてしまった

 

 

新丸子駅東口の商店街は、西口とは異なり駅から真っ直ぐすすむ道と、駅前で交差する道ぐらいしかない。こちらも駅前付近は普通の商店街だが、綱島街道を越えた先はほぼ壊滅状態になっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

商店街を抜けたところにはこんな土蔵が残っていたが、この先には何もなさそうだったので、この町でもうひとつだけ無事を確認したかった物件がある丸子橋の脇にある細い道に向かう

 

その細い道は、多摩川にまだ丸子橋が架かる以前は、丸子の渡し場から中原街道に出てすぐの場所で、拡幅されて丸子橋に続いている新しい中原街道の旧道部分に当たる

 

 

その旧道部分は、わずか数十メートルしか残っていないが、街道に出た場所に……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな房総スタイルの古民家が残っている

 

街道に面した部分は、住居の入り口になっているが、脇道に面した部分には店舗の跡がいまだに残されている

 

 

この物件が現役だったのは僕がまだ小学生の頃なのに、なんとなく魚屋だったような記憶が残っているが、もしかしたら僕の記憶違いかもしれない

 

しかし、さほど古民家に興味がなかった頃のことを、なんとなくでも覚えているのは、この建物の向かい側には当時は珍しかった高層(といっても5、6階建て)のマンションがあったからだ

 

 

もちろん、当時でも他にもマンションはあったが、祖父がその建物を指して「今は普通のマンションだけど昔は巨人軍の寮も兼ねていて、二軍選手だったジャイアント馬場も住んでいたんだぞ」

 

--と、語っていたからだ。祖父の話によると川崎市中部きっての繁華街だった商店街を馬場が歩いていると、人混みから完全に肩から上が出ているので、一目でそれとわかったそうだ

 

 

と、曖昧な昔話をしたところで、新丸子から武蔵小杉をスルーして舞台を南武線に移す

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは現在の武蔵小杉駅の商店街「法政通り商店街」の入り口。後方のタワーマンションは、解体された新丸子の昭和なビルと似たような古いビルの跡地に建っている

 

 

 

 

 

 

(この写真は2017年撮影。道路拡幅により消え去る運命の看板建築とタワマン銀座に開店した大型ショッピングモール・グランツリー)

 

 

(タワマンの脇に残っていたこのバラックは、今でも存在しているだろうか?)

 

武蔵小杉を飛ばすのは、今や武蔵小杉に残るちょっと古い建物は、府中街道沿いにわずかに残る戦後型看板建築ぐらいで、ほとんど見所か存在していないからである

 

その看板建築も昭和なビルから建て替えられたタワーマンションの脇にへばりついているだけで、しかもこの町並みもクダラナイ道路拡幅により、早晩地上から消え失せる運命にある

 

 

 

 

 

 

(こちらも2017年撮影)

 

ちなみに以前は、昭和初期に建造された土蔵造りの相撲部屋を移築したこんな居酒屋もあったが、今は跡形もなく取り壊されて道路予定地になっている

 

というわけで、どうでもいい武蔵小杉は飛ばして、南武線で次の駅の向河原に向かうが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

向河原駅は、むしろ武蔵小杉駅よりもタワマン銀座に近い場所にあるが、商店街は昔からごく小さな規模で、とくに見所はない

 

なので、さらに次の駅の平間に向かう

 

 

平間はわりと繁盛していた商店街があるが、やはり駅前から離れた場所から徐々に住宅街に侵食されつつあって、以前は「平間商栄会」という商店街のアーチなどもあったけれど撤去され、すっかり寂れて店舗の数などは全盛期の半分もないのではなかろうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは店構えがやってくれそうな「グリル マツシマ」という店で、僕が高校生の頃にはすでにこの場所にあったと思うが、なんとなく入りづらい雰囲気なので一度も入ったことがない

 

この「グリル マツシマ」と路地を挟んだすぐ並びには、かつて僕の大好物であるマーケットがあったが、ブログをはじめる前の2010年に火事で焼けてしまい記録に残していない

 

 

ところが現在では過去のストリートビューという新兵器があるので……

 

藁にもすがる思いで過去をチェックしてみると、マイナーな場所は2010年からしか映像が残っていない場合がほとんどだが、奇跡的に火事の直前の2009年の映像が残っていた

 

 

ビューを見ながら思わず「おおっ」と、感嘆の声が出そうになるぐらい素晴らしい物件だ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これがその「南武ストアー」である

 

もし今この建物が残っていれば、インスタのレトロ系ポストや昭和レトロ系のブログが放っておかないだろう。まあ、通りのマンション病罹患率を考えると建て替えられてしまっている可能性が高いが

 

では何故そんな商店街に来たのかというと、南武ストアーは焼けてしまったけれど、この商店街にはまだよい物件が残っているのだ。それが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の知るかぎり川崎市幸区に残る唯一の出桁造り商家である「寝具のいわはし」という建物があるからだ

 

残念ながらこの日は定休日のようだが、この商店街で唯一現役で営業している戦前物件だ。というか、川崎市内の中原区、幸区、川崎区で現役なのは、これと川崎と鶴見の真ん中ぐらいに残る酒屋ぐらいであろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この建物は高校生の頃から見てはいたと思うが、戦前物件だと気がついたのは古民家に興味を持つようになってからのことで、それまでは単に布団屋としか認識していなかった

 

前の記事で紹介した原家薬医門と通りを挟んだ並びにも僕が子どもの頃は立派な出桁造りの古民家があったが「立派な家だなあ」とは思っていたけれど、とくに興味を持つこともなく、そのように見逃していたことが今さらながらに悔やまれる

 

 

話が横道に逸れたが次回も平間駅の周辺の風景を紹介する

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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