懐かしい写真と一緒にこちらが出てきました。

(.写真はここでアップはできませんが)

引退前に海外の某管弦楽団の方々とご一緒に

お仕事をさせていただいた時の思い出の品で

楽団員の方から個人的に私へのお土産として

くださったエッフェル塔のピアスです🎁


ずっと使わずに手元に置いていたのに

これらの存在を忘れてしまっていましたが

懐かしさに浸り、本来の探し物の目的を忘れて

しばらく当時の事を思い出していました。


全てが今となれば良い思い出です。


今はこうして当時とは全く違う環境、場所で

更には音楽との向き合い方も大きく変わり

新たな形でこの業界に戻ってきましたが

自分の中ではもう二度と戻る事はない…

いや、戻れないだろうなと思っていたので

とても不思議な気持ちになります。


確かにあの頃とはもう次元は違うけど

それでも今の方が楽しいし、幸せですと

胸を張って言えるのはやはり精神的な余裕の

違いなのかもしれません。


得体の知れない何かに追われていた焦りや

変なしがらみに振り回されていた環境下も

正直しんどかったし、心から楽しいとは思えず

常にもがき苦しんでいて、何よりも私は

自立できなかった自分に対する劣等感が

とても強かった気がします。


だから「自立」には異常な程こだわっていて

娘達には自立した社会人になってほしかった

という気持ちが強かったのかもしれません。


やはり自立している人は男女共に強いので

私にとっては永遠の憧れの存在なのです。

例えば結婚相手にしても母親がへばりついているような

人だけはやめておくようにと娘達には言っています🤪


ろくに稼げもしない中途半端な自分の仕事と

夫の仕事や娘達の将来を天秤にかけた時に

自分の仕事は切り捨てても構わないと

判断できたのは大きかったように思います。


どんなに綺麗事を言ったところで

芸術を継続していくにはお金は必要です。


他力本願でとても嫌な言い方ですが

突き抜けた才能もない私みたいな凡人ほど

音楽家はパトロンを見つけた(いる)人が

本当の意味で真摯に音楽と向き合っていける

環境を手に入れているのは間違いないです。


そういう事を言うと鼻の穴を膨らませて

「音楽家だって稼げています」とムキになって

プンスカと怒り出す方もいらっしゃいますが

世間の稼げる方と音楽家の稼げるの次元は

そもそもとしてレベルが全然違います。


大きな声では言えませんが

もっと現実をみましょうよと思います🙊


そしてそんな弱みにつけこむのが世間であり、

バナナの叩き売りのように底値をつけられて

台の上に乗せられて競わされるかどうかは

その人がもっているバックグラウンド次第

というのも否めないと思っています。


底値で技術を売買されてしまわないように

提示された金額以上の事はしませんし

こちらも選ぶ権利がありますと主張できる

バックグラウンドをもっていればこんなに

安売りされるような事はなかったはずなのに

日本の演奏家達は今はもうカオス😱


特にピアノは子供の頃からの積み重ねで

手に入れた技術だし、練習量も半端ないのに

時給に換算すると100円あるかないか

というところもあったりするのが恐ろしい。


それでも表に立ちたいからなのでしょうが

何だか自分達の職業がだんだんと私には

バナナにしか思えなくなってきています。


祖父母世代が子供の頃はバナナが高級品で

なかなか食べれなかった話を聞いたけど

今は店頭で安く叩き売りされているのを

よく見かけますものね。


それと同じ、、、

🍌に全く罪はないが、、、

ついに🍌になってしまったのか、、、


バナナ万歳と喜んでおこう😂←現実逃避






Yahooニュースに出ていたこちらの記事。



日本もどれだけの人が精神を病んでいるか

そういう方々は表には出てこないだけで

私が知る限りでもたくさんいます。


日本を含め、アジア圏の演奏家達は

華やかにみえてとても過酷で残酷な業界です。


もしも娘達を自分と同じこの業界に

引っ張り込んでいたらと思うとゾッとします。


低賃金なのに仕事の取り合い、奪い合いが

今後は更にヒートアップしていくと思うし

