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🍶 ⑪消えた看板建築飲み屋街と平屋の精米店
今回は中原街道から外れて新丸子の駅前方面に向かう
タイトルバック写真は、西口駅前から中原街道方面に向かう線路沿いの商店街の、かつて踏切があったところを写したものだ
東横線が高架になる以前は、ちょうどその踏切のあたりがホームの外れにあたり、踏切をわたった東口の右側にキャバレー・ロンドンがあった。僕が小学生の頃のことである
タイトル写真に写っているペットショップは、僕が子どもの頃からあった記憶があるが、その背後に見えている無機質な白いビルにはまったく覚えがない
僕の記憶では、この場所にはレトロなビルがあり、その1階にはスーパーがあったはずだ
そこで、いつものように過去のストリートビューをたしかめてみると
僕の記憶のとおり、そこにはレトロなビルと「生鮮市場」というスーパーがたしかにあった
年代を追って見てゆくと2009年には営業していたが、次の2014年に入り口はトラ棒で封鎖され、長年そのまま放置された挙げ句2022年に解体されてしまったようだ
以前、このようなディープな物件を取り上げる「東京DEEP」というサイトでは、この建物と武蔵小杉の法政通りにあった同様の昭和30年代風のビルを紹介していたが、両方とも解体されてしまった
これらのビルが建てられたのは昭和30~40年代のことだから、常々僕が言っている「ビルなんて半世紀もすれば始末に負えない巨大な資源ゴミ」という常套句がシャレや冗談ではないことが、ここでも証明されたけれど、ちっとも嬉しくない
もっと嬉しくないのは、この「生鮮市場」のビルから中原街道方面に少しゆくと黒湯で知られた「丸子温泉」という銭湯があるが、その向かい側に残っていた……
こちらの見事な房総スタイル(またしても、だ)の精米店が……
跡形もなく取り壊されてしまい、読者諸賢の思い浮かべたとおり面白味や風情の欠片もない、どうでもいいマンションにされてしまったことであろうファッキンシット!
ある日とおりかかると、こんな更地にされていて「ああ、やっぱりか……」と、えらく気落ちし写真を撮る心の余裕がなかったので、ビューからキャプチャした画像を貼っておく
さて、タイトルバックのペットショップからガードをくぐり、今度は東口の商店街に向かうと
東口は西口とは異なり米軍の爆撃を逃れたという話であるが、残念ながら戦前物件などは残っておらず、いかにも昭和中期といった佇まいの戦後型看板建築が並ぶ町並みが続いている
もちろん、そのところどころはマンションなどの新しい建物に侵食されてしまっているが、それは首都圏近郊では当たり前の事象になってしまった
それでも、この商店街は駅前からいきなり昭和の雰囲気をよく残した町並みが残っているほうで、昔どこかで見たような懐かしい佇まいの個人商店が並んでいる
どうやら閉店が決まった昭和レトロマニアや、喫茶店マニアでは知られた「珈琲マリモ」
この店には思い出がある(またかよ)
高校生の頃、この近くに住んでいた後輩と、この店でコーヒーを飲んでいたら当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったおニャン子クラブの新田理恵と山本スーザン久美子が隣のテーブルに座ったのだ
僕は新田理恵が好きだったのでクールな表情を崩さず、内心はエキサイトしながら会話を盗み聞きすると、どうやら近所のマンションに住んでいる山本スーザン久美子の家に、新田理恵が遊びに来たことがわかった
という、どうでもいい話はともかく……この「珈琲マリモ」の角を駅前から見て右に曲がると、かなりDEEPな看板建築の飲み屋街があるから、是非とも撮影せねばなるまい
と、意気込んで曲がったら……またしても目当ての物件は跡形もなく取り壊されていたファッキン!
しかたないので、こちらも7年前に撮影した写真を貼っておく
まあ、7年前にすでにこんな状態だったので、取り壊されて宜なるかな、ではあるが、もう一度この風景を見てみたかった
新丸子の東口には、以前の連載記事でも取り上げた花街、つまり三業地があったが、現在は跡形もなくマンション街に上書きされて遺構すら残っていないのでスルーして、商店街を先にすすむが……
綱島街道から先の商店街は、花街と同様にほとんど壊滅しているような有り様で、廃業している店舗ばかりが目つにいた
僕が高校生の頃は、ルビコン書店という左翼系のコアな本屋があったりしたが、現在そのあたりの町並みはすべて壊滅してマンションになっている
「炭火焼きホルモン本舗 牛村」という店が気になったので、こちらも7年前に撮影した写真を見返すと……
この時点においてすでに廃業して放置されている雰囲気なのが、商店街の衰退を如実に物語っていた
しかし、そのすぐ先には現役洋品店があったはず。と、そちらを見ると
残念なことに洋品店も廃業してしまったようで、軒先のクレハロンテントに記されていた屋号も消されてしまっていた
これが7年前に撮影した同店の様子である
赤いクレハロンテントには、やけに過剰にデザインされた文字で「いづみや」と記されていた
隣にはRC構造三階建ての建物があるが、7年前と現在では別の建物に建て替わってしまっている。このことからも鉄筋コンクリートの建物などは、昔のきちんとした木造建築に比べて、いろいろな意味で寿命が短いことがわかる
ということで次回も新丸子をもう少し散策したあと、武蔵小杉から南武線で南下するコースを辿る
†PIAS†
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