本当にやりたいことに気付かされてしまった話 | ピアノマンの逆襲

ピアノマンの逆襲

本業の傍ら、曲を書いたりピアノやギターで弾き語りしてます。毎週金曜24時からFacebookにて「クルマの中から弾き語り生配信」やってます。その他ライブバーでの弾き語りライブ、ギター流し活動等もあり。

久しぶりのブログです。みなさん、お元気ですか?

活動詳細についてはFacebookにて友達承認した方に限り公開しているため、こちらのブログの用途がぼやけてしまい、しばらく更新も滞ってしまいました。


なので、ここではFacebookX(旧Twitter)では書けないような(?)、音楽に対する考え方や想い、これまでの経験などを書いてみようかと思います。

残すことで自分にとっての備忘録にもなるかなと。

今回は自分が本当にやりたかったことに気付かされてしまった話です。


自分がソロで弾き語りを始めたのは、大学卒業後、社会人になってから。

それまでもバンドでボーカルやったり、ユニットで歌ったりしていましたが、当時はソロでやるなんて全く考えていなかったし、そんな自信も度胸もなかった。

ましてやソロアーティストとしてプロになる夢を目指すなんてことは微塵も考えたことなく、唯一夢見たことは「職業作曲家」。別に自分がステージ立たなくても、詞を書かなくてもアレンジしなくても、とにかくメロディでどこまで勝負できるかと言う気持ちはあった。


振り返ってみると、大学に入った時に、自分の曲を歌ってくれるボーカリストをずっと探していた。

でも、こんなことを言うとおこがましいけど「この人の歌なら合う!」と言う人が見つからず、いいなと思っても人間的に合わないな、と言うことも多く、それなら取り急ぎ自分で歌うしかないか、音程も外れてないしと、まぁ本当に軽い気持ちで歌い始めたのだ。

自分で歌うなら自分で書いた詞の方が良いし、誰かに頼んで自分が思ってもないような内容を歌うのは絶対嫌だったので、書き始めたら、これまもまた何となく書けてしまった。でも、これもあくまでもバンド時代の話。


その後、社会人になると仲間とも時間も環境も合わなくなってくる。

このまま何もしなければ本当に何もしなくなると思い、意を決して弾き語りの世界に飛び込んだのが2005年。

もうずいぶん前の話だ。

初めての場所は当時の自宅から近かった日吉NAP。今も白楽に移転して継続されていると聞く。


当時、出演者の人たちは同年代も多く、プロアーティストを目指して尖っていた人も多かったし、クオリティも高く真剣な人も多かった。

そんな中で、転職も結婚もして、ある種、落ち着いた自分ような人間は、その人たちからすれば「お気楽な趣味程度」にしか見えなかったに違いない。

いわゆるサークルの延長線上。それも決して悪くないけれど、当時の出演者陣を振り返ると浮いた存在だった気がするし、実際に居心地の悪さも感じていた。


とはいえ、それしか活動スタイルはない訳で、当初は無謀としか思えなかった弾き語り活動も、いつしかそれが当たり前になってしまっていた。

そしてそのスタイルを20年近く続けていると、疑問も持たなくなって来る。


そんな時、つい最近の話なのだが、いつも自分に色々なアドバイスをくれる神田の音楽バーのマスターから、それなりの指摘をもらってしまった。

ある程度の関係性が築けた証拠かも知れないが、なかなかハッキリ言いますな〜(苦笑)くらいのレベルであった。

まずは、自分の作品は綺麗にまとまり過ぎていて響いて来ないと。

そして、メロディは悪くないが男性的ではないので女性が歌う方良く、ゲンダユウとして歌うのは似合ってないのではないか?という提言。

詞についてもメッセージを乗せにくいポップで明るいメロディで、それも悪くないが、どれも同じ曲に聴こえてゲンダユウの想いが見えて来ないとも言われてしまった。曲のジャンルに幅を持たせるべきとも言っていた。

詞の内容も、もっとストレートに表現すれば良いところを遠回しに言っていて、それがしみったれた感じになっているいわゆるもどかしい感じになっているとも。


音楽をやっている以上、色々な感想を持たれるのは仕方ないし、それを言わない人が殆どな中で、ある意味貴重な指摘や助言だったと思うけど、「そりゃ、そうだよな」と思っている自分もいたりした。