衰退の一途をたどり、これほど未来のない

絶望に近い業界は他にない気がします。

ちなみに演奏のお仕事に関しては、どこがどの程度の

報酬を出しているのか、現状をリサーチ中でして

それを元にちょっと考えている事があります🤫


国民の暮らしが豊かである事が前提で

成り立っていく業界なので、残念ながら

音楽文化の低迷はもう避けられません。


低賃金の演奏のお仕事の取り合いや

楽器を習う生徒さん達の奪い合いなど、

遠目で眺めていますが、日本は酷い有様です。


だからこれからは視点を大きく変えて

楽器を習う事で継続できる力を身につけ、

サバイバルの中で生き抜いていける逞しさや

忍耐力、精神力を養っていく為の習い事

という考え方にシフトしていけば

楽器習得は大きな武器になるとは思います。


その上で楽器演奏もできる✨

となるのが理想だと思います。


プロオケに入れば安泰という時代も終わり、

こんな記事も目にしました。







決して難しい譜面ではないのに

オッターヴァ表記されていない譜面は

(1オクターブ上げる、下げるの「8va…」表記の事です)


非常に弾き難く感じてしまいます🫠🫠🫠




例えばこれらは左手「へ音記号」なのですが
ピアノ譜は大譜表なので低音域、高音域が
片手側だけで突然16度以上の開きがある時に
この書き方が基本で頻繁にパターンを変えて
出てくると、これは正直しんどいです。

だからあまりに面倒くさく感じる時は
コードをみて勝手に編曲する時もあります🤪


恐らくこの伴奏譜を作曲をされた方は

専門楽器がピアノ以外の方だと思うのですが

なるべくピアニスト兼作曲(編曲)家さんが

手を加えて校訂したものがあれば、その分

高価になってもいいから販売してもらえると

ありがたいなと毎回思ってしまうのです🥹


やはり専門楽器が同じ方が書かれた

(又は校訂された)譜面の方が読み易いです。


あとはよくありがちなのが

コンピューターを使って作曲されたであろう

ピアノ用にアレンジされた譜面などです。

物理的に人間の手では誰がどう頑張っても

弾けない箇所が存在している時です。


そう考えると、クラシック曲は本当に

よく考えて作曲されているのだなと思います。

物理的な難しさではなく、違うところで

とてつもない難しさはありますが😂

(例の8時間練習しても進まない曲とか)


だからこそ複数のジャンルに分かれている

音楽は面白いのであり、そこに優劣をつける

というのもナンセンスなのかもしれませんね。


ところで、この音楽に対する優劣ですが

楽器演奏をする上で、ミスをするかしないか

というところで評価をされる方がいますが

ミスをしないを重視して弾く事の方が 

実は簡単だという事をご存知でしょうか?


表現力や音質にこだわればこだわるほど

やはりそれに比例してミスタッチの確率は

どんどん増していきます。


当たり前ですが、ミスを恐れて安全圏を

狙っての演奏は機械的な上手さしかないので

心に刺さってくるものがないのです。


ただ、悲しいことに芸術においても

日本では中身より速い曲をいかにノーミスで

弾けるか?で上手いかどうかを評価する人が

多いという風潮があるのも事実。


これが無知からくる歪みなのですが

失敗を許さない日本教育の影響だと思います。


よく本番で「あ、今ミスをした!」と

決して練習不足からくるミスではないのに

鬼の首を取ったように指摘してくる人や

ミスをする事に目くじらを立てる指導者は

残念ながらご自身が実際にそこまでのレベルに

到達した事がない域の人なのだと思います。


本当に、、無知は残酷だなと思います。


特に指導者がそういうタイプの場合は

そんな人に教わる生徒さん達がどう育つか

想像がつきますもの。

そういう子が大人になった時にミスに対して

過剰反応をする人になるのもしれませんね。

(上手い判断の基準がノーミスとかね)


だから私は音楽を止めないミスについては

そこはあえて指摘したりはしませんし

むしろミスを恐れる演奏をされてしまうと

聴いていて眠くなるからやめてと言います。


ミスはしても大丈夫!!

