ピアノマンの逆襲

ピアノマンの逆襲

本業の傍ら、曲を書いたりピアノやギターで弾き語りしてます。毎週金曜24時からFacebookにて「クルマの中から弾き語り生配信」やってます。その他ライブバーでの弾き語りライブ、ギター流し活動等もあり。



こちらのブログはすっかり放置状態です…

情報は、今やFacebook、X、Instagramに移行しているので、ここに掲載することの意義を見失っている次第です😅

誰か楽しみに見てくれてる人いるのかなぁ?(笑)


おかげさまで、精力的に活動しております。



あけましておめでとうございます。

今年もバリバリとやっていきたいと思います。

FacebookやX、インスタなどは頻繁に更新してるのですが、こちらは放置状態。

すみません。今年はアメブロの目的についても考えて、やるからにはしっかり運用していきたいと思ってます。

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音楽活動30年。数々の試練があったけど、今が1番幸せです。それはなぜか?
かなり長くなりますが、ざっと振り返っていきたいと思います。いや〜本当に色んなことがあった。正直、楽しいことより辛いことの方が多かった。それは外的要因ではなく、自分との折り合いの付け方という内的要因が大きかった気がします。

それでは、綴っていきたいと思います。
本当に長いのでご注意ください(笑)

中学時代から曲を書き始め、高校から自分でバンドを作りキーボーディストとして参加。大学からは歌や作詞、ギターも始め、バンド三昧、音楽三昧の日々。

自分の将来を考えた時、作曲の道も検討しつつ勇気が出ないまま、企業に就職。並行してユニコーンの手島さんのバンドでキーボードとして参加しながら、色んな世界を見せてもらった。

営業マンとして忙殺されつつ、音楽への関わりはどうしても忘れられず、ある程度時間が取りやすく、転勤のない会社へ転職。同時に結婚。子供が産まれる頃、J-POPの楽曲コンペへ挑戦するチャンスを掴む。しかし、家庭が大変な状況にも関わらず、1週間に3曲提出というノルマをこなす生活は長く続くわけもなく、3ヶ月程度で挫折。妻との確執だけを残して終わった苦い記憶である。

そのうちに2人目も産まれ、普通の会社員、普通のパパとして、たまな音楽に携わるという日々が長く続く。でも、心のどこかで燻っていた音楽への想いは、消えることなく、慢性的なストレスを抱える日々が10年以上続くこととなる。
今ならもっと要領良く、したたかにできたと思うが(こっそりオープンマイクに行ってガス抜きをするなど…)、当時はまだ若く、家族にも自分の音楽への想いを理解して欲しい、応援して欲しいという気持ちが強く、不満を伝えてはぶつかっていた。今から思うと、当然だと思う。子育ては夫婦の一世一代のプロジェクトだ。特に今の時代は、情報も多く、やるべきことも多い。あの時代は、その走り。今はその言葉すら禁句になっている「イクメン」が流行り言葉になった時代だ。

この頃は、今から思うと妥協点だった気もするが、地元ソングを使って、パパ友ママ友や子供たちを集めてのライブを開催したりしてた。この路線なら、家族にも理解を得られるだろうという目論見だったのかな。でも、ライブというよりも宴会芸や幼稚園や小学校の保護者の出し物に近く、それはそれで楽しい時間を提供できていたんだと思うが、自分の中では実は「これじゃない感」が強かった。

その後、子供達も少しずつ大きくなり、徐々に弾き語りによるライブ活動を再開。下北沢のブルームーンには大変お世話になった。でも年に数回程度の出演に留まっていた。だか、ちょうど10年前の2014年。それまでのフラストレーションが爆発したのか、学生時代の仲間と自分のオリジナル曲をやるバンド「ゲンダユーズ」を結成し、1年かけて準備して年末に集大成ライブをやることを決意。月に1回の練習を積み重ね、年末には吉祥寺のシルバーエレファントで盛況のうちにバンドはいったん解散した。

