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ピアノ途(みち)

自宅と大学でピアノ指導に携わっています。杉並区でピアノ教室を開いています。最寄は中央・総武線(・東西線)阿佐ヶ谷駅。西武新宿線鷺ノ宮駅。レッスンで使用するピアノはスタインウェイです。

望郷のバラードで有名なヴァイオリニストの天満さんがテレビに出演なさっていました。

かなり昔、テレビにでていたとき、「不思議なことをいう人だな」と思ったこと、音楽家って普通の人ではないのだなと認識したことを思い出しました。
今日も不思議感がいっぱいで、東邦でちゃんと先生ができているのかと少々不安になりました。(音楽家の個性という意味においてはなくしてはならない大切な部分ですが)

「見上げてごらん夜の星を」や「ふるさと」を弾き、天満さんの代名詞である「望郷のバラード」も生演奏なさいました。

クラッシックの演奏者のなかで「この曲」なら「この人」という代名詞的なものがあるのはやはり珍しいことだと思います。
「ショパンのバラード1番だったら○○さん!」ということはよくあることでしょうが、こちらは好みに左右されるところが大きいわけで、天満さんの望郷のバラードのような取り上げられかたはすごいことだと思います。

以前よりも成熟した演奏になっていたからなのか、自分自身が大人になったからなのか、曲の内容と演奏がとても心に響きました。

ただ、聞き手の男性が遠藤周作の言葉と交えながらすすめたり、演奏していたのがバイクが後ろに置かれたスタジオであったりと、すべてを肯定的に受け入れられない部分がありました。これは自分自身が年を取ってしまったからなのか、そうではなく自分自身が成熟していたのであれば受け入れられるはずのものなのではないか?などと、うまく受け入れられずに考えてしまっている柔軟性のない自分というものも確認させられました。

望郷のバラードはいろいろな意味において考えさせられる曲なのだ、ということで私の中ではまとまりましたガーン
自分にとって勝負ごとを観戦することは、ある種のストレスが付きまとうことを了承しなければならない、意外につらい行為でもあります。

応援している選手やチームが負けるとかまあしょうがないのですけれど、変なエア棒で応援する過剰なうるささとか、あからさまな無気力試合とか、判定が翻るとか翻らないとか、柔道でのゆるゆるな道着の着方とか、あん馬の若干の地味さとか・・・

なかでも特に嫌いなのは、

「メダルを選手が噛む、口にくわえる」こと。

・・・いったいこの表現はなんなのでしょうか?
愛着というよりメダルの重みを軽んじているようで、ちょっと苦手です。

カメラマンがなにかしらのリアクションを求めてやらせているという話も聞きますが、今後メダルをかむ選手が現れないように祈るばかりです。

日本は銅メダルがたくさん取れています。
自分自身は銅メダルって意外に好きなので金メダル狙いの選手や競技の人は悔しいのかもしれませんが、けっこう嬉しいです。
なので銅が取れなかった4位の選手を観ては一緒に傷ついています。



これからも注目の協議が続きますので平常心で応援していきたいと思います。


面白い戦いをする選手で、注目して観ています。
なんというか、卓球の松下浩二さんを観るような感じです。

それにしても柔道の判定・・・。
ピアノの審査もそうですが、何かに評価を下すということは難しいものです。
でも、なにも日本選手対韓国選手の試合でああいうことにならなくても・・・って思ってしまいます。

これだから国際試合は嫌いです。
世界平和を遠のける力を持っているように思えてなりません。

韓国を応援している人が怒るのも無理はないです。