ノーミスの演奏を聴きたいなら

ロボットにお任せしたらよいのだから

あなたのマイワールドを楽しませてよと

変なレッスン指導をする私でございます😆


ただ、汚い音だけは嫌なので指摘しますが。


芸術を教える仕事は本当に難しいですね。


でも教える私自身が変わっているせいか

うちの生徒達もみんなキャラが濃くて面白く

今の時代にしては打たれ強い子が多いです。


ちなみに某SNSで、今は先生側が強く言っていないのに

すぐに泣いたり、拗ねる子が増えた傾向にあるという

投稿を目にしたのですが、そういう子はピアノ界では

自然淘汰されていくので長くは続かないと思いますよ。

所詮、他人の子なのでどうなろうが知ったことではない

と割り切って適当にその時間はご機嫌をとって褒めちぎり

その場をやり過ごす先生もいらっしゃると思いますが

何だかんだ言って、楽器習得は今も体育会系だと思うので

自分が練習してこなかったくせに、うまく弾けないからと

泣くような子は自然淘汰されてよいと私は思っています。

それが悔し涙で、その後は練習をしてくるなら立派だし

折れない心の強さがないと、楽器習得はできません。

プロを目指す子達はそんな程度のものではないですし

趣味で弾けるレベルでもそう簡単ではないです。

私は冷酷なほどにそこは冷たい人なのでそう思っています。

自分が練習をサボっておいて思い通りに弾けないからと

教えてくれる先生の前で泣くのはよろしくないです。

練習しなかったのは自分なのだから、甘ったれないで

お家で好きなだけ拗ねるなり泣くなりしたらよいし、

それをフォローするのが親の役目だと思っている人なので。


そんなわけでうちの生徒達は

比較的打たれ強い子が多いのですが

私が子供の時と共通しているのが

怒るとお母さんがとっても怖いんだそうです。


なるほど😆と、それには納得していますが

叱る方も嫌ですよね、とてもよくわかります。

我が子が可愛いからこそなのですけど

子供と全力で向き合っている親も辛いぜ‼︎

なのもよーくわかります。


何も言わず放任でまともに育ってくれたら

どれだけよいか、、と私も思いましたもん😭


でも今は放任主義(叱らない子育て)が増え、

自制心のない子が増えているとも聞くので

将来的に更に何かしらの影響が出てきても

おかしくはないでしょうね。


指導らしい指導もできなくなってきている

日本の未来がどうなるのかも恐ろしいです。


学力も全体的に低下してきていて、二極化が

著しくなってきていると言われているのは

そういうのも関係あるのかもしれませんね。


今の子達の夏休みの宿題の量の少なさを知り

驚きを隠せなかったこの夏の出来事でしたが

強制的にでもさせる親とさせない親とでは

大きく差がつくのは当然なのかも!?


ある意味、親の力量が問われる時代に

突入したということですね。

指導者逃げ切り組になれてよかったです😂






街中がクリスマス仕様に変わるこの時期は

それだけで気持ちがウキウキしてくるので

寒いのは苦手ですが、12月だけは好きです。


それぞれいただきものですが

飾り棚に並べて飾ってみました🎄✨


年甲斐もなく、かわいいものには目がなく

なんでも並べては眺めて楽しむのが好きです。


ちなみに今年もツリーは出していません(笑)

出すのは良いのですが、片付けが面倒な人でして…。



そんな中、新曲に取り組んでいるのですが

近現代の曲は従来の和声の法則がないので

予測不能なポジション移動がえげつなくて

昨日もトータル8時間(22時くらいまで)

そればかりを譜読みしていたのに恐ろしく

全く前に進んでくれていません。


予測不能な和声の動きだけでも撃沈なのに

ピアノはなんでこんなに音が多いんじゃ💢

と一人でプンスカ怒りながら練習しています。

でも弾きたいというジレンマ。


下手に和声理論が頭に入っているのが

よくないのかな?と思ったり🫠そんなわけないけど


こうなると、初見である程度弾ける譜面が

神様のような存在にみえてきます(笑)


聴き手が美しいと思う曲ほど

弾き手は難しいと言われることに納得です。



ところでクラシック愛好家以外の

普段あまりクラシックとはご縁のない方々を

対象とした演奏会でのクラシック曲の選曲は

とってもとっても難しいという事を

ご存知でしょうか?これは本当に難しいです。


選曲ひとつでクラシックの敷居を更に

上げてしまうという悲劇が起こるからです。


というのも、これでも私も一応は

クラシックを専門に学んできた人なので

プログラムを組む時にストーリー性を

考えてしまいがちですが、一般の方々に

それをやると高い確率で大失敗します。

(それを喜んでくれるのはクラシック愛好家だけ)


一般の方々はプログラムのまとまりとか

テーマとか、そんな事は求めていなくて

「純粋に心に刺さる音楽」を求めている

という事が多いからなのですが、つい私達は

自分が聴き手の立場に立つ経験がないがゆえに

やりがち(というよりその方が多い)なのが

自分が取り組んできた事全ての「発表の場」

という自分本位のステージにさせてしまう事。


自分が子供の頃にオールクラシックで

掴みどころのない曲ばかりの演奏会を

聴きにいった事がある人であればわかりますが

まさにそれと同じなのだと思います。


大人相手だから、聴けばクラシックの良さを

わかってくれるはず!はないです😂


5分以上になると「はやく終われ」

と心の中で思われるのがオチ。


もちろん発表会であれば、そういうものだし

無料コンサートなら問題ないのですけどね。

来てもらえるかどうかは別として


なぜ知らない他人の、元々興味もないような

長ったらしくてクソつまらないと思う曲を

お金を払って聴かされないといけないの?