が、これがいけなかったのか、いや、これまでの積み重ねなのか、家の中での大騒動に発展する。具体的な内容は差し控えるとして、結局、音楽を捨てて家庭人として生きる決意をしたことで、何とか収束した感じであった。
それ以来、家で楽器を弾くことはもちろん、ちょっとでもミュージシャンとしての雰囲気を出すことは無用な刺激をすることとなり、今振り返ると謹慎生活みたいだった。

それでもやはり音楽への想いは、心の奥底で消えることはなく、隠れキリシタンみたいに、表立っての活動はせずとも、誰にも悟られることなく、数年後から、オープンマイクに参加するなどして活動を再開していたのである。でも、かなり地味な動きであり、生活の9割9分は家庭人、仕事人としての自分だった。

少し流れが変わって来たのが2019年頃。
オリジナル曲へのこだわりをやめて、歌謡曲やJ-POPのギター流しや生カラオケ伴奏に挑戦し始めた頃。予想以上に喜んでいただける方が多く、かつその評価としての投げ銭もあり、これまで感じたことないようなやり甲斐を得る経験をした。「あぁ、俺が求めていたことは、こうやって自分の奏でる音楽で楽しんでいただくことだったんだ…」というとてもシンプルな想いに気付くことになる。本当はオリジナル曲でそれができれば言うことないんだけど、それはなかなか難しい。それよりも、やっぱり楽しんでいただけて、聴き手の方とも音楽を通じた暖かな心の交流ができる方が幸せだなぁと感じるようになった。ただ、まだまだこの頃は家族からの理解を得ることは難しかったが、多少なりとも家計にプラスになれば、以前よりも理解は得やすいだろうという見込みはあった。

よし!これで軌道に乗るぞ!となった時に、皆さんも記憶に新しいコロナである。
これには参った。音楽やライブなんて最もリスクが高く、もう完全に活動停止。そして再開の見込みも立たないまま、日々おとなしく過ごしていたが鬱々とした想いは消せなかった。幸か不幸か、本業でコロナ対応担当だったこともあり、かなりの多忙で、それで音楽のことを忘れられた部分もある。

このタイミングでヒントをくれたのが藤井風くんの存在だ。あのピアノテクニック。どうしたらあんなグルーブが出せるか⁉︎という悔しさや憧れを通り越して、神様に見えた。しかも、寝そべり生配信とかで、極めて小さいキーボードで、それこそパジャマでラフに弾き語りする様子は、かなりの衝撃だった。それまで、人に披露する時は、練りに練って整えて…という確固たる考えを持っていたので、目から鱗だった。しかもそんなラフな状態でも、風くんの歌や音楽は素晴らしかった。風くんには及ばないけど、自分にもこれならできるかも知らないと思って始めたのが、Facebookでの週に一度の「クルマの中から弾き語り生配信」である。

毎週金曜日の深夜に、近くのコンビニの駐車場に車を停め、キーボードやギターを持ち込んで、トークしながらオリジナル曲を歌うという15分程度の企画。2021年頃だったと思う。最初は、誰も観ないだろうと思って、大したモチベーションも持ってなかったけど、やってみるとリアルタイムで観てくれる仲間も数人いたし、アーカイブでもそれなりの再生回数になっていた。コロナ禍で生存確認をしてくれたのかなとも思うし、繋がりを仲間の方々も求めていたのかな、とも思う。

「クルマの中から弾き語り生配信」は、結局50回くらい、一年くらいは続けることができ、私も多くの励みと元気をもらえたし、「待ってる方がいるなら頑張らなきゃ!」という想いが自分を支える結果となった。これは本当に感謝しかなく嬉しい誤算だった。ただ、だんだんと子供達が大きくなり、夜寝る時間も遅くなってきたことから、車で抜け出すのも気が引けるようになり、不定期開催ということにして、現在までお休みとなっている。

そうしているうちにようやくコロナも区切りが見え始め、子供たちも高校生になり、ある程度、自分の時間が増え始めるようになる。それに加えて、生配信で得られた「ラフにやる」というスタンスが大きな学びになっていて、それまでのように必要以上に準備したり、コン詰めてやることがなくなった。振り返ってわかることだが、昔はライブひとつやるにしても、本業と同じ熱量で、それこそ何かに取り憑かれたように準備していた気がする。例えるなら、過剰包装みたいな感じだったし、身体は動いていても、ココロここに在らず的な感じで家族には申し訳ないことをしたと今は思う。