どうしてそう思ってしまったかと言うと、話は元に戻るが、スタートの段階で、弾き語りスタイルが「消去法」で選んだものだからだ。

もっと言えば、歌うこと、詞を書くことも「消去法」で選んでいる。他に適する人がいないのでそれなら自分で!と言う経緯である。

マスターもよく見破るもんだと感心したけど、確かに、自分の根幹は「メロディを作りたい」なのである。

なので、ライブを通じて自分の想いやメッセージを伝えたい!と言うとても熱い想いがあるかと言われればそれ以上に作品の創作に対する情熱が上回るのは認めざるを得ない。


一時期、JPOPの楽曲コンペに挑戦していた時期もあったが、当時の家庭の状況はそれどころではなく、それに加えDAWが出てきた頃で、デモとして編曲やミックスも完成に近い形での提出を求められていたので、一週間に3曲のノルマをこなすことは無理だった。(最近では、昔のように弾き語り形式でのデモでも募集所も増えているようだが)

でも振り返ると、これが自分の最も大きな目標であり願いだったのかなと気付かされたりする。

ただ、めでたく採用されても、そのアーティストに会えるわけでも、レコーディグを見学できるわけでも、ライブにお邪魔できるだけでもないようだし、報酬についても、大ヒット連発ならともかく、それで食べていけるようなものでもないことも分かっていたので、それなら、アマチュアとしてライブ活動を通じて色んな方と出会ったりする方が自分にとってプラスなんだろうなとも思って、曲作り以上にライブ活動を優先させた経緯があった。

とは言え、やはり自分の曲が採用されて、アーティストの楽曲として世に出て欲しいと言う願いは心の中にずっと眠ったままなのかな、とも今回の件で感じた。


とは言え、今の弾き語り活動をやめるつもりはないし、これからも曲を書いて詞を付けて自分で歌うし、昔の曲も披露することになるだろうけど、ステージ映えするアーティスト、心に響く歌を歌うシンガーソングライターとして必要以上に自己研鑽したり、その結果、進歩がなくて気落ちしたりすることは違うのかなと改めて思うようになった。

もちろんステージに立つ以上は最大限の努力はするけれど、自分の能力的に限界もあるし、

そもそも本当に目指すべきところがそこではないと言うことが自分で分かってしまったのだ。


かと言って、メロディメーカーとして絶大な自信に満ちていると言うわけではなく、曲作りはある種、努力ではなく、ふっと湧いてきた(降りてくるとも言う)ものだったり、空中に浮いているものを逃さずワッ!と掴むようなイメージなので、あまり「俺、曲作れてすごいっしょ!?」みたいな感覚もない。

その偶然の出会いが楽しいし、自分が中学生の頃に聴きたかったようなメロディを探している単純にそんな感覚なのだ。


自分の曲がどう活かせるか分からないけど、生み出すプロセスにおいては間違いなく「ゾーン」に入れるし、いわゆる「フロー状態」になれるので、そんな気分を味わいたくて作っている面もある。

このモードに入ってしまうと、結構周囲の人は困るのだろうけど(苦笑)


なかなか自分でも自分の本心や本音はわからないものだ。

でも、言動からそれは滲み出るものだろうし、鋭い人ならそれを見破る。

今回のケースはまさにそうだったのかも知れない。

まだ新卒2年目くらいの頃、前職で飛び込み営業をやっていた時、とある相手の社長さんから「あなた、この仕事本当にやりたくてやってる?そんな感じしないよ。かわいそうに。」と言われて、あまりに図星で一日中落ち込んだことがあった。

「あぁ、どんなに装ってもわかる人にはわかるんだ」と言う見破られたショックとでも言おうか。何かそんなことも思い出した。

やはり人は自分には嘘は付けないものなのだろう。


長文失礼しました。でも何だか大事なことのような気がする。

曲作りがいつか報われるよう、そして納得できる活動になるよう、またその創作プロセスからも満足感を得て、且つ誰かのお役に立てるよう模索していきたいと思います。残された時間も多くはないし、でも焦らず、希望の光を信じて進んでいきたいものです。


まぁ、とにかく楽しくやれれば一番なんですよね。