そんなのは身内だけで勝手にやってれば?

と思われるのは当然の事だと思うのです。

何かの罰ゲーム?と感じる人もいるかも🙈


それが一般の方々には普通だし

そういう思い上がりな考え方も上から目線と

言われてしまうところなのかも。


これを言ってしまったら身も蓋もないけど

そういうガチの演奏会プログラムでも

許されるのは黙っていても売れるような

有名な演奏家さん達だけなのが現実なのです。


ちなみにそのへんの無名の演奏家が

オールクラシックを一般向けにやって

過去に成功した人を私は見た事がないです。


次回の演奏会はそれ以来完売になりました

ではなく、その後のチケット捌きが更に

大変になっていた姿しかみていません。

(それでノルマというものが発生するのかも)


ただ、無名の演奏家でもなぜか演奏会は毎回

固定の顧客がいて人気がある人というのは

そこにもっていくまでのプロセスが上手で

「あなたが演奏するから聴きたい」に

変えていけている人なのだと思います。

そういう方々は純粋にすごいです。


そういう演奏家さんに憧れるし

自分も見習いたいです。


歌詞のない音楽を演奏するというのは

本当に難しく、技術だけでは勿論ダメだし

聴き手の懐に入っていける何かが必要になる

という事だと私は思っているのですが

その何かを醸し出せるようになるのが先で

まだまだ私には程遠いので、分相応に少しずつ

積み上げるしかないので地道に頑張ります。


つまんなかった、二度と行かない


そう思われたら次には繋がらないので

変な見栄をはったばかりに自爆しました

とならないように気をつけないとですね。


何においても同じですが、演奏家としての

信用信頼も同じく、時間がかかることであり

崩れるのは一瞬という事を肝に銘じます。


私達演奏家はスターではない

という言葉をどなたかが仰っていましたが

その通りだと思います。


クラシック業界の常識は世間の非常識

にまつわる話も今は「うんうん、そう思う」

と頷ける自分に変わったのも不思議です😆




すごいタイトルになりましたが

長いブランク後に演奏活動の場に戻って

まず最初に驚いたのが、演奏家さん達に

支払われる謝礼(ギャラ)の低さでした。


今の日本のこの現状はあまりに酷いです。

こんなに酷いのに、自分達が置かれている

立ち位置を把握して交渉できる人も少なく

言われるがままになっているのを感じます。


一度目はお互いに「お試し」という意味で

それで自分が納得したのなら良いと思うし、

地域のイベントならボランティア精神で

引き受けるのは全然ありだと思いますが

きちんとした仕事としての依頼であるなら

やはりそこは交渉するべきだと思うのです。

「代わりならいくらでもいる」と言われ続けた私達の

世代は免疫ができているので「それなら引き受けません」

と二度目は引き受けない人の方が多い思いますが

今の子達は仕事欲しさに引き受けてしまうのかな🫠


とは言っても、今の日本は残念ながら

演奏家達は腐るほどいるのも事実で

地方にいくほど演奏のクオリティーも低い

と言われているのも確かにあったりするので

このクオリティーなのだからこれでいいよね

と思われてもしまう部分は否定できないし

いや、もしかすると提示される謝礼が低いから

これくらいで十分よねの人もいたりする??


どちらにしても、この業界においては

完全に買い手市場になっているのも事実で

強気に出れない人は多いと思います。


私が若い頃も決して高額ではなかったけど

それでも今の5倍以上はいただけていました。

でも、今は新調する衣装代も出ないどころか

交通費も出ず、ドレスのクリーニング代だけで

ほぼ謝礼が消えてしまうという金額が

相場として一般的になっているというのは

特に演奏家が溢れかえっている愛知だから

というのも影響していたりするのでしょうか?