そして、2022年頃から、今までとガラッとスタンスを変えて、気楽に再始動を始めた。いわゆるノルマによって金銭的にも集客のための精神的な負担も少ないお店のお世話になることで、オリジナル曲のライブを始めたり、同じスタンスで居酒屋さんでのギター流しや楽器のあるお店での生カラオケ伴奏を再び始めた。もちろん、やっている時は一生懸命だし、全力なんだけど、聴き手が求めている基準というものを冷静に判断できるようになっていたし、それまで求めていたクオリティやそこに至らずに逆にストレスを溜めるという現象は、単なる自己満足で独りよがりだったことにも気付けるようになっていた。

このようなスタンスを身に付けると、軽やかに負担も少なく活動ができるようになり、必然的に活動頻度も増やすことができるようになっていた。
また、そう言った中で、聴いてくださる方が楽しんでいただけることの喜びに触れるたびに、オリジナル曲に対するプライドや拘りが、自分の中からどんどんなくなっていくことも感じることができた。

そのうち、各店舗で活動日を目掛けて来店してくれる常連さんのような方も複数出てきて、あんなに何度もストリートライブで見向きもされなかったのに、環境や機会が変わるだけで、こんなに好評を得られるのか、楽しさを提供できるのかと不思議な気持ちにもなったし、「俺の音楽や歌や演奏にはチカラが無いのか…」と落ち込んだ日々は何だったんだろう?とも思った。これは生きていく上での一つの気づきにもなっている気がして、置かれた場所で咲くための努力も素晴らしいけど、必要以上に自分をすり減らすことなく、「咲ける場所を探すことの大切さ」も学んだ気がする。また自分の目指すべきレベルが、本当に他人がのぞんでいることなのか?そこまでやる必要があるのか?つまり「需要」の程度をしっかり見極めることの大切さも実感した。ぜひ子供達や後輩たちにも、経験から学んだ「生きる知恵」として伝えていきたいものだ。

また、あくまでも気持ちであり、ビジネスとして成立しているわけではないものの、投げ銭は、楽しんでいただいた証であり、自分への評価でもあるので、金額云々以上に自信や支えをいただいている点がとても大きい。ようやくではあるが、いわゆるお仕事的な感じでも認められていることが分かったのか、家族の理解も得られる要因にもなっている。

そして、何よりこれからの活動を通じて、多くの出会いがあり、自分の世界も広がったし、結果的に自分のオリジナル曲も聴いていただける機会も増えたという嬉しい誤算もあった。前置きが長くなったが、約30年活動して、ようやく、本当にようやく納得できる状況にたどり着くことができた気がする。本当に感謝しかない。

おかげさまで、昨年2023年は、年間50本以上も活動できたし、今年も現時点で既に50本を超えている。かつストレスも殆どなく(ヤバい時はすぐに見切りを付けた)、オリジナル曲にこだわらず、自分の歌唱に拘らず、歌いまくり弾きまくり…で、悔いのない活動ができている。学生時代のように自由な時間がたくさんあった時以上に、のびのびとやれるようになったのは、奇跡に近い。しかも50を手前にしてここまでの境地に来れたのは、本当に予想もしていなかったことだ。
間違いなく今が1番幸せな活動ができている。
ひとつ言えるのは、自分のスキル自体は何も変わっていないということだ。目標値を下げて、求められるフォールドに移っただけの話なんだと思う。

これからは、いかにこの状態を維持するかが目標だ。ある日突然、活動ができなくなる年代にも差し掛かっているし、やれる時に後悔なくやろうと思っている。本業を辞めて、健康が維持できているなら、さらに残りの人生を悔いのないように、歌いまくり弾きまくり、皆さんと楽しさを共有しまくりで心の交流しながら死んでいきたいと、結構本気で思っている。本当にステージで倒れて死んでもいいかなと。

