年相応の頑張りを。今の自分を肯定せよ。 | ピアノマンの逆襲

ピアノマンの逆襲

本業の傍ら、曲を書いたりピアノやギターで弾き語りしてます。毎週金曜24時からFacebookにて「クルマの中から弾き語り生配信」やってます。その他ライブバーでの弾き語りライブ、ギター流し活動等もあり。

40歳を過ぎてから、自分の中でエネルギーが減少していくことを感じるようになった。体力と言うより気力。モチベーションとでも言おうか。

元来の性格の「負けず嫌い」も影を潜め、いわゆるハングリー精神やハンター精神も湧きにくくなっていた。


男の更年期かとも思ったけど、それを認めたくない自分もいたり…。でも親しい同年代の友人から同じような悩みを聞いたりして少し安心したり。

とにかく心にハリが無くなっていく自分が苦痛で堪らなかった。


そんな時の解決法として、目標に向かって全力疾走していた頃の自分を思い出すと言うセルフ療法?対策?を最近までよくやっていて、それで何とか奮い立たせて頑張って来た感じがする。


具体的には浪人時代と前職の若手営業マン時代。

とにかく目標に向かって無我夢中で、かなりしんどい思いもしたけど、振り返るとあんなに充実した時代もなかったように思う。それは結果云々だけではなく、全力を尽くしたことへの満足感とそれに伴う自己肯定感の獲得だった気がする。

心折れることも多々あったが、やはり「くっそー!」と立ち向かって行ったし、同じような仲間がいたことも励みになっていて、それもモチベーションになり得た。


その時代の自分をもう一度思い出したくて、当時の場所に行ってみたり、当時聴いていた曲を聴いてみたり、それはノスタルジックに浸ることではなく、自らに「まだまだ俺はやれる!あの頃の自分を思い出せ!」とお尻を叩くような作業だった気がする。実際にそれで何度も立ち上がれた気がするし、ここ数年比較的パワフルに過ごせて結果も残せたように思う。


でも最近思うのだ。もっと「今」の自分でモチベーションを獲得できないものかと。当時の自分と今の自分を比べて、結局は今の自分を無意識に否定することになっていないかと。

そして、そもそも20歳前後の時のような頑張りを目指すこと自体に無理があるのではないかとも思うようになって来た。冷静に考えたら当たり前である。来月47だ。気力体力の衰えは自分が思っている以上なのかも知れない。


それならそうと割り切って、年相応の頑張りを目指していけば良いのではないか?もうあの頃の自分なんて忘れて、とにかく今の自分で生きていくしかないのだろう。例えが良いか悪いか分からないけど、売れなくなったミュージシャンが、またヒット曲を狙って昔みたいな曲を書こうとして苦悩するのではなく、売れなくなったら、だからこそできる自由な音楽を目指していく…そんなこととも被ったりする。


(甲本)ヒロトは、ロックの感動を心に継続させるために今でもよく昔聴いていた原点となるレコードを聴いていると言う。そして、バンドがやりたい一心で、今もバンドができているから「あの頃に戻りたいなんて思ったことは一度もないよ」と言い切る。

自分がやって来たことにも似てるけど、ちょっと何かが違う。ヒロトはいつの自分も肯定して生きているのだ。そして本人もいつも自分を肯定するための言い訳を探していると言う。

それを考えると、自分の今を振り返れば若い時みたいな頑張りができなくて当然なのだ。まずは、そんな自分を肯定することから始めると良い。

妻が「もうオジサンなんだから…」と呆れるように言ったその意味が、最近何となく分かった気がする。


僕の曲である「ピアノマンの逆襲」「全力少年」「覚醒」も根っこには自分を奮い立たせたいと言う願望が秘められてる気がする。

これらの曲も良いけど、ひと休み、肩の力が抜けるような曲も書いて、年相応、自然体な自分で生きていきたいと思う。