そこに更に主催からドレス指定をされたら

さすがに私は勘弁してくださいと言います😇


ちなみに他地域だと

もう少しいただけるとは聞いています。


「1時間の公演なのにドレスのクリーニング代

くらいしかいただけないですよ〜、アハハ

と笑いながら某大企業のお偉いさんに

話したら、ひどく驚かれていましたが

そこまでの練習量も半端ないということを

理解してくださる人はしてくださっています。


音楽家が国に守られていないというのは

結局はこういう事なのかもしれませんね。

国の最低時給賃金は上がってきていますが

この業界にも、そういう法制度ができたら

少しは変わるのになぁと思います。


そうなれば演奏家さん達も即席演奏ではなく

もっと深いところまで音楽と真摯に向き合い

真面目に練習にも取り組み、本当の意味での

実力世界に変わっていくかもしれないのにと

全てが悪循環になっているような気がします。


これで本当に若い演奏家さん達には

やっていけているのだろうか?と

老婆心ながら心配しています。


パトロン(生活を支えてくれる親や配偶者)

がいない人はその衣装代や生活費を稼ぐ為に

夜職をしている話など聞くと、本末転倒だし

それもまたおかしな話ですよね。


かと言って自主公演をするといっても

集客スキル等が必要になってくるので

依頼演奏の方が集客がないのでその点では

ラクなのかもしれませんが、そういう事も

完全に足元を見られている気がします。


演奏の場がほしいんでしょ?

と思わせるオーラもよくないのかも。


日本は聴き手の人数に対して

演奏家と箱の数が多すぎるのも問題だし、

選曲とかチケットの売り方に対しては

変にプライドが高いのに、肝心なところで

プライドがないのも私には理解し難い

と思っているところです。


チケットを買ってもらうには

どうしたらいいかという人としての基本を

理解していない人が多いのも気になります。


黙っていても売れる有名人ならよいですが

そういう方々はすでに海外に拠点を置いて

日本以外を中心に活動されていますよね。


それは要するに、言葉は悪いけど自分を含め

所詮地方でしか活動できない冴えない演奏家。

どんなに素晴らしい演奏を提供します

と謳ったところで、人は心だと思うのです。


チケットを買ってもらっておいて

一斉送信で「ありがとうございました」

でお礼を済ませるというのも言語道断だし

チケットだけでなく、会場までの交通費や

時間を割いていただいているという認識を

もてば、花束や差し入れをいただけるのも

当たり前の事ではない事は言うまでもない。

(それを用意する時間やお金も別で発生しています)


そこに対して「ありがとうございます」

とその場だけの言葉で済ますのも論外だし

スマホひとつで終わらせてしまう演奏家が

なんと多いことよと驚いています。


きちんと自分も行動で感謝を示すのが

礼儀だと私は周りから教わってきましたし

あなたはそんなに価値のある人ですか?

と私は捻くれている人なのでツッコミを

入れたくなる😇😇😇


チケットノルマにしてもそうなのですが

出演者にノルマがあるのはまだわかるけど

自分は出演しない演奏会のチケットノルマが

愛知ではいまだに悪しき風習として残っていて

以前、痛い目にあった事がありました。


自分が出演しないチケットを他人に売る

というのはものすごくハードルが高くて

その人達の事(演奏力)を自分も知らないのに

「買ってください」とは言い難いです。


しかもチケットノルマは当然のような口調で

出演者達から直接「お願いします」や

終演後の「ありがとうございました」という

メール等も一切ありませんでした。


それでも百歩譲って、演奏のクオリティーが

素晴らしかったとかなら良かったのですが

(あまりに練習不足の酷い演奏でお遊戯会かと思った)

無駄にお金と時間を使わせてしまった事に

穴があったら入りたくなったほど恥をかいた

という事が過去にあったのです。


それ以来、そういう他人のノルマ式のものは

自腹を切り、チケットは破棄していましたが

こんな事をして意味があるのだろうか?と

思ってその団体からは距離を置いたのですが

そのコンサートの為に他人にお金と時間と

労力を使わせているという事が想像できるなら

絶対にそんな事にはならないはずなのにと

あれは本当に残念でなりませんでした。


恐らく私も一旦この業界から離れて外側から

客観的に見る経験をしたから気付けた事で

もしも自分もずっとこの業界にどっぷりと

浸っていたら気付けていなかったかも。


SNSなどで、演奏家さん達に対する

聴衆側からの意見などが書かれていますが

私は聴衆側の意見に賛同しています。


SNSは便利な機能でもありますが

集客のやり方を間違えると本当に怖いです。


もしも集客ができないままでいるとしたら

自分はそれだけの人だという自覚と謙虚さを

もとうと自分に言い聞かせているところです。


そこから何を改善していけばよいのか

そういう事を考えていく事で、人としても

成長していけるのかもしれません。


「演奏家は聴衆者に育てられる」

私はそういう心構えでいるつもりです。



この投稿でまた同業者の敵を増やしそう😂