一時期は、音楽以外の何かを見つけたいと、あれやこれやとハマるものを探したり、自分の隠れた能力を探ろうとした時期もあったけど、もうこのまま音楽人として一生を貫くしかないんだなとも悟っている。実際、毎晩でも歌ったり演奏したりしたいくらい、やはり音楽や楽器が好きなんだと痛感している。そんな老後?とちょっと夢みてたりもしてます。

とにかく、日々悔いのないように、良い意味で「これが最後かも」と思いながら、活動していきたいと思う。新たな試練もあるかも知れないけれども、音楽愛は変わらないだろうし、オリジナル曲160曲と弾けるカバー曲、おそらく2,000曲たちが自分を守ってくれる気がしている

これからもよろしくお願いします。



2021年に書いた記事。まさかこの約2年半後に、別の星に行ってしまうことになるとは思いませんでした。

やがて一年。悲しくてあまりKANさんの歌を聴くことができずにいたけど、最近ようやく聴けるようになってきました。


聴いてると「寂しいなぁ、早過ぎるよな…」という感情は湧かなくなったと言えばウソになるけど、それよりもKAN(あえて「さん」は付けないでいきます)が曲や詞で大切にしていたことや、自分の生き方や音楽活動にもしっかり反映していきたいという気持ちを再確認する要素の方が強くなってきてる気がします。さらに、自分が大切にしてきたことも、今のこの自分の取り巻く現状を見てみると間違っていなかっただなとも思えたりします。


改めてKANの曲を練習してみようかな。

自分のライブでも披露してみたい。自分で自分のために歌いたいと思ってます。


このブログを初めて16年が経過しています。

が、最近はかなりの放置状態。


FacebookやX、インスタで情報を発信するのみで、ここで何かを語ることは無くなったしまいました。

ブログ閉鎖も考えたのですが、誰かに観てもらうと言うことではなく、まずは音楽や活動に対する考え方や、これまでの音楽にまつわる思い出などもアウトプットすることは、自分にとってプラスになるのではないかとも思い始めています。


何を綴っていくべきか!


↓ワンマンライブツアーも無事に終了


久しぶりの更新です。情報はFacebookやTwitter、インスタにあげるようになってしまい、アメブロはサボりがち…。ですが大変元気に活動しております😊

懐かしい記事を再掲してみます♫


少し心が弱っている時は、学生時代に聴いていた曲や当時コピーしていた曲を聴いて自らをヒーリングするようにしています。


特にMy Little Loverの「now and then」や「YES」、イエンタウンバンドの「スワローテイルバタフライ」あたりを聴くと厚木に通っていた大学1年生の秋や冬を思い出します。

バンドでもコピーしたし、キーボードを担いで東京の自宅から山手線、小田急線、バスを使って片道2時間掛けて通ったことも良い思い出です。


今でもたまに朝の通勤電車で、これらの曲を聴くと「このままキャンパスにバンドの練習に行くんじゃなかったっけ⁉︎」なんて錯覚してしまう時があります。

小田急線の車窓から見えた街並み、バスの車窓から見えた田園風景、キャンパスを囲む丹沢山地の自然の景色など、どれも印象に残っている美しい風景でした。

今もそんな自然の風景や気候、そして音楽がリンクすると、当時の自分にあっという間に戻ってしまいます。そして、当時の仲間の姿も当時のまま浮かんで来ます。


今やもう50歳も見えてきて、人の親であり社会的や役割も担い、親の心配もしなければいけない年頃になって、ここまで来れたことに感謝の気持ちはあるものの、あの頃の「自由」と「若さ」が懐かしくなる時もあるものです。

もしかして現在が長い夢を観ているだけで、朝目が覚めたら当時の自分に戻っているんじゃないか?とすら思うこともあります(笑)

でも、そんなことがあったら大変。それ以降に出会った人たちがみんなマボロシになってしまいますからね(^◇^;)


そういえば1年生の冬にマイラバとイエンタウンバンドのコピーバンドを結成したのですが、キッカケは秋の学園祭の後の居酒屋での打ち上げ。

バンドサークルで3日間に渡る教室ライブを終えて渋谷の和民とかつぼ八あたりだったかな、そこで全部員でドンちゃん騒ぎをしている中で、ドラマの「まっつん(仮名)」と言うクセが強く無駄に意識は高いけど、それなりのスキルのある彼と、「ボーカルの、特に女子はカラオケの延長線上のヤツが多いし、もっと真剣にバンドやる奴と組みたい」と言う話になって、バンドメンバーを2人で飲みながら選出していた思い出があります。


本当に今思えば何様?って感じですが(笑)そこで結成したバンドは今でも思い出すくらい良いバンドだったなぁと思います。キーボードも弾きがいあったし。そんなことを考えると、やっぱり自分の根っこやアイデンティティはバンドのキーボーディストなのかなぁとも思ったりします。

バンドのリーダー、コンポーザー、キーボード、そして女性ボーカルに歌ってもらうことが1番の理想なのかも知れません。







流行りの曲を聴かなくなってどのくらい経ったのだろう?
何だかんだと社会人3年目くらいまでか…
仕事が忙しくて余裕もなくなったし、結婚したり子供が産まれたりしてテレビも観なくなりますます新しい音楽に触れる機会も減っていった気がする。

そして、ふっと気が付くと流行りのミュージシャンたちが自分よりも随分歳下になっていることが分かり…。そうなると、もう自分たちに向けた歌ではないと思い、「歳下のミュージシャンの歌に感動してたまるか!」的な変なプライドもあって(苦笑)どんどん流行りの歌から離れて、若い頃聴いていた曲ばかり聴くようになっていった。
その方が安心だし感動できたし。

そうなるとよくありがちな「最近の曲は良くない。昔の曲の方が良かった」という根拠のない持論を展開するようになる。これっていつの時代も「今時の若者は〜」って言われるのと原理は同じ気がする。

一方で、音楽をやっているのに洋邦のトレンドもチェックせずに何してるのだろう…?とも思ったりもしたので意図的に最新曲を聴いたりする時期もあったけど、やっぱりいまいちピンと来なくて、結局追っかけるのをやめたりとかしてね。

そんな中でも藤井風君とかどハマりしたのは、自分の中でも嬉しかったし、セカオワや髭男、YOASOBI、あいみょんも良いと思ったりもできる自分もいた。それなりに歳を重ねたので、変な嫉妬や対抗意識なく若いミュージシャンを応援できるようになって来たのかも知れない。

そして最近思ったのだ。
やっぱり好き嫌いに関わらず、最近のヒット曲を聴こうと。
曲に限らず、最新のニュースやトレンド情報もしっかり追いかけていこうと。

やっぱりこのくらいの年代になると、新しい経験が少なくなり、その分、知識や経験で対応できてやりやすくはなるんだけど、マンネリや停滞感と戦うことも増えて来る。
そんな時、世の中はどの分野も常に動いているし進化してるし、同時に自分もどんどん世の中の流れから置いていかれるのだと思う。

日々のマンネリを不満に思うということは、イコール、自分が様々なことに乗り遅れていることに気づいていないとも言える。目まぐるしく変化する時代の波が見えなくなっているとも言える。
これは非常につまらないし、そのためには好き嫌いではなく、やっぱり「現在」をしっかり観るべきだと思ったのだ。

実際には今まで以上に意識してみると、自分の中で何かが動き始めた気がしてる。錆びたアンテナがまた電波を受信し始めたような、そんな感覚である。
幸い今の時代はサブスクリプションがあるので、いちいちレンタルCDに行かずとも手軽に最近曲やヒット曲を大量に聴くことができる。

CDカルチャーが廃れて賛否両論あるが、YOASOBIの「夜に駆ける」の再生回数が10億を超えたとのニュースがあった。これって配信だからこそ得られる情報、事実であり、それを考えるとこんなことが分かるのはミュージシャンにとっても良い時代になったように感じる。CD時代は売上枚数は分かるけど、再生回数、つまりどのくらい聴かれているかは分からなかったからな〜。おそらく億単位の再生はされていたとは思うけど。しかし10億ってすごい。ミュージシャン冥利に尽きるなんてレベルの話じゃないね。死んでもいいくらい⁉︎

皆さんもぜひ新しい風を心にも身体にも取り込んでみてください。感動や好き嫌いを超えて、ヒット曲の持つ「酸素」があなたの細胞を活性化させるはず!


↓LINEミュージックの最新ヒット曲


先日、車を運転していたらFMからスピッツの「夏が終わる」が流れて来た。

1993年の作品。シングルではないのと、ブレイク前のアルバムなので知らない人も多いかも知れない。


遠くまでウロコ雲続く…と始まる詩と、クリーントーンのカッティングギターが印象的な、スピッツらしく夏の終わりの雰囲気を見事に表現しているナンバーである。


この曲は学生時代の淡い思い出が蘇る。CDの貸し借りがコミュニケーション手段として力を持っていた時代、あの子から借りたスピッツのCDにこの曲は入っていて、しかも彼女のオススメの曲だった。この曲を聴きながら「あの子は今頃何をしているのだろう?」と想いを募らせた。この曲の雰囲気は、そんなセンチメンタルな気分にさせるには十分過ぎた。


結局、この恋は実ることはなく、水面下でサークルの部長さんと付き合っていたと言うドラマのようなマンガのようなオチが付いていたのだが、一瞬こっちに振り向いてくれたこともあったような無かったような。


FMから偶然流れて来たこの曲に、当時のことが走馬灯のように蘇って来たが、あまりにも時間が経ち過ぎて、自分も変わり過ぎて、懐かしさにリアルさが無くなって来ていることが少し悲しい。どちらかと言うと映画を観ていたかのような感覚に近い。もう僕らの「夏」もとっくのとうに「終わっている」のだろう。

今は今ならではの「夏」もあるので、それを楽しむこととするか。


そんな中、空を見上げるとウロコ雲が!

やっぱり夏の終わりには出て来るのかな。マサムネすごい。

あの子は今どこで何をしているのだろうか?


↓遠くまでウロコ雲続く…



↓YouTubeより


最近ようやく自宅でノーマルな入浴剤を入れらるようになった。子供たちが小さい頃は、敏感肌で「リフレ」のようなスキンケア系の入浴剤しか入れられなかったが、ここ最近ちょくちょくアロマ系や日本の温泉を模した入浴剤を入れられるようになったのである。


今回は「旅の宿」シリーズの「信州白骨」の湯。

長野県の中央に位置する乳白色の温泉とのこと。入浴剤もそれに倣って乳白色。


行ったことはないけど、風呂の電気を消して少し窓を開けて外の空気を吸いながら浸かってみると、何だかちょっとだけその温泉に行っている気分になる。慌ただしいながらマンネリの日常において、こんな風に瞑想的かつ斬新な時間を創出することも楽しく生きていく術かと最近感じる。


そしてせっかくなので、この白骨温泉についてスマホで色々と調べてみる。その中で、「大菩薩峠」という小説にも登場し、一躍有名になったとのエピソードがあった。戦前の小説で、中里介山(かいざん)という作家が30年にも渡って執筆した幕末を舞台にした長編時代小説で、本人が亡くなり結局未完のまま終わったという。


中里介山にも興味が湧き、と言ってもWikipediaレベルだが…。

そんな中で中里は生涯独身を貫いたそうで、その根本の考え方として…

「女遊びは構わない。それは魂を傷つけないから。恋はいけない。魂を傷つけるから。」

だそうで、その背景には幼い頃の暗い家庭の記憶がトラウマになっていたらしい。

男も女も遊びだとしても、真剣になってしまって魂が傷つくこともあると思いますけど、まぁ、お互いが遊びならば確かにそうなのかも知れません。が、すごい防衛心だと思います。それほどに辛いことがあったなのでしょうか…


話は脱線しましたが、最近は些細なことから、深掘りして調べることで、真似事みたいな知的好奇心を満たすことがマイブームです。